オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

生活に密着した健康食品を考える(1)

2008年12月28日 | Weblog


食料品店に行くと、いろいろな加工食品が売られている。

 採れたままの自然な素材をそのまま売っているぶんにはあまり問題ないが、これを加工した物には必ず殺菌剤、防腐剤が使われている。場合によっては自然の素材にも殺菌処理、防腐処理などがなされているものがある。賞味期限が長いことは便利な面もあるが、果たしてこれでいいのだろうか?細菌も寄りつかないし繁殖もできない食品が果たして安全食品なのか、また健康にいいと言えるのであろうか?おいしいものであれば細菌も喜んで寄りつくであろうし、栄養豊富であれば繁殖もするであろうと思う。本来、自然のままの食品は時が経てば腐るのが「自然」である。

すぐに腐ってしまう食品では商品にならない。

 通常の腐り方ならいいが、病原菌が繁殖して食中毒でも起こしたら商売できなくなってしまう。また、すぐに腐ってしまっては売り物にならない。どうやら殺菌剤、防腐剤は売る側の利便のために使われているようであり、お客のために消費期限を延ばすだけが目的ではなさそうだ。現に「今日中にお召し上がり下さい」と堂々と表示して売っている商品もあるのである。昔ならいざ知らず在庫管理の行き届いた現代において、歩留まりを良くするための徹底した殺菌剤、防腐剤の使用は売る側の甘えであり、あまりにも安易すぎるのではないかと思う。

生きているものは腐らない。

 生きたままで腐るものは病気にかかっているものである。健康なものであれば細菌や病原菌をはねかえす力を持っている。腐らないようにするには生きているものを売ればいいのである。生きていなくても鮮度の高いものを売ればいいのである。まずはその努力をしなければならない。次に考えるのは熱処理か冷凍処理か真空密閉処理である。これは殺菌剤や防腐剤と違って人体に害毒をもたらさない。菌を殺すものや菌を寄せ付けない化学薬品は程度の差はあるが人体にいい訳がないと思う。誰かが勝手に決めた許容限度内であってもいずれかどこかで人体に悪影響を及ぼしているのは間違いない。反対に人体に全く影響のないようなものは殺菌効果も防腐効果も全くないものである。人間も細胞と菌と共存しているのである。

生きた毛ガニを売っているのを昔スーパーで見たことがある。

 オガクズの中で弱り切って今にも死にそうな感じで動いている。確かに生きているが、こんな毛ガニを食べてもおいしくない。なぜならば、毛ガニは陸に揚げられると一切餌を口にしない。よって自分の体内に蓄えられた栄養で生きながらえる。水揚げから日が経っていなければいいが、日が経ったものはいくら生きていても中身はスカスカである。これで新鮮だとは詐欺である。通常の毛ガニは水揚げと同時に浜で茹でられてそのまま冷凍保存される。一番おいしいのは浜で食べる毛ガニであり、次においしいのは冷凍保存され日数の浅いものであり、次が保存期間の長いものであり、スーパーで売っている生きた毛ガニは最後である。ところがこの生きた毛ガニが高いのである。「生きている=新鮮」に騙されてはいけないと思う。

便利な物は身体に悪いし値段が高い。

 ラーメンを例に取ると、身体に優しい順に並べると一般的には乾麺、生麺、インスタント袋麺、カップ麺ではなかろうか。反対に値段の高い順に並べると一般的にはカップ麺、インスタント袋麺、生麺、乾麺、の順である。便利であればあるほど添加物が増えてゆき、値段が高くなる。一番いいのは小麦粉から自分で作るのが安くて添加物も一切ないのだろうが簡単ではなさそうである。利便性を追求すると自然に反することにもなる。簡単・手軽で便利であることは自然であることを犠牲にしているし、また、おいしさと栄養をも犠牲にしている。自然でおいしくて栄養のあるものを追求するのであれば手間を惜しまないことである。

自然でおいしくて栄養のあるものは安く手にはいる。

 旬のもので大量に出回っているものである。しかも、形が不揃いで格好の悪いものもしくは少し虫食いがあるような作物(自然のままに育った証拠)である。運が良ければ馬鹿安の値段で買える。肉や魚で言うと高級でないものである。どういう訳か高級でないものの方が栄養価は高い(栄養バランスがいいと言った方が適当かも知れない)。次には手間のかかるものである。手間をかけ既に加工したものほど高くなるのであれば、一番最初の何も手間をかけていない素材そのものが一番安いし、新鮮なままで手に入れることができる(おいしくて栄養もある)。新鮮な素材を手に入れて自分で手作りをするのである。手間はかかるが安くておいしくて身体に良くて栄養バランスのとれたものが手にはいる。

私は近くの農家の野菜スタンドをフル活用している。

 今の旬は「大根」である。食べ頃の大きさのものが1本50円で売っている。この大根が美味である。下の方は大根おろしに、上の方はふろふき大根に、薄切りにして一夜漬けに(当然大根葉も入れる)、おでんのネタにも最高、千切りにおろして大根サラダなどなど、このところ大根に凝っており、大根1本で1週間楽しめる。これがまたぴりっと辛くて、柔らかくて、独特の風味があって、香りも良くて最高なのである。ほかにも、小松菜、ホウレンソウ、ジャガイモ、タマネギ、ピーマン、シシトウ、レタス、キャベツ、ニンジンなどなど、どれも一袋100円(消費税なし)である。しかも産地そのままの取れたてである。笑いが止まらない。

