岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

靖国神社は追悼施設ではない!

2014年04月07日 23時59分59秒 | 政治経済論・メモ
千鳥ヶ淵へ花見に行った。4月5日のことである。数年前も行ったが、家族とはぐれてしまい結局、桜を見ないで帰ってしまった。

 そんなことがあったので、今年ははぐれないように、気を付けながら人ごみの中を歩いた。

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、アジア太平洋戦争で、戦死した日本兵のみならず、外地の戦場で死亡した民間人の遺骨も収められている。周囲は桜の名所で、毎年多くの人たちが訪れる。桜の木が多いのだが、それも古木が多く、圧倒的な景観だ。また旧江戸城の石塁や堀とのコントラストも見事だ。

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑に、巨大な石碑がある。アジア太平洋戦争の戦場が地図となって彫り込まれている。また「戦死者2700000人」の文字も彫られていた。

 たしかにアジア太平洋戦争での、日本の戦死者は、300万と言われるから、妥当と言えよう。だが、アジア諸国の戦没者は3000万人を超える。この30000000人の文字を刻んでも良いのではないかと思う。

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑と道路を一本隔てて、靖国神社がある。ここも桜の名所だ。多くの花見客がブルーシートを広げていた。「千代田さくらまつり」の看板もあった。それだけなら普通の神社とかわらない。

 だが、境内には大村益次郎(日本陸軍の創設者)の銅像があり、本殿の入り口の灯籠には、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦の戦果を誇るレリーフがあった。そこには「敵に勝利した」などと書かれていた。

 境内の中心で「桜の下で同期の桜を歌う会」が壇上で軍歌を高らかに合唱している。しかもその周囲からは、軍歌の大合唱が起こっている!


 終戦の日に靖国神社へ行ったことがある。その時は、日本海軍の制服を着て、鉄砲を担いだ一団が、軍旗を先頭に行進していた。旗(旭日旗)が振られ、進軍ラッパが鳴り響き、親に連れられた子どもは、旧日本海軍の制服を着ていた。右翼の街宣車が鳥居の前に列をなし、黒服で黒いサングラスをかけた、その方面の男らしき人が大挙して境内を闊歩していた。

 ここまで来ると、靖国神社は普通の宗教施設ではない。戦争を讃える施設だ。

 かつてGHQは、国家主義カルトとして、靖国神社を廃止しようとした。ポツダム宣言にある「軍国主義の一掃」のためだ。そのとき当時の権宮司(ごんのぐうじ)の横井時常と陸軍大佐の美山要蔵が、「靖国神社を残せ」という東條英機の言葉通りに、各方面に働きかけた。「靖国神社の祭りを庶民を巻き込んで行う」というのが基本方針だった。(NHKの取材による)一緒に行った、僕の母親も「こんなお祭りは戦前の靖国神社にはなかった」と言った。

 『靖国問題』(高橋哲也著・ちくま新書」)にあるように、靖国神社は追悼の施設ではない。戦死した悲しみを喜びにかえ、戦争を肯定する装置だ。ここに一国の総理が参拝するのは、不適切だ。

 靖国神社は、戦没者の追悼の施設ではない。ここに参拝しても不戦の誓いとはならないだろう。そう言えば、歌人の近藤芳美も「終戦の日に訪れるのは、千鳥ヶ淵です。靖国神社へは行きません。」というコメントを新聞紙上に寄せていた。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天童大人プロデュース「詩人... | トップ | 「詩人の聲」になぜ参加したか »
最新の画像もっと見る

政治経済論・メモ」カテゴリの最新記事