店主のつぶやき

カフェハンナの店主ウジキのつまらない独り言で綴る日記です。

子どもが1歳になりました

2012年04月28日 14時20分18秒 | Life
この前の日曜日ですが、子どもが1歳の誕生日を迎えました。

両家の親もうちに来て、1歳の誕生日に背負わせ「一生丸く長く生きられるように」「一生食べるのに困らないように」という意味があるという一升餅はうちの親が地元の餅屋に注文して用意してくれ、子どもにも背負わせました。

背負わせたら泣くんじゃないかと皆で話していたのですが、意外にもまったく泣かずに平気でつかまり立ちしていて、尻もちをついてからも平気で餅を背負ったまま普段と同じようにずりばいをしてました。
その姿が頼もしくて皆で「すごい!」と親ばか、ジジババばか丸出しで大絶賛していました(笑)。

いろいろ大変なことも多いですが、日々成長している子どもに私達が癒されています。


国技とは何?

2012年03月12日 00時03分05秒 | news
今年はもっと更新すると念頭に宣言したのに、やはりほとんど更新できていないこのブログ。
書きたいことはたくさんあるのだが、なかなか書く時間がとれない。

そういいながら、またあれこれ考えているうちに日付が変わってしまった。
昨日は3月11日、東日本大震災から1年だった。
でも震災についてはあえて直接書かないでおこうと思う。
それよりも昨年からずっと気になっていることがあるのである。

昨日の3月11日は東日本大震災から1年であるとともに、大相撲大阪場所の初日だった。

あえて過激な書き方をする。
昨年の3月11日、東日本大震災を一番喜んだのは、日本相撲協会だと私は思っている。

相次ぐ不祥事で昨年の日本相撲協会は窮地に立たされていた。
そして2011年、大きな社会問題となった八百長問題を受け、3月に行われる大阪場所を中止とし、それ以降の本場所開催についてもいつ開催できるかわからない状態だった。国民の日本相撲協会への不信感、批判はかなり厳しいものだったからだ。

そんな中で起きたのが東日本大震災だった。
日本中がその衝撃と悲しみに暮れる中、おそらく膝をたたいて喜んだのが日本相撲協会の幹部達だったのではと思う。
被災者、及び日本国民を勇気づけるという名目で、本場所を復活させる口実ができたからだ。

案の定、5月には『技量審査場所』という妙な名前の無料公開の場所が行われ、7月には名古屋場所が開催された。
国民の関心が震災復興問題やそれに起因する原発問題に移っていった中で、日本相撲協会の八百長問題など不祥事のことは忘れられたようだった。
さらにそのことにつけこむように、今年になって任期を終えた放駒理事長の後任に、2008年にロシア人力士大麻問題で理事長を辞任し、さらに上記の2011年の八百長問題によって役員からも降格していた北の湖親方がどさくさに紛れて再任された。
今となってはそのことに対して声高に批判する人はいなくなった。それもこれも東日本大震災の問題に比べるとどうでもよい小さな問題であり、マスコミも日本相撲協会の問題に対して時間を割くことはしなくなった。

でも、私としては何か釈然としない。
だいたい相撲のことを『国技』と言うが、いったい『国技』の定義とは何だろう?
日本古来のものという意味ではそうかもしれないが、今の日本国民はそこまで相撲を愛していない。
番付上位の力士を見ても外国人力士ばかりだ。今の子ども達で将来相撲取りになりたいと思っている子どもってどのくらいいるのだろう?

守らなければならない『国技』とはいったい何なのか?とあえて問うてみたい。

風化させてはならない

2012年01月17日 22時53分12秒 | diary
今日は1月17日。

忘れてはならない日なのだが、一昨年昨年はここに来ることはできなかった。
家のことで大変だったからだ。
実際今朝も5時46分にはまだ夢の中だった。

私はエセ神戸市民。

私は、阪神淡路大震災の時は東京に住んでおり、昨年の東日本大震災の時には神戸に住んでいる。
何の巡り合わせかうまいこと大震災をすり抜けてしまっていることに少しばかり罪悪感を感じる。

夜の東遊園地公園で、ある所で顔を見知っている知的障がいの方にばったり会った。
堰を切ったように自身の被災体験を語ってくれた彼は、毎年有給休暇をとって早朝から震災のつどいに来ているという。
やはりこの日に対する思いが違うのだと思う。

写真は震災のつどいが行われている東遊園地公園から南を向いた風景である。
奥にある関西電力ビルは毎年この日に『1.17』を表してくれているのだが、それを遮るように高層マンションが建ち、『1.17』も仕方なく身を縮めるように細く表されるようになった。

