本当に便利なものと、ないよりもあったほうが良いくらいのものもある。
ユビキタスなんて訳の解らない専門用語が飛び交い、いつでもどこでも誰とでも情報交換ができる世の中になるそうであるが、果たしてそこまで必要かというと首を傾げてしまう。インターネットも普及してきたが、画像、映像を駆使したコンテンツに変わりつつあり、データ量も爆発的に増大し、従来のネットワークでは抱えきれなくなっている。テレビのディジタル放送も始まるそうである。技術が発展し我々がその恩恵を得ることには大賛成であり、技術の進歩に追随することはある程度現代社会を生きるための常識になりつつある。しかしながら、我々の生活に密着したものと技術の進歩はだんだんと乖離しつつあるのではないかと危惧するものである。
どこででも電話ができる携帯電話は便利であるが、
冷静に考えてみると、一般人の生活でどこででも電話をする必要性があるのだろうかと思ってしまう。特殊な職業の人で本当に必要な人もあるだろうが、それ以外はほとんど必要ないと思う。ところが、どこでも電話することが可能なために一般人も真に必要もないのに電話をかけて便利を享受している。できるからやっているだけであり、できなければやらないのである。その中身はほとんどお遊びで、本当に必要かは疑問である。本当に必要であれば公衆電話を使えば済むし、そのくらいの緊急性と重要性価値しか認められない。そして、便利だと思っている携帯電話は反対に必要のない無駄な労力を費やし無駄な通話と所用を増大させる。当然使った分の通信料も払わされ通信料も高い。
私の携帯電話は緊急の時にしかかかってこない。
こちらから無駄な通話をしなければ相手からも無駄な通話は返ってこない。昔であれば緊急事態に迅速に対応するためには、電話(固定電話)口に待機していなければならなかったが、携帯電話のおかげで行動の自由を獲得することができる。携帯電話を持つと行動が縛られると言う人がいるが、最初から行動が縛られている人は行動の自由が獲得できるのである。縛られたくなかったら携帯電話を持つ以前に職業の選択を適切に行う必要があるし、出る必要がなければ電源を切ればいいのである。困るのはいたずら電話である。私は携帯電話が鳴ると何か緊急事態ではないかとドキッとする。結果がいたずら電話であった時には腹が立ってくる。あまりにひどいと着信相手の選択機能を使っていたずらを撃退しようと思っているが、電話本来の利便性を欠くし、今のところ我慢の限度内にあるのでそのまま使っている。
電車の中や町中で携帯電話の使い方を見ていると、
まるで中毒症状ではないかと思える人達がいる。常に画面を注視しながらボタンを押しまくっている。何をあれだけやらなければならないのか理解に苦しむ。たかが電話であり単なる道具である。人とのコミュニケーションを大切にしたいのなら、携帯電話ではなく直接会って会話することを目指すべきである。ひどい時は友達と面と向かっているのに、お互いに携帯電話で誰か別の人にメールをしている。おかしくて笑ってしまうが、本人達は真剣なようである。このような人達は携帯電話がなくなるとパニックを起こしてしまいそうであるが、昔携帯電話が普及していなかった頃はこんなことはなかったはずである。携帯電話を何に活用し具体的にどんな利便性が生じているのだろう。どう考えても遊びの領域を出ていないように見える。携帯電話を有効活用しているのは出会い系サイトとか通信販売とか勧誘電話の分野だろうが、これにしたって迷惑行為を振りまいているようなものである。
私はインターネットで映像を見るつもりはあまりない。
それよりも、現在のテレビ、ラジオ、新聞、書籍、雑誌、電話、FAXそしてインターネットをひとつのメディアにしてもらいたい。技術的には十分可能なことであるが未だに実現しない。リソースセンタと配信センタと伝送路があれば十分可能なことである。このハイテクの時代に何故それぞれがバラバラに存在しているのか不思議でたまらない。技術は進歩しても社会の体制は遅々として進まない典型だと思う。テレビのディジタル放送よりもビデオ配信センタのほうが利用者にとってよっぽど便利だと思うし、利用者が選択権を持っているので無駄もなくなると思う。コマーシャル漬けのテレビ番組はうんざりであり、内容のないバラエティー番組はゴメンこうむりたい。また、情報の伝達はテキスト文書でほとんど要求を満たしており、どちらかというとテキスト文書のデータベースをもっと充実してもらいたいと思っている。画像や映像などは個人的利用には臨場感や迫力を増すためのおまけにしか過ぎない。
技術が進歩し、いろいろなサービスが可能になったが、
本当に必要なサービスは別の所にあるのではないかと思ってしまう。今自分が不自由していることを実現してくれるのでなく、別の方向に発展しようとしている気がしてならない。私が欲しいのはテキストベースでも構わないが、自由に検索できる知識データベースである。その要求を満たすのは現在の所電子百科事典であろうが、現在の電子百科事典は紙ベースのものを電子化しただけの域を出ていない気がする。これをリアルタイムの知識にできればもっと便利だと思う。すでにデータとしては揃っているのだろうが、統合され体系化されていない欠点がある。全てが個別に存在している気がする。個別の技術は飛躍的に進歩しているが、これらを有機的に統合することはできていないのではなかろうか・・・。
高機能な道具と膨大な情報を突きつけられてもとまどうばかりである。
あれもできますこれもできますと言われても困ってしまう。それではと、あることを自発的にやろうとするとなかなか思った通りにはできないものである。使い込むと不完全なものばかりである。個人レベルで必要とする機能はそんなに大それたものではない。私なんか、個人で必要な機能は手帳サイズのPDAで済んでしまうくらいである。過去現在未来の個人のデータベースはほとんどこの中に入ってしまっている。それでも余裕があるので電子書籍を20冊くらい常に持ち歩いている。MPEGで写真も扱えてMP3で音楽も聴けるが、別の記憶媒体を準備しないと無理だし、容量的にはちょっと無理があるようである。これで映像もと欲張ればきりがなく、反対にデータ管理に翻弄されることになりそうである。現在のままで特に問題ないが、解決して欲しいのは電池の持続時間であり、鮮明な画面(白黒でも可)であり、テキスト入力機能の向上である。
PDAでメールを受信したければ公衆電話を利用する。
赤外線通信が利用可能な公衆電話は重宝している。受信するのに2分とかからない。メールと言っても1日分をまとめて1回受信するくらいで、生活の中に取り込めば公衆電話利用も苦にならない。いつでもどこでも受信できる必要はさらさら無いし、そのために時機を失するような緊急のメールもない。第一そんな忙しすぎる生活を送りたくはない。自宅にはパソコンもあることだし・・・。PDAでインターネット利用も可能だがほとんど使っていない。利用可能なことと、本当に利用できるかは別問題だし、PDAでインターネットを利用する必要性も見あたらない。もしあるとすればテキスト中心のコンテンツになろうかと思うが、それであれば定期的なメール配信の購読で十分である。
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