ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
76年 選抜高校野球1回戦・天理 6-0 修徳
共に強打が看板で組み合わせが決まったときに新聞で県岐阜商-
東洋大姫路や日田林工-新居浜商と並んで‘活発な打撃戦が予想される’
とされていたカードの1つ。
実際に両チームともチーム打率が3割を越えていたので、その予想は
当然と思われたのだが・・・・
ジャンケンで負けた天理が先攻で試合開始。
1回表に156㌢の1番・新田が2塁へ内野安打で出塁すると、 2番の鈴木
喜が左中間に3ベースを放って あっさり先制し更に3番・金田の2ベースで
2点目。
修徳の先発・二戸は動揺して鈴木康を歩かせ1,2塁にした直後にダブル
スチールが決まり2,3塁から5番の中野がセンター前に2点タイムリーを
放って1アウトも取れずに4-0となり降板する事に。
2回にも天理は2アウトからエラーで出塁した新田が盗塁、直後に鈴木
喜のタイムリーで5点目を挙げると、5回にも2つの四球からチャンスを
掴み6番の岡本がタイムリーで6-0として勝負を決めた。
一方の修徳打線は6回まで185㌢の大型右腕の福家から3つの四球で
ランナーを出しただけ。
7回にようやく一本足打法で打つ4番の古川が3塁前に当り損ないの
ゴロが内野安打となりノーヒットノーランを逃れるのがやっとだった。
修徳は秋季大会では本格派右腕の小野尾が先発して6・7回を投げて、
左腕の技巧派の二戸がリリーフするという継投で勝ち上がっていた。
ただ選抜の初戦は新年度最初の試合という事で、実戦不足ならば本格
派より技巧派の方が打ちづらいだろうという事で二戸を先発させたらしい。
確かに狙いは悪くないが、いかんせん二戸の生命線であるコントロール
が立ち上がりの緊張からか安定せず いきなりランナーを出して出鼻を
くじかれたのが最後まで響いた。
反対に2回までの5点で福家はノビノビ投げられただろうし、立ち上がり
の攻防が明暗を分けた形になっている。
ちなみに、この日の第1試合は昨年夏同様 愛知県-山口県代表の
対戦だったが、第2試合も昨夏同様 東京-奈良の対戦。
第1試合は1-0で愛知代表の岡崎工が昨夏のリベンジを果たしたが
第2試合では昨夏9-0で堀越を破っていた天理が同じ東京代表の修徳を
返り討ちにした格好になった。
天理 410 010 000 6
修徳 000 000 000 0
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お疲れ様です。そして清水監督率いる天理の快勝~!トップの新田選手は4回甲子園に出場し、そのあと泉州の監督で83年春出場。初戦で木内取手二を下しましたが、享栄藤王に右手一本でホームランされるなど完敗。平田投手にも押さえ込まれました
天理はその試合が示す通り、投打が噛み合ったときは本当に強いですね。書かれてますように前年夏の堀越戦、浜松商戦などは横綱相撲の貫禄です。福家はこんなに素晴らしい投球ができるのに、福井、星稜、中村に負けるのはどうも納得がいきません(笑)。天理は東京勢に強い印象で、翌春の桜美林、79年夏の日大三、86年春の関東一、88年夏の堀越などにも勝利。05年夏の国士舘に敗れたのは初戦でしたし珍しかったですね
鈴木姓が二人でしたが、77年春も康友、喜一がいたんでしょうか。源嶋、山東なども懐かしい名字です
前年夏に早実が久々に登場し、荒木大輔卒業まで再び常連になっていくんですね。大輔の兄貴、健二も4度出てますし、他にも川又、エース山岡、和泉(現早実監督)も。76年夏は桜美林が衝撃の初優勝、PLの負けは残念無念の一言。。。修徳は79年春も東洋大姫路に初戦敗退。93年夏のベスト8(高橋尚成がエース)までは悪戦苦闘が続きましたね‥☆
はい一番の新田選手も覚えております。
確か左打ちを覚えて現れたのでしたね。
この天理前年の夏もBEST8まで進んだのですが、ここであの新居浜商に敗れました。
この試合新浜商は日程の関係上、休養十分、それに対して天理は前日の第三試合に出場して、この日は第一試合というハンディを背負っていました。
85年の夏に優勝しましたね。
強さとモロさが天理の特徴でしたね。
05年に国士舘に逆転負けしたのが初の対東京勢の黒星でした。
76年が喜一と康友のW鈴木の甲子園でビューですよ。