震災後、神戸市内のあちこちに高層マンションが建った。
神戸の発展のためには必要なものなのかもしれないが、大切な何かを忘れていないことを祈りたい。

今、『絆』なんていう美辞麗句だけが巷にばらまかれていることに違和感を感じている。

私も今夜改めて祈りを捧げた。

そして柏原は伝説となった… 第88回箱根駅伝

2012年01月03日 19時01分40秒 | my old school
東洋大、大会新記録で2年ぶり総合優勝/箱根駅伝(サンケイスポーツ) - goo ニュース

もはや新春の国民的イベントとなってしまっている箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)。
私もほとんど毎年欠かさずテレビ観戦している。もちろん我が母校東洋大学を応援するために。

といっても、今まではほとんど毎年朝寝坊していて2区や7区の途中から見るのが当たり前になっていたのだが、今年は子どもの授乳やら何やらあったのでわりと早起きしていて、初めて往路も復路もスタートから全区間をテレビ観戦していた。

結果は皆さんご存じのとおり東洋大の圧勝。往路、復路、総合とも新記録での完全優勝となった。
今までは5区を走る‘山の神’柏原の力に頼るところが大きかったが、今年のチームは個々の力がかなりレベルアップしていて、完璧なレースと言えた。

かといってやはり柏原の存在は大きかったと言える。
柏原が入学するまでの東洋大は、4区まではけっこういい線をいっているのだが、5区の山登りで下位に沈んでいき、復路でもそれを取り戻すことはできず、いつもシード権争いを強いられるということが続いていた。
柏原という山登りのスペシャリストが出現したからこそ、この4年間の東洋大の黄金時代が到来したのだった。

その柏原も今年で卒業する。
確かに現在の1~3年生のレベルが高いことは今大会で証明はされたが、優勝の行方を大きく左右する山登りを来年以降どうするかは東洋大にとって大きな課題だと言える。

なんか評論家口調でえらそうに書いてしまったが、実際今日はとても気分がいい。
明日から早速仕事だが、夕食では久々にビールで一杯やろうと思う。

あれ?冷蔵庫にサッポロ黒ラベルあったかな?(笑)

新年あけましておめでとうございます

2012年01月01日 15時50分17秒 | diary
皆様、新年あけましておめでとうございます。

ほとんど休眠ブログのようになっているこのブログですが、
今年はもう少し更新していきたいと思っています。

本年もよろしくお願いいたします。

人生最良の誕生日?!

2011年09月11日 22時05分57秒 | Life
昨日のことですが、9月10日は私の42回目の誕生日でした。
42歳かぁ。おっさんになったなぁ。
特に結婚してから2年間、フットサルなどスポーツすることがすっかりなくなってしまったせいか、最近めっきり体力が落ちていることを感じます。もうちょっと頑張らねばと思う今日この頃。

さて、昨日の誕生日。お昼はいつもの土曜日と同じくヘルパーのアルバイト。
それが終わってから実家へ車を借りに行き、自宅で妻と息子を乗せ、ハーバーランドへ。誕生日プレゼントとしてABCマートで妻にスニーカーを買ってもらいました。ありがとうございます(笑)。
その後、アカチャンホンポへ行き、息子のものを色々お買いもの。
帰り時間も遅くなるので、今日は外食してしまおうと、垂水の学ヶ丘のロイヤルホストへ行きました。

ところが、いつもはけっこうどこでもいい子にしているうちの息子が、疲れもあったためかお店に入ったらギャン泣き。店中にうちの息子の泣き声が響いていました。おむつ換えても、ミルクをあげてもダメ。仕方がないので、夫婦交互で抱っこして店の外に出て、交代で食事することに。とほほ。
でも、食事が終わって店を出るお客様に「すみません」と頭を下げると、皆一様に「いいのよ。お互い様よ。うちもそんな時期あったわ」と笑顔で言われ、店員さん達もにこにこして私達を気遣ってくれ、そんなにおろおろせずに、むしろあったかい気持ちで過ごすことができました。
しかも、今まで私の抱っこで寝たことがなかったうちの息子が初めて私に抱っこされて眠りました。ちょっと感動。眠ってしまった息子はちょっと重かったけど。

帰宅後、私が今年1月にエキストラで撮影に参加し、3月12日、13日放送予定だったのが、大震災の影響で放送が見送られていたスペシャルドラマ『砂の器』が放送されたので見てみました。
第1部後半のオーケストラの場面の観客のエキストラだったのですが、指揮者である佐々木蔵之介の背中越しの2階席に何度もピンボケの私(ピントは主役になるので当たり前ですが)が映っていました。HDにちゃんと録ってあります。誕生日のいい記念になりました。

