ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
津田恒実の最後の登板から30年
今から30年前の今日91年4月14日に広島市民球場で行われたカープ
ージャイアンツの3回戦で、ジャイアンツは0-1とリードされた8回
表に2点を取って逆転勝ちした。
この試合は北別府学と吉田修司の先発で始まりカープが1点を先制
して迎えた8回にリリーフで登板した津田恒実から、ジャイアンツは
川相昌弘&フィル・ブラッドリーのヒットでノーアウト2・3塁のチャ
ンスを作ると原辰徳のタイムリーで追い付き2-1と逆転しリリーフ
登板の桑田真澄がセーブを挙げて勝ったのだ。
この年に津田は左の大野豊と左右のダブルストッパーという形で
起用を予定されており、ジャイアンツにしてみると厄介な津田を打
ち崩しての逆転勝ちだったので大いに盛り上がったのだが、まさか
津田のラスト登板になるとは思わなかった。
当時ジャイアンツを応援していた私にとって津田の存在は嫌なも
ので彼が登板すると逆転勝ちは厳しかったし、特に86年など天王山
と言われた9月24日の試合で9回2アウト1塁で原がファウルで粘って
いるうちに手首を骨折するなど凄まじいストレートを投げていたの
が象徴的だ。
それが度重なる故障で前年は登板がほとんどなくジャイアンツが
独走できた原因の一つになっていたが、この年に復帰して初対戦で
打ち込んで逆転勝ちしたのだから嬉しかった一方で故障が治りきっ
てないまま投げたのかと思っていたら当然のように二軍落ちしほど
なく‘水頭症で入院’という記事が載ったので‘やはり’と思ったものだ。
ちなみにこの年のカープは投手陣はいいものの打線に迫力がない
ので優勝はないだろうと思っていたし、リーグ三連覇を狙ったジャ
イアンツを尻目に星野仙一監督率いるドラゴンズが快調に飛ばして
独走に近い状態だったからドラゴンズの優勝と思っていたらカープ
が驚異的な追い上げを見せ逆転優勝したのだった。
佐々岡真司・川口和久・北別府学の三本柱にリリーフの大野豊の
存在も抜群で、盤石の投手陣を誇り日本シリーズでも前年ジャイア
ンツに4連勝と圧倒したライオンズ相手にG5まで3勝2敗とし先に王
手をかける健闘を見せた。
それから2年後に津田が脳腫瘍で亡くなったのを聞いて結果的に
最後の登板になったジャイアンツ戦の様子や、カープが奇跡的な追
い上げで逆転優勝しライオンズに肉薄した理由が分かる気がした。
それにしても福岡時代の師匠が亡くなった済生会福岡総合病院で
津田も亡くなるとは思わなかった。
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>済生会福岡総合病院
こちら、美空ひばりも入院していましたね。北の湖が亡くなった病院でもありました。
それにしてもこういうがんはどうしようもないですね。
ここは福岡版慶應病院みたいな感じで、けっこう有名人が入院するわけでしょうね。
逆に言えばここでダメだったら仕方ないという所だという事になりますね。
最期の登板で140㌔投げたというのも、津田本人の執念だったのでしょうが・・・