オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

ハラスメントの洪水

2024年05月18日 | Weblog
何でもかんでもハラスメントである。  いい加減にしてほしい。もうこの辺でカタカナ英語の「ハラスメント」を日本語に翻訳すべきだし、新しい概念で日本語にないというなら新しい日本語を作るべきだ。私もいろいろ考えたが、従来の日本語で「いびる」という言葉がある。「ハラスメント」はこの「いびる」を名詞にした「いびり」でのいいのではないかと思っている。本来は火にあぶって焼くことであるが、しいたげ苦しめ、いじめ . . . 本文を読む
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アンチエイジング

2024年05月13日 | Weblog
「アンチ」とは抵抗のことである。 年齢は受け入れればいい。年齢に抵抗して戦う必要はない。年齢を考えるのは人間くらいで、数字を発見したばかりに年数を数えることを覚えてしまったが、その数字にあまり意味はない。毎年繰り返される歳に名前を付けて区別しているだけで、一年の繰り返しにそれほどの違いはない。いつも通りの一年を繰り返せることに感謝しなければならない。その繰り返しの中に進歩があり進歩の履歴が自分の人 . . . 本文を読む
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民主主義は民衆主義

2024年05月12日 | Weblog
「民」が「主」であることには誤解が多い。 民が主(あるじ)に仕立て上げられている気がする。本当に民が主(あるじ)であれば、政治が気に食わないなら倒せばいい。企業の不正がどうしようもないなら潰してしまえばいい。民主主義がなかった頃には政治を自分達で改革し不当に搾取する会社があれば敢然と戦って自分たちの権利を守った。日本の現在の社会でこんなことができるかと言うと疑問であるが、本来は民主主義という仕組み . . . 本文を読む
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幸運のつかみ方

2024年05月03日 | Weblog
運は万人に平等に与えられている。 この運を見逃さないで自分のものにするのが幸運の持ち主である。そのためには何をしなければならないか考えてみた。運には幸運と不運があるが、どちらも運であることには変わりない。幸運を見逃さないで生かして、不運による被害を最小限にする努力を怠らないことが幸運の持ち主であるかもしれない。なおかつ不運を踏み台にしてさらに向上することを目指すことによって不運さえも幸運にしてしま . . . 本文を読む
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金儲けは個性を潰す

2024年04月19日 | Weblog
金儲けをするためには大衆を相手にしなければならない。 個性的なお客を相手にしていては販路を拡大できない。かといって世にありふれたものを売っても売れない。個性的と思われるものを持ち出して、大衆に宣伝して買わせようと努力している。しかし、大衆がそれを受け入れた時はそのものは既に個性的なもではない。大衆とは大多数の標準的なグループであり、大衆が受け入れたものは既に個性的なものではない。常に新しい個性的な . . . 本文を読む
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偏差値教育の弊害

2024年04月17日 | Weblog
自然界の現象は統計を取ると標準偏差の曲線になる。 ただし、要素を別のものにすると、同じような標準偏差曲線を描くが、横軸の対象は全く別の動きをしているし、一つの対象がどの統計でも分布曲線の上位または下位に常にあることはない。通常はほとんどが中央の正規分布に収まっている。そして、どんな現象であっても一部特異な数値を示す対象があるが、それはそれぞれの個性であって決して否定されるものではない。かえって、そ . . . 本文を読む
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価値は創造するものである

2024年04月15日 | Weblog
その価値を創造するのは個人であり、私自身である。 価値は無限に創造できる。簡単である。自分で価値を認めれば、どんなものでも価値あるものとなる。ただの石ころであっても自分なりの価値を認めれば、価値あるものに変化し、その石ころを自分なりに加工すればより高い価値のものに成長してゆく。石ころは世界中のどこにでも転がっており、タダ同然である。最初の材料は地球上に存在するもので、これを加工してより価値の高いも . . . 本文を読む
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アンポ反対