家族3人で迎える初めての自分の誕生日。とてもいい誕生日になりました。
5年前には人生最悪の誕生日(『誕生日に彼女と別れる』参照(笑))を経験し、そのことを知っている妻に5年前のことをつっこまれたりもしましたが、それも今じゃ笑い話。まぁ、人生長く生きていれば色々ありますな(笑)。

正直言って仕事面では今はかなりよくない感じになっているのですが、それをどう切り抜けるか、今後自分はどういう道に進むのか、またゆっくり考えていこうと思います。

第16回コーヒー会

2011年08月15日 22時34分47秒 | cafe
昨日の日曜日、私が主催する第16回目のコーヒー会でした。

16回とかなり数を重ねたものだなと思いますが、考えたら最初のコーヒー会から丸4年になるんですね。早いものです。

初めはmixiのあるコミュニティの仲間内から始めたコーヒー会ですが、ちょっとマンネリ化の傾向もあったので、昨年から改革開放政策(笑)を行っており、積極的にそれまでの仲間以外の方、またmixi以外のところでつながっている方を積極的にお誘いし、会を活性化させようとしています。
そして今回はこれまでで最高の16名の参加者(さらに5名のお子様)となりました。仕事関係の仲間とそのご友人、私が以前勤めていた施設にボランティアに来られていた方、私がパソコンを使い始めた12年前に参加していたニフティサーブのコーヒーフォーラムの仲間、うちの妻が出産で入院した時に一晩だけ隣のベッドになったママ友とその旦那様…などなど。

さらに今回はブログを通じて知り合った静岡で実際に珈琲屋をされている方の参加があり、始まる前からプレッシャーでヘンな汗出てました(笑)。

みさご珈琲の店主向井様、本当にいい方でした。
事前にいただいていたメールの文面からいい印象を受けていたのですが、すごくさわやかで、遠くからわざわざ来ていただいていて、初参加だというのに、あれこれお気遣いいただいて細々と動いて下さり、さらに自身の工房で焙煎された珈琲豆をご持参いただいていたので、それをまたご自身で淹れていただいて、ちょっと申し訳ないくらいでした。
私の持っているドリッパーなどのコーヒー道具は全部カフェバッハ仕様なので、向井さんがいつも使用している道具とは違うので、かなり勝手が違ったと思うのですが、それでもさすがプロという感じで、ものすごく深みのある味の珈琲を淹れて下さいました。
沸きたてのお湯にこだわるところなど、私自身も反省せねばならないところも多々あり、とても勉強になりました。

その向井さんだけでなく、このコーヒー会では他にもたくさんの出会いがあり、珈琲を通じて人の輪が広がっていくことがとても嬉しく、それこそこのコーヒー会を続けてきた甲斐があったという気持ちでした。

私自身は大人数の珈琲を淹れることでいっぱいいっぱいで、なかなか思うようにうまく淹れられず、まだまだ修行が足りないなぁと反省することばかりだったのですが、それでも参加された皆様が楽しそうに過ごされていたことで少なからず満足感も得られました。

今後この会がどのようになっていくのか、自分でもわからないところもありますが、できるだけ多くの方に喜んでいただける会にしていきたいと思います。

ありがとうございました。

サッカー小僧が…

2011年08月07日 11時06分57秒 | football
「オレ、マジでサッカー好きなんすよ!」


昨年の横浜Fマリノスでの最終戦。
横浜Fマリノスから戦力外通告を受けた松田直樹が、日産スタジアムに集まった満員のマリノスサポーターを前にしてお別れの挨拶として語った言葉だ。

そんなサッカー小僧が34歳にして逝ってしまった。
早すぎる。
悲しい。
そんな言葉しか出ない…。

正直私が松田を知ったのはトルシエJAPANのフラット3の一角になってからで、それ以前のU-17やアトランタ五輪代表での活躍はあまり知らなかった。
それでもトルシエJAPANでの松田の熱いハートのプレイは私はとても好きになった。
時には熱すぎてカードをもらってしまうことも多かったけども。

トルシエ監督以降は代表に呼ばれることも少なくなってしまったが、まだまだ老けこむには早いとその活躍をずっと願っていた。

横浜Fマリノスを戦力外になり、他のJリーグのクラブからも声がかかっていたのに、JFLの松本山雅FCを選んだのも彼らしい気がした。
松本山雅FCではわずかな期間したプレイできなかったが、彼にとってはサッカーの楽しさを思い出した時間だったのではないかと思う。


