福岡時代の師匠が亡くなって昨日で30年

 今から30年前の昨日91年4月13日未明に福岡時代の師匠・赤司
賢三先生が59歳で亡くなった。

 30年前の4月13日は土曜日だったのだが11日夜に‘危ない’という
連絡を受けて入院先の済生会福岡総合病院に向かったのだが、幸い
この時は持ち直したものの翌12日夜に再び危篤の連絡が入り営業終
了後駆け付けてから2時間ほどして息を引き取られた。

 以前も記したように前年の11月に数え年で行う還暦祝いをした
のだが、翌年の1月28日に行われたOB会の新年会で入院が伝えら
れ肝臓に腫瘍がある事を奥さんから告げられたのだから驚いた。

 それにしても、まさかこんなに早く逝くとは思わなかったのだ。

 師匠は父の修業時代の兄弟子で一緒に働いていたわけだが厳し
いので有名だったので親が修行先に頼んだわけだが、当時として
は決して珍しくなかった職人上がりのタイプだったから営業中に
ミスすると蹴りが入っていた。

 特に私の場合は不器用で覚えも悪かったし、かわいがっていた
後輩の息子だからという事からか非常に強い責任感を持たれてい
たようだから余計に風当たりが強かった感じだ。

 ただし修行というのは理不尽さに耐える事もその一つだから想
定の範囲内だったわけだし、仕事を離れると人情味熱い師匠だっ
たからOB会で卒業した先輩方との姿を見ていると‘早くあんな感じ
になれれば’と思っていたのだが果たせないままになってしまった。

 特に福岡ではシャンプーと髭剃りという基礎部分を徹底的に鍛
えられ、それが今でも生きているのだから感謝しかない。

 父の話によれば若い頃は相当やんちゃをしていたようだし師匠ji
自身も`オレは他の人の半分しか生きられなくてもいいので、太く
短く生きたい’と生前語っていたのを聞いた事があるが、まさかこ
こまで早く逝かなくてもいいだろうと思ったりする。

 ちなみに土曜未明に亡くなったので通夜が日曜夜で葬式は月曜
日と、仕事に支障がないような形になったのも偶然かもしれない
が我々への配慮に見えてしまう。

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