オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

規則と罰則

2007年09月16日 | Weblog

日本は、規則に対して一般に考えが甘いし、

 罰則はあるが厳格に処されることは少ない。世に言う「ザル法」である。そのために、「みんなやっているからいい」とか「自分一人くらいはいい」という甘い考えが横行する。私に言わせると、(悪いことを)みんなやっていて害悪を及ぼしているから取り締まるのであり、自分一人くらいいいとみんなが悪いことを始めたら社会が成り立たないから罰しているのである。少なくとも、悪いことを犯した事実があるのであればこれらは正当化の言い訳にはならない。悪いと知ってやったのなら潔く罰を受ける覚悟を持っていてもらいたい。みんなやっていても悪いことは悪いのである。自分一人くらい迷惑にならないだろうというその考えが多大の迷惑をかけているのである。

自分だけ捕まって他にも違反者がいるのに捕まえないのは不公平だ。

 という言い方もある。取り締まる方も人手が足らなくて、いっぺんに全部捕まえることはできないのであろう。違反を繰り返せばいずれその違反者も捕まるであろうし、捕まるのがいやだったら改心して違反しなくなる。それで目的は達しているのである。しかし、目の前の違反者を許したら、許された違反者も他の違反者も改心することはないであろう。取り締まりに当たる方は、このような言い訳にめげず、秩序維持のため自信をもって厳格に職務を遂行してもらいたい。規則ずくめの社会は窮屈だが、秩序維持のためにはある程度仕方があるまい。

近所の雑木林は私の格好の散歩コースであるが、

 あちこちにゴミの不法投棄が目立つ。せっかくの自然の景観も台無しである。取り締まる方のご苦労は大変であるが、不法投棄の犯人を捕まえて厳罰に処した話は近所であまり聞かない。不法投棄しても捕まらないのが常識化しているようである。これは困る。少なくとも年に1回くらいは悪質な不法投棄を徹底調査して犯人を挙げて厳罰に処し新聞か広報紙にでも報道してもらいたい。不法投棄が犯罪であるという再認識と、引き続き不法投棄を敢行するには「逮捕」される危険が伴うことを思い知らされ、無法者は減るであろう。

盗難放置自転車も同じである。

 散歩しているとあちこちに乗り捨てられている。これも、盗んで乗り捨てても捕まらないという確信のもとに繰り返され、盗難放置自転車は増える一方である。大した犯罪ではないとこのような事態を放置していてはならない。これが、青少年にはびこっているのであれば、ますますもって大問題である。犯罪予備軍を培養しているようなものである。やはり月に1度くらいは徹底的に調査して犯人を挙げて厳罰に処し、このことを広報すべきである。罪を犯している事実に目をつむってはいけない。

秩序を保つことは多大のエネルギーを要する。

 学生時代に科学で「エントロピーの法則」を習ったが、自然界は放っておくと無秩序の方向に進む。秩序を崩壊させるのは簡単であるが、一度崩壊した秩序を取り戻すのには大変なエネルギーを必要とする。完全に崩壊した秩序を取り締まりの強化により取り戻そうとしても無理がある。取り締まりには限度があり、社会の構成員の大半が秩序を維持しており、一部の違反者を取り締まるくらいの能力しかない。反対に、取り締まりで無理矢理世の中を変えようとする社会は病んでいる。社会の健全な状態を維持するためには、良識ある「人」を多く育てる必要があり、これは取り締まる側でなく、教育を担当する学校、しつけを担当する家庭、そして職業を通じてモラルを育成する職場が取り組むべき課題である。秩序維持を取り締まる側だけに依存し、任せっぱなしにしてはならない。

学校、家庭、職場で良識を育てる努力をしているだろうか?

 例えば、家庭において規則に関してどんなしつけをしているのだろう。幼稚園の子供に、「横断歩道を渡るとき、大人は手を上げなくていいのに子供はどうして手を上げなければいけないのか」と聞かれた時、さあどう答えよう。「黙って言われたとおりにしなさい」「規則でそうなってるの」「みんなやってるんだからやりなさい」など、よくきく答えであるが、これでは子供は疑問が解消せず規則に対し不満と疑惑を持つだけで遵法精神は育たない。

