ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
初めてアユブ・カルレを見た日
今から40年前の今日79年10月24日に秋田で行われたWBA:
Jミドル級タイトルマッチで、王者の工藤政志は挑戦者で1位の
アユブ・カルレに大差の判定で敗れ4度目の防衛に失敗した。
前年8月に当時の王者エディ・ガソに2-1の判定勝ちでタイ
トルを奪取した工藤は朱虎とマヌエル・ゴンサレス相手に3度
の防衛に成功し、1位にランクされているカルレとの防衛戦を
義務付けられていた。
カルレはウガンダ生まれでデンマークをホームリングにして
おり、74年の世界選手権で金メダリストを獲得し前年には英連
邦タイトルを奪取して1位に上がっており対戦前から‘工藤危う
し’というムードが漂う。
アマレス上がりの工藤は筋骨隆々とした体躯だったがカルレも
負けないぐらいの筋肉質な素晴らしい体をしており、戦う前から
王者の雰囲気を醸し出していた。
試合が始まると両者のスピード差が顕著に見られサウスポーの
カルレは素早い右ジャブを突きながら左を打つと見せかけ右アッ
パーで工藤のガードを跳ね上げ、間髪を入れずに左ストレートか
ら右フックの返しをヒットするなどタメ息が出るような素晴らし
いコンビネーションを見せる。
‘カルレはカルロス・モンソンに匹敵する中量級のハードヒッター’
とデンマークの新聞で書かれていたのだが、タフな工藤は何とか
ダウンを拒否し5R終了間際には右をヒットさせカルレを腰砕けに
したのが唯一の見せ場だった。
結局ダウンシーンも見ないまま大差の判定でカルレがタイトルを
奪取したのだったが、カルレの猛攻に耐えた工藤のタフネスは素晴
らしいものがあった。
とはいえカルレの芸術的なテクニックを見たら輪島功一が当時
持っていたJミドル級の防衛記録6度を抜くのは時間の問題と思わ
れていたし、少なくとも日本人の手に届かないクラスになったな
と思っていたわけである。
その後カルレは80年9月まで矢継ぎ早に4度の防衛に成功するの
だが、81年6月にウエルター級統一戦を控えたシュガー・レイ・レ
ナードの挑戦をヒューストンで受けるものの8RKOで敗れ5度目の
防衛に失敗。
所持していたタイトルはレナードがウエルター級統一に成功した
ため返上され、決定戦で勝った三原正からタイトルを奪ったデビー
・ムーアに挑戦するが意外にも10RでKO負けして返り咲きに失敗
したのだった。
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