「詩人の聲」のプロジェクトを知ったのは、田中庸介氏からお誘いを受けたのがきっかけだった。銀座の画廊「ギャラリー・ミハラヤ」に、氏の聲を聴きに行ったのが最初だ。
とりわけ、大きな動機はなかった。ただ「詩の朗読」を聞きたかったからに過ぎない。その後、田中氏から、何度かお誘いを頂いたが、療養中の病気の具合が芳しくなく、失礼を重ねた。
去年に入って、病状が好転したので、何人かの詩人の聲を聴いた。入場料は決して安くはない。予約2700円だ。それでも僕の体内で何かが変化しているのを感じた。
先輩歌人の、鵜飼康東氏から「いい短歌を詠むには、優れた芸術に触れるのが大事だ」と言われていたのも、頭のどこかにあった。
「近頃の歌読みは、西洋に詩というものがあるのも知らず・・・・。」とは、正岡子規の言葉だ。短歌を始めたときに、様々な詩集を買った。中原中也、三好達治、高村光太郎、萩原朔太郎、吉田一穂、西脇順三郎、立原道造。谷川俊太郎、黒田三郎の詩集も買ったが、現代詩より近代詩が多かった。第一、かなり大きな書店に行っても、詩集はあまり置いていない。
現代詩をもっと読みたい、と思い始めた頃、「詩人の聲」に足しげく通うようになった。一回の公演で、詩集一冊分のボリュームがあった。肉声を聞いていると、その詩人が今、何を課題としているかもわかった。公演のあとの懇親会では、政治、文学、歴史などさまざまな意見が聞ける。これも魅力となった。
詩集を買っても、読むのは案外骨が折れる。だが肉声で聞けば、詩のほうから、僕の体内に入ってくる。これも魅力となった。
「星座」の尾崎左永子主筆は、「短歌は定型の現代詩である」と言う。僕も抒情詩として質の高い作品を創作したいと思ってきた。公演を聞きに来ると、これらがすべて満たされる。
そのうち、自分自身でも「聲を撃ちたく」なった。駒込の東京平和教会で、天童大人に「自分もやりたい」と第一歌集の一部分をコピーして渡した。
公演をするようになって、大きな変化が起こった。短歌作品の質が変わってきた。一段階段を上った感じがした。作品批評も抒情詩としての普遍性ということを考えて書くようになった。短歌について教わった事も、詩人たちと話すことによって、納得出来た。
なにもかもいい方向へ、転がり始めた。こういうことはプロジェクトに参加している詩人たちも感じている。そのことを直接聞くと、創作意欲も涌いてくる。
「霧が丘短歌会」で、僕は短歌上達に必要なことを、次のように言ってきた。「たくさん詠んで、たくさん読む」。作品を多く作って、歌集を詠みこむ。(佐藤佐太郎歌集、尾崎左永子歌集、鵜飼康東歌集、を推薦歌集として紹介もした。)
しかし今の段階で、もう二つ追加しようと思う。
・たくさんの自作を声に出して読むこと。
・たくさんの詩人の「聲」を聞くこと。
プロジェクトに参加している詩人たちにも、これは共通しているようだ。
現代詩、短歌、俳句。詩歌に志すすべての方に、このプロジェクトへの参加を呼びかけたい。聴衆として、出演者として。