池田高校が結果的に日本の野球レベルを上げた

 以前も記したように40年前の今頃は池田高校の全盛期で82年夏と
83年春の夏春連覇を果たし83年夏の優勝も確実視されており、池田
高校を倒すのはどこか?が焦点になっていた。

 ‘やまびこ打線’と言われる強打を看板に圧倒的な強さを誇っていた
のだが、実は池田高校こそ大谷翔平をはじめとしたMLBで活躍でき
る選手達を生む土壌を作ってくれた功労者ではないか。

 池田が一時代を築くまで高校野球は投手を中心とした固い守りで
少ない得点を守り切って競り勝つスタイルが主流だったが、ライト
の守備位置などプロの2塁手が深く守るぐらいの所にいたのが印象
的で打球がそれぐらい弱かったし飛ばなかったという事だろう。

 ところが池田の登場から守備位置は深くなり、肩の強さや足の速
さがより要求される事になった。

 池田以前の高校野球のHRはラッキーゾーンを辛うじて超えるレベ
ルでスタンドに打ち込んだ選手は個人的に原辰徳ぐらいしか見なかっ
たし、バックスクリーン付近に打ち込んだのは鈴木康友や香川伸行
や伊東勤らプロで活躍した選手でなければ無理だった。

 ところが82年夏の2回戦&3回戦で池田の8番・山口博史が2試合連
続でバックスクリーンに打ち込んだ頃から、高校生でもバックスク
リーンに打ち込むHRが出る時代になり現在に至っている。

 地方の公立普通校が一時代を築いた事からパワー野球が主流にな
り、それをPL学園や大阪桐蔭がバージョンアップさせた形で日本の
野球レベルが上がっているのを見ると飛ぶボールやバットを使って
いたとはいえ以前は打球が飛ばなかったのだから池田の功績は大き
いだろう。

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