「いりの舎」から原稿依頼が来た。「うた新聞」の9月号に新作5首を、という依頼だ。
作品は作りためてある。だが、ここで迷っている。このブログの記事にしてきたが、今は戦争の足音が聞こえる時代だ。この時に「社会詠」を発表するか、「純粋抒情詩」を発表するかだ。
短歌を政治的プロパガンダには使いたくない。だが時代性を含んだ作品をあえて発表する事も意義あることだろう。
6月30日、7月1日と、僕は首相官邸前に行った。「集団的自衛権の閣議決定」に反対するためだ。僕がデモ、集会に行くのはそうそうあるものではない。だがここはファシズムを許すか、そうでないかの瀬戸際だ。
「社会詠」は「政治的スローガン、プロパガンダ」になり易い。『短歌』誌上で、ペンネームを使って、「社会詠」を継続的に投稿したことがある。そこで分かったのは「社会詠」といえども、「抒情詩としての普遍性」が必要だという事だ。
新作5首の〆切までまだ少し間がある。それまでに「抒情詩としての普遍性のある社会詠」を準備できるだろうか。
首相官邸前で詠んだ作品は手元にある。だが、その作品に「抒情詩としての普遍性」があるかどうか、自信がない。
官邸前で詠んだ作品に手を入れて発表するか、官邸前に関連のない作品にするか。あと何週間かある。それまでに結論をだそうと思う。
十数年前の記憶に基づく、物語詩のような連作もある。
ともあれ、商業誌に作品を発表するのは、一つのチャンスである。悔いのない作品群にしたいと思う。