岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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佐藤佐太郎「純粋短歌論」を読む

2011年03月24日 23時59分59秒 | 写生論の多様性
「羅列、雑報ははじめから子規の排斥せるところであった。後進者は何を苦しんでその邪魔を為し得ようか。私等は先進苦心の跡を追尋して、以て大に答ふるとこるがなければならぬ。・・・なほ写生を勇猛に実行するに際して、新素材、新内容はどうであらうか。これは実相に観入することによって、無限にあると謂つて差支ない。」(「短歌初学門」)

 岩波文庫「斎藤茂吉歌論集」から抜粋した。(295ページ)
 
 僕はこれを斎藤茂吉が後進に残した心得と受け取っている。つまり「子規以来の蓄積に学び、それに< 新 >を積め」「その< 新 >は素材・内容など無限にある」と。

 佐藤佐太郎はそれに応えた一人だと僕は思う。その佐太郎の代表的歌論「純粋短歌論」を岩波短歌辞典(監修・岡井隆)はこう述べる。

「(純粋短歌論は)表現史的に見れば、革命的な手法や主題の拡大ではなく、近代アララギの方法を狭く揺らぎなく掘り下げることによって、短歌を現代の文芸たらしめようとしたと見ることができる。」(坂井修一)

 ではどういう内容か。全15章からなるその内容の核心を引用してみよう。(便宜的に通し番号をふる。)

1・内容Ⅰ:「短歌は抒情詩であり・・・詩は火に於ける炎、空に於ける風の如きものである。」(短歌とは何か、詩とは何か、という問いに対する佐太郎の見解である。)

2・内容Ⅱ:「詩の原形(内容)となる< 衝迫 >は単なる混沌ではなく、詩としての深められた感情であり、混沌の中に世界を蔵しているものである。」「短歌が現代の複雑な思想・感情を盛り得ないやうにいふのは完全な見方ではない。・・・それが不可能のやうにいふのは詩を胸で受け取る事の出来ない批評家か非力で怠惰な作家である。」

3・形式:「短歌は短小な一詩形だが長所も短所もその事実のうちにあるといふまでで、詩が小説の代用をせねばならぬものでもなし、まして短歌が人間の表現をすべて孤りで背負って立たねばならぬ訣合は全くない。」

4・声調Ⅰ:「歌の調子は意味、内容の要素をも籠めて一首全体として受取られるべきものである。」

5・声調Ⅱ:「萬葉調で行くといふ事は、萬葉そのままの引き写し模倣といふ事ではない。」

6・言葉Ⅰ:「短歌の言葉は感情の言葉でなければならない。・・・詩の言葉は血の脈動の感ぜられ、それでゐて的確なものでなければならない。」

7・言葉Ⅱ:「言葉と感情と純粋性とを計量するものは語感である。・・・語感は生得の面もあるが、一面は養ひ育てられるものである。」

8・態度:「現実に対する真の関係は直接端的の態度にある。私たちが現実を観るといふのは、自身の眼< 広義の >を以てありのままに純粋に見ることである。」

9・写生Ⅰ:「作歌に際して直接の態度を徹底せしめようとするのが< 写生 >の立場である。」

10・写生Ⅱ:「主観と客観の間の関係を主観の側からいふのが< 観る >はたらきであるが、主観を主とするのが浪漫的傾向であり、客観を主とするのが写実的傾向である。

11・真実:「詩の真実は主観を通して理解される故に現実そのままとはいひ得ないにしても現実のうちに感じられるもの、寧ろ現実そのままとして感じられるものであるだらう。」

12・体験:「詩の真実は事実そのままといふ事ではなく、事実にしばられてゐるものでもなく、それにもかかはらず、吾々が事実を尊重し、実際に即くことを根本の態度とするのは、詩は体験の声を表白すべきものだからである。」

13・象徴:「一つの具象の中に普遍的意味の感ぜられるとき、その具象は普遍的なものの象徴である。」

14・限定:「短歌は純粋な形に於いては、現実を空間的には< 断片 >として限定し、時間的には< 瞬間 >として限定する形式である。」

15・跋:「この中に自分の創見が満ちてゐるとは思はないし、むしろその反対で、殆どは先進の受売りのやうなものかも知れない。」

 これは宝文館から出版された初版本から抜粋したもので、母校、早稲田大学の書庫の最下段で埃をかぶっていたものである。初版本で読むことは、佐太郎の考えの原初を知る上で重要である。

 例えば2は、戦後短歌のリアリズム的傾向(宮柊二・近藤芳美ら)を指した見解だが、最後の「批評家」「非力で怠惰な作家」という一文は、角川書店で再販される際に削除されている。

「ここは作家研究上のの課題だ。」と「佐藤佐太郎集」の解説(今西幹一)にあるが、佐太郎の考える「社会・思想」と1960年代から再販時の1980年代に考えられていた「短歌によって社会・思想をこうあらわす」と歌壇全体で捉えられていたものとの乖離が原因だと僕は思っている。



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