三浦知良が全国区になって30年

 今から30年前の今日92年11月3日はサッカーアジア杯1992広島
大会グループステージ最終戦で日本はイラン相手に1-0で勝ち、
グループステージを突破し結果的に準決勝で中国を決勝でサウジ
アラビアに1-0で勝って優勝へとつなげた形になった。

 この時の日本はUAEと北朝鮮相手に引き分け勝ち点2だったのに
対しイランは別グループのサウジと並ぶ優勝候補で、すでに1勝1
分で勝ち点3を挙げており日本は勝たないといけない立場だったが
イランの強固なディフェンスを崩すのは容易ではなかったし悪い
事に司令塔のラモス瑠偉は腹痛でこの試合を欠場していたのだ。

 このまま引き分けかと思われた残り3分で三浦知良が浮き球を見
事に決め、この1点が決勝点になり1-0で勝った日本は準決勝進出
となったわけだが個人的に三浦知良はこのゴールで全国区になった
と思っている。

 三浦知良は静岡学園を中退してプロになるため単身ブラジルに
渡航し4年後86年にサントスFCとプロ契約を結ぶと活躍し始めサッ
カー好きの間では話題になっていた一方、一般人にとって80年代
はサッカーは今ひとつマイナーだった事もあり知名度は今ひとつ
で字は違うものの呼び名が同じ某事件の容疑者と間違われる始末。

 それでも90年に日本に帰国し読売クラブでプロ契約して代表に
選出されるもチーム自体は前年のW杯アジア1次予選で敗退してい
たし、90北京アジア大会でもバングラデシュに勝つがサウジに敗
れ辛うじて進出した決勝トーナメントでも準々決勝でイランに敗
れるなどW杯出場など冗談としか思われてなかった。

 ところが8月の初優勝したダイナスティ杯の北朝鮮戦で代表初
ゴールを挙げるなど活躍し、迎えたアジア杯大一番のイラン戦で
残り時間僅かの中での決勝ゴールは一気に一般人への知名度を上
げた形になった。

 そこから93アジア1次予選初戦のタイ戦での先制ゴールや最終
予選での韓国戦など印象に残るゴールを量産し、日本サッカー界
の顔となったわけで第1歩がイラン戦のゴールだったと思う。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
足に魂こめました (ただのスポーツ好き)
2022-11-20 22:07:12
この試合の後のインタビューでカズが語った言葉が後に出版された「足に魂こめました」のタイトルの元となったわけですが、この勝利が日本代表のアジアカップ初勝利でカズにも代表にも記念すべき試合となりました。
しかしあの時から30年後にカズが現役選手でいるとは思ってもいませんでしたが。
 
 
 
そうでしたね (こーじ)
2022-11-20 22:34:50
>ただのスポーツ好き様

 いらっしゃいませ、初めまして。

 確かにそれまでアジア杯には日本自体が本気ではなかったようですから、この大会が初めて本気で臨んだ大会で最初のUAE&北朝鮮と引き分けでしたからイラン戦が初勝利ですか。

 30代後半でもプレーするのか?と言われ、年齢的に無理だと言うとラモスに怒られると語ってましたけどラモスを越えましたからね。
 
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