修徳は、93年の高橋時代までは1回戦ボーイでした。
だから93年に勝ち進んだときは驚きましたよ。
>トクタサツオ様
天理の初優勝は86年夏ですね。
修徳は完全に甲子園に飲まれてました、普通に戦えばこんな惨敗はしなかったのでしょうけどね。
75年夏の天理は、書かれたような事を言われてましたけど考えてみると前年の銚子商も同じ組み合わせで
優勝してますから一概には言えないようです。
当然のことながら76年春には天理のワッショイは演奏されてたんでしょうね。77年春の中村戦で鈴木康友が三振を喫した場面でもワッショイ~!でした。山沖は13三振を奪って大金星~
東京では国士舘(夏1回)と二松学舎が春型の典型。二松学舎は東東京の決勝で7、8回負けているそうで、壁って厚いんですね。春や秋の都大会と違い夏は独特の緊張感とプレッシャーがあるのかも知れません。逆に都立城東は夏のみ2回ですからね。イメージとして公立が春、私立が夏ですけど。。。
東海大相模も夏が77年が最後なんですよね。その時代までは完全に夏型のチームだったのに。今年の神奈川は南北に分かれ二校代表だったのに慶応に苦敗。復活に期待したいですね☆
‘ワッショイ’は我々は天理マーチと呼んでまして
見始めた頃から使われてます。
ドカベンでも使用されていたメジャーな曲です。
私も現役時代に我々が甲子園に行けるとしたら春だろうと思ってたら、ライバルの田川が夏の甲子園に出場してしまいました。
一発勝負のトーナメントですから、かえって勢いが付いて一気に・・・という事でしょうか。
東海大相模は宇都宮学園に0-11で大敗して以来、夏はご無沙汰ですけど見形の満塁HRで魂を抜かれたのか
と思いますよ。
80年夏の秋田商と田川の試合は高山と村田の息づまる投手戦で見ごたえがありました。最後は秋田商が経験の差で勝ったように思いますが、田川の健闘が光りましたよね
その前後、福岡は79年夏が八幡大付、81年春が築上中部(林川投手)、81年夏が福岡大大濠と新興勢力が台頭しましたね。築上中部は雨の中、日立工(左腕永井)に敗れた記憶があります。あの春は悪天候が続き、中2始業式の4月8日が決勝戦。クラス替えとともに、PL×印旛が気になって仕方なかったですね
初優勝前までの天理はチームカラーなのか、奇襲を仕掛けるとか攻撃に工夫があまりなかった印象です。とにかくシンプルに打つ。相手にしてみたら怖さはあっても、箕島のような嫌らしさがないので案外戦いやすかった気もします。86年夏は決勝でも手堅く送りバントを多用していましたし、明らかにニュー天理に変貌しつつありましたね
宇学×東海大相模、見形の満塁ホーマーは豪快でしたよね。10対0のスコアで相模が負けるなんてこと考えられない事件のような感覚でした。以後低迷が続いた相模は92年春に準優勝して復活。いずれ夏も出てくると期待は大きかったのですが‥。吉田道も良かったですし、00年優勝投手の筑川もストレート最速で140キロ近く出ていたと思います。筑川の前に春は準優勝でしたが、智弁和歌山の打線も凄まじい破壊力でしたね☆小関、堤野、武内、池辺、山野、後藤、中家。。。
85年はあのPL学園、KKコンビでの優勝でしたね。
その次の年でありました。
天理はいつもいいチームを作ってきますね。
知弁学園とはライバルでした。
なるほど銚子商業もそのような日程があったのですか?
田川の試合を生観戦していただき、ありがとうございました。
決勝点はイレギュラータイムリーでしたが、田川は
100%以上の力を出して戦ったのが分かりましたから
アレ以上は望めないのですよ。
築上中部は女房の実家の地元校です。
いずれも最初で最後という感じでして、エースが打線の中心で2-3と惜敗している共通点がありますよ。
81年は一番決勝戦が遅れた年でしたね。
天理のチームカラーは、監督によるものが大きいかもしれませんね。
77年の宇都宮学園は見形中心のチームで、宇学が勝つとしたらロースコアで相模なら点の取り合いと予想していたら‘まさか’でした。
通常なら相模の11-0ですね。
>トクタサツオ様
最近では奈良は すっかり天理と智弁の争いになっていますね。
74年の銚子商は5日目に初戦を戦い中2日から4連戦でしたよ。
5-1、5-0、6-0、6-0、7-0でして、75年の天理は9-0と9-2でしたから そこまで疲労はなかったと思ってました。