2024年04月08日 | Weblog
60~70年代に展開された安保闘争である。 私は小学校、中学校の頃で、大人達が何で血相を変えて騒いでいるのかがよくわからなかった。また、反対ありきで中身は何も見えないし伝わってこなかったのを覚えている。大学入試の時もまだ全国の大学で学生運動が続いており、学園は荒れに荒れていたのを思い出すが、私にはほとんど関心がなく、有り余ったエネルギーを体制批判にぶつけているだけにしか見えなかった。みんながやって . . . 本文を読む
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主体性と情報発信

2024年03月26日 | Weblog
偽情報が騒がれている。 偽情報であっても発信者がいるのであろう。その発信者がはっきりしていれば、偽情報ではなくなるし、その情報の真意を発信者に確かめることができる。その情報に対する責任もはっきりする。そうであれば、なぜ偽情報が世界を飛び回っているのだろう。原因ははっきりしている。情報の発信元がわからない状況で発信している又は発信されているのである。そうであれば、すべての発信されている情報に発信元の . . . 本文を読む
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グローバリズムとナショナリズム

2024年03月24日 | Weblog
バイデンさんとトランプさんの戦いを見ているとこの言葉が浮かんでくる。  徹底したグローバリズムも徹底したナショナリズムも現実には存在しない。いずれも考え方で、現実を前にしてはどうしようもない矛盾が生じるばかりである。現実は、ある時はグローバリズムをある時はナショナリズムを適用して対処してゆくのであろう。そして、結果的にはグローバリズムとナショナリズムの中間を目指して調和を図ってゆくのだろう。東洋 . . . 本文を読む
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政府の経済対策

2024年03月20日 | Weblog
マイナス金利政策を脱却してプラス金利になるらしい。  これは私にとってどんな意味があるのだろうと改めて考えてみた。貯金の金利がプラスになり、借金の金利もプラスになる。貯金のプラスは私の収入になるが、借金のプラスは私の支出となる。これに対応するためには「借金をしないで貯金をしなさい」と言うことらしい。難しいことを言わないで、簡単に考えたらこういう結論に落ち着く。結局は借金している人が損をして、貯金 . . . 本文を読む
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人は何のために生きるのか

2024年03月14日 | Weblog
日本国民の多くが何のために生きているのかで悩んでいる。  その悩んでいる人の中のほとんどは、考えても仕方ないと途中であきらめて放置したままで生きている。胡麻化しながら生きているとも言える。本当に真剣に考えだしたら、見つからない答えを見つけようとして、見つからないことに絶望して生きることができなくなる。最悪はこんな自分の人生を悲観して自死に走るかもしれない。自死も一つの逃避であるが、自死で問題が解 . . . 本文を読む
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高校運動部での暴力事件

2024年03月09日 | Weblog
あちこちで発生しているようだ。  学校は事件が発覚すると、当該運動部を活動停止し、連盟に報告し、対外試合禁止処分とするのが定例となっている。最終的に高校側は対象者を校則違反として謹慎処分などの処置をして、終わりになっている。果たしてこれでいいのだろうかと思ってしまう。そして、時が経てばまた元通りになって、何もなかったのように活動開始され、試合出場も許されている。これで本当に問題が解決しているのだ . . . 本文を読む
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野良熊

2024年03月06日 | Weblog
近くの郊外を20年以上ウオーキングしているが、  観察していると、野良猫、野良犬は人間の住居近くにしかいないことに気づいた。特に野良猫は人家近くでしか見ない。犬は時々人里離れたところで見ることはあるが、リードが外れた迷い犬であることがほとんどである。何でだろうと考えてみると、野良猫、野良犬は人間とともに生きているのである。反対に言うと、人間のいないところでは生きていけ . . . 本文を読む
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無限大の可能性

2024年03月05日 | Weblog
若者に対してよく使われる。 無限大の可能性があるということは、一つ一つの可能性は無限大分の一であり、ほとんど可能性がないに近い。あらゆる可能性を持ってはいるが、ある一つの可能性は極小の実現の可能性しかないこととなる。果たしてどの可能性が将来実現するのかはやって見なければわからない。結局は宝くじより確率は低いが、宝くじでも必ず当たりはあるのである。無限大という考え方は面白い。 数字には自然数、整数、 . . . 本文を読む
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