オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

危機管理の誤解

2012年03月01日 | Weblog

日本では、日本語の「危機管理」と言う言葉が具体的に定着していなくて、

 言葉ばかりが先行して、何でもかんでも「危機管理」で済ませてしまっている。呪文のように唱えると安心できるようであるが、具体的な中身については空っぽのままである。だいたいが、日本には危機管理の思想が乏しいのではないかと思ってしまう。農耕民族の性かもしれないが、危機は受動的に受け止めてしまう素質が身体に染み付いているようだ。自ら危機に挑戦しようと言う気概が乏しいようである。なるようにしかならない、どうなるかは神のみぞ知る、起こった時に対応するしかない、と言った感じであろうか・・・。確かに、起こる前に様々な対策を施す手間よりも、起こった時に個別に対策した方が効率的であるという考え方もある。

全ての事故に対して保険をかけるよりも、事故が起こった時にその都度個別に対応したほうが安上がりだと言う論法もある。

 このことを厳密に考え推し進めるのが危機管理ではないかと思う。事前に準備すべきことと、事故が起こった時の損害の程度を調和させることが危機管理だろう。事故が起こった時の損害分の費用を事前に準備する費用に最大限使用できるが、通常は、全ての費用を使い切ることはない。その程度をどのくらいにするのかを厳密に考えなければならない。そして、何をどの程度準備するかを決定するのが危機管理の始まりである。危機による損害をマネージするのである。当然事前の準備をしっかりすれば、事故の損害を軽減できる。完璧に準備すれば事故は完全に防止できると思ったら大間違いで、事故の確率はゼロにはできない。それでも起こるであろう事故に対してある程度準備するのが危機管理である。

危機管理のためには、全ての危機を洗い出さなければならない。

 これを明確にすることがスタートラインである。そして、それらの個々の危機に対して事前にどれだけ準備しておくかを決めていかなければならない。全く想定していないと言うことは有り得ないのである。何が起こっても何がしかの対策を考えておくことが危機管理である。日本の場合は、すべての発生するであろう危機についてマニュアル化することを要求しているようだが、これは困難であるし幻想に過ぎない。完璧なマニュアルなど存在しない。生起する確率の少ないものに対しては、大まかな対処要領を決めておくにとどまるであろう。ここまでやっておくことが平時の危機管理の準備事項である。

そして、事故が起こる。

 さぁ、これからが危機管理の重要な部分である。対処マニュアルにきっちりと決められているような事故であれば「危機」ではない。マニュアル通りに対処すればいいのである。しかし、事故には必ず不測事態が発生する。この不測事態に対処しなければならない。ここの部分は担当者が状況判断し決断し新たな対応策を実行してゆかなければならない。事故が起こった後のやるべきことは、この不測事態にどのように対処してゆくかである。これができなければ危機管理はできない。端的に言えば、状況を判断して現段階で最適の決断をし実行することである。決心することが危機管理であり、その決心を誰に権限を持たせるかを明確にしておくことが重要である。権限を与えなければ誰も実行することはできない。権限の重さに応じて許可する者は上位の者になるだろうが、これを明確にしておくことが平時の準備であろうし、事前のシミュレーションであり訓練であろう。

最悪の場合は、事前のマニュアルにも一切ないことにも対処しなければならない。

 誰が判断し決断するのかも明確ではない。このときの判断は、権限の委譲である。誰が判断し決断すべきかを的確に判断して組織に徹底することが重要なことである。そうでなければ組織は全く動かない。権限の委譲も危機管理の重要な部分である。決して責任回避であってはならないが、現時点での最も適任の責任者を選定して決断し、組織に徹底することも危機管理上重要である。全てを自分で決定しなければならないと思い込むのは危機管理上の阻害事項以外の何者でもない。たとえ、最高責任者であってもあってはならない行為である。反対に、上位の責任者の「誰がいつ何を判断し決断すべきか」を客観的かつ理論的に判断することが組織行動を促進する重要な要素である。このことは、上位の責任者が自己の地位と役割を明確に自覚しているかどうかが問われている。しつこいが、たとえ、最高責任者であってでもである。

危機管理を何でもかんでもマニュアル化する意見がある。

 私はこれに反対である。マニュアル化すればするほど硬直化してしまうし、マニュアルにがんじがらめに縛られて動くこともできないし、マニュアル通りに行動することは、重要な状況判断や決心をしていないに等しい。マニュアルはあくまで一定の基準で、重要なことはこの基準に基づいて、状況に応じた判断と決心をすることである。その能力は「人間」に任されているし、適切な「人間」による判断と決断がない危機管理は混乱するばかりである。責任権限を徹底的に明確にして組織を硬直化させることに対しても反対である。組織の柔軟性こそ危機管理の実効性を担保するものである。

危機管理に対処するために「マニュアル化」や「手段」や「道具」などについて充実することを訴えるが、

 危機管理の主体は「人間」である。「人間」が判断し決断し実行しない限り危機管理は達成できない。危機管理はマニュアルにない、手段が確立されていない、道具が使えない状況で何らかの対応を要求されるのが常である。人間の創造力をもって既存のものを利用して、時には新たなものを創出して対策を作り出さなければならない。そして、そのような「人間」を平時から養成し組織化し訓練し権限を与えいつでも活動可能な状況にしておく必要がある。日本に欠落しているのはこの部分であり、3.11の教訓でもこのことは明確である。いくらマニュアルを作っても、実施手順や組織を充実しても、コントロールセンターを作っても、最終的に危機管理の実行能力を左右するのは有能な「人間」による適切な対応である。そのような「人間」が有効に対応できる環境を整えるのが最重要だと私は思う。


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