私の場合は、

 子供は背が低いから車の運転席から見えにくいので手を上げるんだよといって、実際に車を使って見せてやったら納得してくれた。次は、「どうして車は左側通行で人は右側通行なの?」である。さあどう答えよう。私の場合は、「右と左はどちらでもいいけど、混乱するから、日本の場合は車は左、人は右とみんなで決めたんだよ。車と人を左右に分けたのは、歩行者が道路の右側を歩くとき、後ろから車がぶつかったのでは避けきれないけど、前からぶつかってきたら避けられるだろう。だから車は左側通行さ」ということで納得してもらえた。ほんとうかわからないが、学校でも警察でも教えてくれないので仕方ない。

さて、中学生くらいになると

 「酒やタバコはどうして20歳以上じゃないといけないの?」である。さあどう答えよう。「生意気なこと言わないで言った通りにしなさい」「規則でそうなってるの」「警察に捕まるから」では、答えになっていない。私の場合は、まず、体に悪影響を与えること、酒やタバコなどの嗜好品を買う経済力がないこと、精神的に未成熟なため受け入れる器量がないこと、このため犯罪に結びつき安いこと等で説明したが、どうも納得しない。少なくとも自分(私の子供)には酒、タバコをたしなむ資格がないことは理解したが、体に悪いのは大人も一緒じゃないか、20歳未満で経済力があればいいのか、犯罪に結びつき安いのはみんな同じじゃないかの反論である。経済力があって、犯罪に結びつかない場面での嗜好品としての飲酒・喫煙は許されるかもしれない。さあどうしよう。

ここでふっと頭をよぎった、

 マラソン選手、トライアスロン選手、プロボクシング選手、登山家などの過酷なスポーツに20歳未満の人が少ないことである。これは、未成年者が体格は一人前でも全体的なバランスにおいて不安定で、過酷なスポーツに耐えられないことを示している。このような未成年者が酒、タバコを摂取した場合その影響は多大である。確かに大人の体にも害を及ぼすが、一応安定した耐久力を持っている。したがって、未成年の酒、タバコは体に与える影響を考慮して禁止である。

私の子供は一応納得した。

 しかし、これもほんとうかどうか解らない。これを覆す事実が出てきたらどうしよう。「酒、タバコは体に悪い→税金を払っていない身分で病気をすることは許されない→よって禁止」とでも言おうか?じゃあ税金払っていれば許されることになるが・・・・、専門家の先生、本当のところを教えて下さい。

ポイ捨ては悪いと解っていて捨てる馬鹿がいる。

 100個のゴミをポイ捨てしたら、100カ所にゴミが分散する。これを掃除するためには100カ所を回って回収しなければならない。ポイ捨ては1動作で簡単だが、回収するのには①ゴミのところまで行って、②かがんで、③ゴミを拾って、④ゴミ箱まで行って、⑤ゴミ箱に入れる、という5動作を必要とする。ポイ捨て1回につき、誰かにその5倍以上の労働力を強制していることになる。ゴミの回収費用が膨大になるのが解る気がする。しかも、捨てた場所が山の中や川の中、高速道路やがけの下などではもっと労力がかかる。また、雨風で散乱したり、ガムのようにこびりついたりではさらに労力を要する。ポイ捨てがこれほど迷惑であることを認識してもらいたい。ポイ捨てではなく、①ゴミ箱のところまで行って、②ゴミを捨てる、という2動作は最低限やってもらいたい。それでも、ゴミ箱から先の処分は誰かに迷惑をかけているのである。

ペットの犬の糞の始末もそうである。

 ゴミならいざ知らず他人の得体の知れない犬の糞の始末をしようという勇気はちょっと持てない。何人かの心ない人が居るだけで毎日繰り返されると道路際は犬の糞だらけになる。放置された犬の糞は雨風にさらされて、粉末となり、ほこりとなって風に舞いみんなの鼻や口から侵入している。美観を損ない、みんなに迷惑をかけているのである。犬の糞は飼い主が責任を持って処分しなければならない。

たとえ話が長くなったけれども、

 学校で、家庭で、職場で規則に対する疑問に的確に答えているだろうか?疑問に的確に答えられる情報が規則を定めた国や都道府県、市、町、村、自治会、会社などから流されているだろうか?みんな納得しないまま、規則だからと仕方なしに従っているのではないだろうか?これでは、反対にどうでもいい規則になってしまい、みんなの遵法精神が育たない。みんなが納得し理解して決めた規則に気持ちよく進んで従える社会にしたいものだ。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドライバーの意識に見る世相... | トップ | 野菜、果物の栄養が失われている »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事