「神ならぬ者」7首 『短歌』8月号
・命ある者の選別できぬとぞ思わざりしや神ならぬノア
・糸杉のかの燃えたちは陽炎かゴッホはおのが耳を切にし
・異形なるものこそよけれドラクロワ・ジェリコの絵画を好めりわれは
・風の音絶えたる夜の卓上にタブレット端末しんと冷たし
・ジャスミンの香に心なぐさめる総論ありしひと日の終わり
・ブロンズの像底光る真夜中にひとりの顔を思い出したり
・わが怒りの形のごとく眼の前にチーズフォンデュふつふつと湧く
一首目。子どもの頃から不思議だった。「ノアの方舟伝説」。洪水の直前にノアは、動物のつがいを一組ずつ、方舟に乗せたという。これは命の選別ではないか。そんなことが神ならぬ人間に出来るのだろうか。そんな思いを作品化した。
二首目。子どもの頃から、やけにゴッホが気になっていた。しかもよく知られた作品に描かれた糸杉はまるで燃えているようだ。ゴッホは不遇だった。生前一枚も絵が売れなかった。ゴッホの心の中はいかなるものだったのだろう。燃えたつような糸杉はゴッホの心情を象徴しているようで、もの悲しい。
三首目。ドラクロワとジェリコの絵画には、心惹かれる。「民衆を率いる女神」「メデュース号の筏」を見るとなぜか背中がぞくぞくする。「詩人の聲」の公演があった画廊にジェリコ、ドラクロワとは違うが、ぞくぞくする絵画が展示されていた。こういう時の僕は上機嫌だ。聲がしっかり出た。こういう好みを「センスが悪い」と言う人がいるが、僕の好みだ。これは変えようがない。
四首目。「僕はタブレット端末は持っていない。だがタブレット端末を持つことによって、人間の生活は様変わりしてしまった。高度情報化社会と言うが、これで人間は幸せなのだろうか。そんな情感を表現してみた。
五首目。これは実話。ジャスミンは入浴剤のこと。ただ実話と言っても、三十年以上もまえのことだ。
六首目。真夜中の駅前。遅くなって帰宅するとき目にする情景。一日の出来事や、出会った人の顔を思い出しながら、一日の総括をする。こんなことを繰り返しながら、時間は過ぎてゆく。
七首目。今ではほとんどないが、怒ってばかりいた時期があった。ヤケ酒も飲んだ。今でも時々その頃を思い出す。人間には喜怒哀楽がある。その中でも怒りは最もはげしい感情だ。この感情をどうコントロールするか。この時はチーズフォンデュで代替昇華した。