手作りは難しいと思っている人が多い。

 しかし、昔はみんな手作りだったのである。その手作りのやり方を教えてくれる人が少なくなった、もしくは教わろうとする人が少なくなったようである。本来、力点を置くべきはいかにして出来合の既製品を用意するかではなく、新鮮な素材を使っていかにして簡単に手作りできるようにするかである。出来合の既製品を大量にしかも安く供給しようとすると無理が生じる。ごまかしも必要となる。新鮮な素材は安定供給のため使えないので、おいしさをごまかすために糖分を多用し、油脂を多用し、化学調味料を多用し、塩分を多用する。これらはいずれも身体に悪いと言われていることばかりである。そして、保存性を良くするために殺菌剤を使い防腐剤を使う。新鮮な素材であれば必要のないことが出来合の既製品には次々に必要となり、その必要となったものは全て体に悪いことばかりである。

保存性がよいものは昔からある。「乾物」と呼ばれるものである。

 「乾物」はこの頃あまり流行らないようだ。「乾物」は殺菌剤も防腐剤も使わない昔からの有効な保存法である。乾物は調理するのに手間がかかると言う先入観があるようだ。しかし、インスタント食品を使ってもほんのちょっと手間が省けるもしくは失敗が少ないと言う程度であり、本来のやり方での調理法は考えているほど難しいものではない。ちょっと勉強してコツをつかめば本来のやり方での調理法はインスタント以上の味が可能になるし、しかも、このやり方はいろいろと応用も可能になる。

例えば、だしの取り方である。

 だしの素はいろいろと売られている。これを本物のかつおぶし(自分で削る)や煮干しや椎茸や昆布を実際に使ってだしを取ると格段においしいだしが採れる。このだしは大量に作って作り置きができる。手間は時間にして10分くらいであり、経費はだしの素を買うより格段に安い。このだしを備えていればいろんなところにも活用できる。ドレッシングも市販のものがあるが、自分で作れば格段に安い経費でもっとおいしいもの、自分の好みのものを作ることができる。マヨネーズもヨーグルトもやる気になれば味噌や醤油や納豆も自分で造れる。

単身赴任で「男子厨房に入る」をはじめて10年近くになるが、

 いろいろ考えてみると面白いことばかりである。台所に環境問題があり、経済問題があり、医学があり、栄養学があり、科学があり、芸術があり、伝統があり、民族がある。そして、世の中を見渡すと理不尽なことばかりである。手間を省いた手軽で便利なものを徹底して追及するかと思うと、反対に徹底した健康志向で高い金を出して健康食品や自然食品や無農薬、無添加食品を買い求める。私に言わせると、そんなことをしないで、通常の新鮮な旬の安価な素材を手に入れてちょっとの手間を惜しまずに調理する覚悟があればほとんど解決する問題だと思う。どこかで何かが短絡しているのではないかと危惧する。徹底した合理主義や健康第一主義などを掲げて完全主義を通すのは肩肘が張り犠牲も大きくなる。少々の非は目をつむって多少の手間は大目に見ておおらかに行きたいものである。楽もあれば苦もある。

単身赴任で改善したことは「乾物」の活用である。

 小麦粉、米粉、豆類、きな粉、ゴマ、乾燥した海草や椎茸や野菜、乾燥した鰹節や小魚やスルメ、唐辛子、胡椒などである。その他、日本茶、紅茶、コーヒーも全てインスタントではない。胡椒は粒で買ってきてミルで挽きたて(ガリガリ胡椒と称している)を使い、コーヒーも豆を買ってきてミルで挽きたてを使っている。ゴマもゴマスリ器で摺りたてをいろんなものに加えて楽しんでいる。是非インスタントでない挽きたてや本来の味を楽しんでもらいたいものである。それほど手間のかかるものではないのである。味はインスタントとは比べものにならない。なぜインスタントを使うのか不思議に思えるくらいである。この頃は世間で面倒だと敬遠されている抹茶に凝っているが、カップラーメンを作るよりも手間はかからないし、工夫すれば特別の道具もいらない。当然正座していただくわけでもない。

ただし、素材はしっかりしたものを選ばなければならない。

 別に高級である必要はないが、自分の好みに合うものを探し出す作業が生じる。ここで困ることが、自分の好みに合ったものをせっかく見つけ出しても店側が継続的に供給してくれないことである。在庫が切れたら別のものを仕入れる節操のなさである。その場限りの金儲けしか考えていないようだ。こだわりを持った者には不便でしょうがない。また最初から試行錯誤を強いられる。高級品は言われなくても供給するのだが庶民には高すぎるし普通に使うのは高級である必要はない。それよりも自分の好みに合うのは普通のシンプルなものであり、芳醇で濃厚で香りの強過ぎる高級品を常用するつもりはさらさらない。そんなものは金を持て余している方々が高級料亭で注文すればいいのである。(つづく)


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