オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

罰則の強化

2023年07月18日 | Weblog

政府は大げさな事件が多発して、世の中で騒がれるようになると、

 対策として罰則の強化を持ち出す。しかし、よく考えるとその効果はあまりあるとは言えない。例えば、懲役が1年だからやろう、10年だから止めようなんて考えて犯罪を犯す人はほとんどいない。たぶん見つからないだろうと思ってやってみた結果懲役刑に処せられたと言うのが本音だろう。そうであれば、犯罪を犯す前に、やったら見つかって処罰されるぞ、という犯罪抑止の方が大事だと思う。

そのためには、犯罪を探知して検挙することがより重要である。

 罰則はそのあとの話であり、犯罪を犯して検挙された者にとっては結果であって、懲役が何年になろうとどうしようもない。周囲で同種の犯罪が確実に取り締まられて検挙されているのが明確であれば、これ以上の犯罪抑止はない。誰も犯罪に手を出さないだろう。犯罪が見過ごされて世の中に蔓延って、犯罪に成功してのうのうと生きている輩がたくさんいるから犯罪に手を出す人も増えるのだろう。

警察や検察のお粗末がこのところ目立っている。

 冤罪事件にしても、捜査ミスにしても、未解決事件にしても、国際的な犯罪や最新の犯罪や詐欺事件にしても問題点山積みのようである。日本の伝統的な警察組織は優秀で海外でも評判でお手本にされていた時期もあったが、それはとりもなおさず日本人の誠実さと勤勉さとお行儀良さに支えられていたのであり、警察だけの手柄ではなかったようである。ここにきて日本の伝統的な警察は次第に時代遅れになりつつある。

今の警察や検察は近代化に乗り遅れている。

 国際化や科学技術の発達や流動化・不安定化や国民の意識の変化に対応できていない気がする。最も改善すべきは組織や体制もそうだが、考え方における「自白主義」だと思う。自白さえ取れれば犯罪は解決と言う考え方はなくさなければならない。犯人が明白であっても犯罪捜査が合法でなかったことを証明できればその犯人は無罪なのである。袴田冤罪事件がまさにそうで、未だに解決していない。

裁判で無罪になっても、真の無罪ではない。

 有罪が証明できなかったのである。有罪が証明できなければ無罪なのである。疑わしきは罰せずと言うが、これが今の世界的常識なのだろう。自白を取り付ければ有罪を獲得できるという時代は終わったのかもしれない。自白を強要するなんてもってのほかである。昔の警察や検察にはそんな傾向があり、自白に基づいて証拠をそろえるなんてことがまかり通っていたようである。

この頃は、「精神鑑定」という解決策が発現している。

 犯人を精神鑑定にかけて、医者に鑑定してもらい、精神異常を理由に事件解決とする手法である。精神異常での犯罪であれば、警察や検察の捜査や調査は軽減され、犯罪の真実を追求し立証する必要もなくなる。ただ、医者の鑑定が正しいのかは誰にもわからない。医師の診断でしかないが、精神鑑定には曖昧さが付きまとうのは免れない。言い方は悪いが交通事故のむち打ち症等と同じで、いかようにも診断できそうである。たとえ精神異常であっても犯した罪は免れないと思う。

戦後の組織改革を免れたのは、

 警察と検察と宮内庁である。GHQにとって治安維持と天皇制を継続させることは日本国を安定させるために必要だったのだろう。そのまま残された形になっているようだ。そのために、警察や検察の組織改革は取り残されたままである。中央と地方が重複し、警視庁と警察庁が入り乱れているし、内部組織も刑事と警備(公安)の関係がぎくしゃくしているようである。我々一般人にはわかりづらい組織になっている。国際犯罪や広域犯罪にもネットワーク犯罪にも有効に対応できなくなっている。少しずつでも改革が必要ではないかと思う。

話はそれてしまったが、

 刑事罰を強化することは犯罪抑止にはあまり貢献しないと思う。それよりも、今ある犯罪を少しでもなくす努力をすべきである。言い方は悪いが、犯罪を犯す側に対しての「見せしめ」が一番効果があると思う。悪いことをしたら捕まることを身をもって痛感することが一番の犯罪抑止になると思う。そう考えて周囲を見回すと、放置されたままの犯罪があまりにも多すぎる気がする。市民の協力を得た警察による地道な犯罪対策が欠かせないのだろう。


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