オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

創造性の発揮について

2020年09月21日 | Weblog

何かというと「創造性の発揮」と叫ばれる。

 「創造性の発揮」とは具体的に何なのだろう。何をすれば創造性が発揮されるのだろう。また、創造性を発揮する対象は善いことでもあり悪いことでもある。また、創造性を発揮して、結果として素晴らしいものになるか、つまらないものになるかは結果次第であろう。結果は主観的な自分なりの評価をすることもできるが、多くは周囲の人達の客観的な評価が最終的な価値を決めるし、多くは万人が認める素晴らしいものを目指して創造活動をするのだろう。

創造性の根本とは何だろうか、

 私は趣味でギターの弾き語りをやっている。ドラムマシンでリズムを刻みながらギターを弾いて歌を歌っている。同時進行的に二つもしくは三つのことをやっていることになるが、どうしても楽譜を暗譜して演奏することができない。これ以上は私の脳の能力の許容範囲を超えているようである。そのため、簡単な曲は何とかなるが、それ以外は必ず楽譜を見ながらでないと演奏できない。自分の能力の限度を垣間見た気がする。これが私の限界であろうが、こればっかしは仕方ないし、楽譜と譜面台は欠かせない道具である。

よくコンサートを聴きに行くが、

 ステージで楽器を演奏して歌を歌ってバンドのメンバーと合わせて、なおかつすべてを暗譜して楽譜なんか見ないで演じて、なおかつ喋りや司会などのすべての段取りをこなす人達を見ると、関心してしまう。この人は頭がいいんだなぁ、脳の能力が優れているんだなぁ、と思わず尊敬してしまう。また、その場で即興で素晴らしい演奏ができる人達もいる。こんな人たちにはかなわないなと思うし、どんな脳をしてるんだろうと思う。世の中にはやはり天才があちこちにいるようである。

昔、NHKのど自慢に出場してみようと思い立ったことがある。

 しかし、この番組を見ていると、皆さん楽譜を見ながら演じている人はいない。どんな老齢の方でも歌詞とメロディーを記憶して、これを再生しながら歌っている。私は楽譜を見ながらでなければ歌えない。この時点で失格であり、早々と断念したものである。カラオケにしても同じである。どうしても歌詞を暗記して歌うことができない。歌詞カードまたは画面の歌詞を見ながらしか歌えない。

若かりし頃は千曲くらいのカラオケが歌えた。

 千曲なんてホラだウソだと思うかもしれないが、昔のカラオケの歌詞本は500ページくらいあったと思う。その1ページに自分で歌える曲が必ず2~3曲はあったし、ない時にも何とか無理して歌っていた。当時はカラオケルーレットというゲーム感覚で歌ったりしていた。無作為にページを開いてそのページの中で何曲歌えるかを競ったものである。歌えなかった場合は罰ゲームで飲まされることになる。楽しかった思い出でもある。

話はそれたが、主題は創造性である。

 創造性を発揮するためには、種類の違う複数のことを同時並行的に実行する能力が必要である。一つのことをいくら繰り返しても練度は向上するが、創造的なものへとは発展しないと思う。もう一つ創造性を発揮するには直感と言うか第六感が重要である。創造性の根源は脳であるが、脳の記憶をいくら手繰っていろいろなものを再生させてみてもそれだけでは創造性は生まれない。テープレコーダーを何回再生しても同じ音しか再生できないのと同じであろう。

二つ以上のものを組み合わせて、そこに直感を働かせて創造性が生まれる。

 そして同時並行的に処理するのである。そうでなければ創造性は生まれない気がする。大切なのは直感である。同時並行的に処理できる数は個人の能力によるが、直感は誰でも持っているものである。正しいか正しくないか良いか悪いかは別にして、この直感は大事にしなければならないと思う。この直感を生かさないと何も新しいものは生まれない。誰でもなんかの拍子にピンとひらめくものがあるはずである。それをそのままにしないでやってみようと現実に実行する事である。

今、政治が縦割り行政を無くそうとしている。

 形だけを変えても縦割りの弊害はなくならない。縦割りのものを同時並行的に一つの目標を与えて動かすのである。同時並行的とは、お互いに連動していることで、バラバラで行うことではない。一つ一つをバラバラで動かしても何も生まれない。旧態依然たる結果しか期待できないし、今までがそうだったのである。そしてもう一つ大事なことは、直感である。前例、慣例、既得権、大衆の意見、周囲の評判などを気にしていたのでは直感は埋もれてしまう。

直感を発揮するのは個人である。

 創造性の根源は良くも悪くも個人の創造的な能力にかかっている。これを発揮しない限りいつまでたっても新しいものは生まれない。この個人が能力を発揮できる場が与えられていないこと、また、発揮しても潰されてしまうことに問題があるのではないかと思う。個人とは、下っ端のことを言っているのではない。ボスもリーダーもお偉いさんも年輩も若年も男も女も一人一人みんな個人なのである。誰かに任せていれば創造的な仕事ができると思うのは大いなる間違いである。


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