ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
大橋秀行世界タイトル奪取!
90年2月7日に行われたWBC世界ストロー級タイトルマッチで挑戦者の
大橋秀行が王者のチェ・ジョンファンを9RでKOし新王者になった。
実は昭和末期の88年1月31日に神代英明がソット・チタラダに8RTKO負け
してから日本のボクサーは世界挑戦21連敗中で唯一の王者だった井岡弘樹
も88年11月に3度目の防衛に失敗し、世界王者ゼロという屈辱の期間が1年
3ヶ月にも及んでいたのだ。
89年に連載が始まったボクシングマンガの‘はじめの一歩’でもボクシング
雑誌の編集者が「日本はいい国だ、何でも揃ってない物はなさそうだが
1つだけないものがあるんだ」
「それは世界チャンピオンがいねぇんだよ!チャンピオンベルトがねぇんだ!」と怒りまくるシーンがあった。
それぐらい世界王者誕生は悲願に近いものがあった。
そんな中で大橋は過去2度挑戦に失敗したJフライから 1階級下のストロー
級に移動し3度目の世界挑戦をする事になったのだ。
得意の右カウンターだけでなく左アッパーのボディブローという新たな
武器を携えて満を持しての挑戦だが、逆に万が一失敗したらかなりの絶望
感に覆われる大一番となったのだ。
前半は一進一退の攻防だったが徐々に大橋のパンチが的確に王者を
捕らえダメージもたまり始めた9Rに左ボディアッパーがヒットしタフな王者が
遂にダウン、更に立ち上がった所へもう1発左のボディアッパーの脇腹
打ちが炸裂し今度は王者も立てなかった。
見事なKOによる平成初の新王者誕生と世界挑戦連敗ストップのダブルの
喜びに後楽園ホールが沸き、バンザイと大橋コールがいつまでも鳴り響いて
いたのが昨日のようだ。
なおこの試合のゲストに招かれていたのがプロレスラーに転向して
デビュー戦を控えていた北尾光司。
デビュー戦の相手であるバンバン・ビガロが先日亡くなった事を知り時間の
経つのは早いと実感したものだった。
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あれは惨敗でしたね、1Rにいい右が入ってぐらついた時は‘いける!’と思ったのですが。結局21回も防衛してますしリカルド・マルチネスのモデルになったのがよく分かります。こんなヤツが4位でわざわざ選んだ大橋もすごいといえばすごいです。
ロペスについては10月頃に詳しくアップしますよ。
お楽しみに。
この時確か自分は高校生でした。家のテレビで父親と声援を送っていました。最後のボディが印象的でした。あと、真っ赤になった大橋の顔!
初防衛戦はナパでしたよね。その後うちの先輩ともナパって戦っているんですよね・・・
やはり思ってましたか?今年は90年と同じ暦ですから是非アップしようと思ってましたよ。
大橋はチェのジャブと頭で腫れ上がってましたね。
ナパはあの後パッとしなくなってしまいましたが。
今にはない。ワクワクしながら見てましたよね。あの頃の世界戦は
やはり入場のテーマソングは選手の顔ですからね。
辰吉も一度死亡遊戯のテーマを変えるとサラゴサに惨敗しました。
私の場合畑山が返り咲いてライト級を獲った頃からイマイチ燃えなくなってしまいました。