この日本にも、本当のサッカー小僧だと思う人はたくさんいる。

44歳にしていまだ横浜FCで現役を続けるキングカズこと三浦知良は別格としても、

W杯代表には選ばれなかったものの、日本代表のエースまで登りつめながらJFLのツエーゲン金沢でプレイを続ける久保竜彦、

トルシエJAPANでエースだった鈴木隆行は、今年からJ2水戸ホーリーホックでアマチュア契約でプレイすることにした、

多くのクラブを渡り歩き、何度か引退状態になったにも関わらず、40歳にしてまたJFLの琉球FCでキャプテンとして現役でプレイする永井秀樹、

そんな愛すべきサッカー小僧達の1人として、松田にもまだまだ頑張って欲しかった。


ご冥福をお祈りいたします。

澤はマラドーナになった

2011年07月18日 23時16分31秒 | football
最近ほとんど更新していないこのブログ。
書きたいと思うことはたくさんあるのですが、子どもが生まれてからというもの、生活のリズムがなかなか自分の思うとおりにはいかなくなってしまったので、PCに向かう時間が制限されて、思うように更新できません。

さて、そして久しぶりのエントリは、なでしこジャパンのW杯制覇です。

いやぁ、参りました。
優勝を目指すとは言っていたけれど、まさか本当に優勝してしまうとは…。
本当に素晴らしいの一言。
震災以来重い空気になっている日本に、久々の思い切り明るいニュースで、日本中を勇気づけてくれたと思います。

決勝戦、私も午前3時に起き、テレビ観戦で応援していました。
私は根がネガティブなものですから、アメリカに先に点を取られるたびに、もうダメだとあきらめそうになりましたが、選手達はまったくあきらめることなく食らいつき、PK戦に持ち込み見事優勝しました。
その壮絶な戦いと、ドラマティックな勝利に、思わず朝からテンションが上がりまくってしまいました。
日本の女子サッカーもいよいよここまで来たかと、別にサッカー関係者でもないのにちょっと感慨にふけってしまいました(笑)。

2000年のシドニー五輪から女子サッカーが正式種目になり、93年のJリーグ開幕から日本におけるサッカーのメジャースポーツ化に一定の成功を収めた日本サッカー協会としては、女子サッカーの底上げが次の目標にもなっていました。

小学生クラスではサッカーをやっている女の子もそれなりにいるものの、また大学には女子サッカー部や女子サッカーサークルがあるものの、中高生世代ではその受け皿がほとんどないために、小学生時代にサッカーをやっていた女の子も他のスポーツに転向してしまうという、日本女子サッカー界の空洞化問題があり、その問題の解消するために当時の女子中高生に絶大的な人気のあったモーニング娘。はじめとするハロプロのタレントにフットサルをやってもらうという普及策を取っていました。
そのことについてはこのブログでも過去に触れていました。
スフィアリーグを見る 2006年12月02日

はっきり言ってその普及策はうまくいったのかどうかわかりません。
でも、そんな搦め手からのやり方より、今回の『なでしこJAPAN』日本女子代表の活躍が何よりも女子サッカーの普及に絶大な影響を及ぼすことは間違いありません。
なでしこジャパンを目指してこれからサッカーをやっていこうという女子が増えることを願っています。

また、なでしこジャパンのメンバーの多くは、必ずしも恵まれた環境でサッカーができているわけではありません。
不況のために企業の撤退もあり、日本女子サッカーはかなり厳しい状況です。
私が現在住んでいる神戸でも、名門女子サッカークラブでなでしこリーグにも加入していたTASAKIペルーレFCが親会社の田崎真珠の経営難により2008年に休部となりました。
現在はキャプテン澤ら今回のなでしこジャパンメンバー7名が所属するINAC神戸レオネッサがなでしこリーグに所属する神戸のクラブです。

なでしこジャパンのメンバーは明日(19日)朝に日本に凱旋するらしいですが、早速今度の日曜日24日にホームズスタジアムで、なでしこリーグ INAC神戸レオネッサvsジェフユナイテッド千葉・市原レディースの試合があるらしく、観戦に行けるなら行きたいところですが、私はお家の事情で無理です(笑)。
でも、うちも余裕が出てきて行ける時になったら、ぜひ観戦に行ってみたいと思います。

4位に終わった2008年の北京五輪の時も参加チームの中で一番よいサッカーをしていたと世界に評されていたなでしこジャパン。
同じく一番よいサッカーで勝ち取った今回の栄冠もなでしこジャパン全員の力だと思いますが、その中でもキャプテン澤の力はとても大きかったと思います。

私は澤がマラドーナに見えました。

おめでとうニッポン!
ありがとうニッポン!

自家焙煎珈琲教室

2011年05月23日 21時31分51秒 | cafe
アップするのが遅くなってしまいました。

去る5月12日の木曜日の夜、大阪福島にあるカフェ・バーンホーフ福島本店で行われた『自家焙煎珈琲教室』に参加してきました。
参加費は3000円。
内容は、
・コーヒー豆の選別(ハンドピック)、焙煎の見学
・コーヒーの抽出(ペーパードリップ)の体験
・スペシャリティコーヒーを味わう
・コーヒーとケーキのマリアージュを楽しむ
でした。
持ち物は、抽出体験を行うため洋服を気にする人はエプロンをと事前にいただいたチラシに書いてあったため、私は自身の結婚式以来コーヒー会などで使用しているcafe Hannahのエプロンを持参して行きました。
2月に行った私のコーヒー会に参加され、将来カフェを開きたいと言っていたmixiのマイミクさんも誘い、一緒に参加しました。

時間は19時からだったので、17時で仕事を終えてすぐに行けば、軽く食事も食べてから参加できると思っていたのですが、こういう日に限って夕方になってから打ち合わせが長引いたり、電話が来たりして、職場の最寄り駅であるJR灘駅で電車に乗ったのが18時。当然事前に食事などする時間などなかったので、JR野田駅でマイミクさんと落ち合った後、駅前のパン屋でパンを買い、お店までパンをかじりながら歩くことに。トホホ。

さて、いよいよ珈琲教室ですが、定員は12名。4つのテーブル分かれ、1つのテーブルに3名ずつ。
最初に今話題のスペシャリティコーヒーのパナマ・ドンパチ・ゲイシャとケーキをいただきます。パナマ・ドンパチ・ゲイシャは豆で買うと100gで2000円するという高級豆です。
それをいただきながらカフェ・バーンホーフのマスター安部利昭さんのコーヒーについての講話を聞きます。3年程前からコーヒーの業界で変革が起こり、スペシャリティコーヒーというものが注目されるようになったということで、今いただいているパナマ・ドンパチ・ゲイシャはその代表格ということでした。

講話の後、カフェバッハ主宰田口護氏開発の焙煎機『マイスター』によるコーヒー豆の焙煎の様子を見学。
焙煎の様子自体は以前カフェバッハでも見たことがあるので、私にとっては目新しいものでもなかったのですが、解説を聞きながらの見学は初めてだったので、思っていたよりも繊細な作業に関心しました。
次はハンドピックの見学。このハンドピックも20年前からカフェバッハでよく見ていたので私にとっては目新しいことはなかったのですが、改めて豆一つ一つを選別していく作業は大変だなぁと感じました。しかも商売にするからにはこれをかなりのスピードで行わなければならないのですから。

それからいよいよドリップ体験です。
1テーブル3名の参加者に対して1名のスタッフが指南役としてついての指導。初めはドリッパーだけを置いて安定して水を注ぐ練習。その後、コーヒー豆と温度調整したお湯を用意してもらい、1名ずつ実際に淹れてみます。
私は自身でコーヒー会を開催するなど、ペーパードリップ自体は普段から行っていますが、プロに習うとなると15年ぶり。いざやろうとするとなかなか抽出が安定しません。ドリッパー、サーバーを置く高さは通常の家庭のテーブルの高さに合わせた台で行ったので、私がドリップするにはちょっと低すぎるというのもあり、他の人に見られてドリップする緊張感もあり、手が震えてしまいました。私はちょっとの緊張ですぐに手が震えてしまう性質なんですよね。
3名が2回ずつドリップして、それぞれ味見したので、最初にスタッフの方が見本で淹れたコーヒーを含めると小さなカップで7杯飲んだことになるんですかね。同じコーヒー豆ですが、それぞれ微妙に味が違い、お互いに感想を言い合って、面白かったです。
でも、私の最近行ったいるドリップの仕方がかなり雑になっていることがわかりました。コーヒー会でももうちょっと丁寧に淹れないといけないなぁと反省。

予定の時間を過ぎて21時頃に終了。
一緒に参加したマイミクさんも、またコーヒーに対する興味が深まったと言って下さいました。
私も参加してよかったなと思います。
次回のコーヒー会開催はまだ未定ですが、この体験をまたコーヒー会に還元したいと思います。