高野進の快挙から20年

 今から20年前の今日91年8月27日に東京で開かれた第3回世界陸上の
男子400mで高野進がSファイナルで2位となり、日本人で初のファイナル進出
を決めた日である。

 今と違って当時の世界陸上は4年に1度のイベントで、第1回のヘルシンキ
ではカール・ルイスがデビューし第2回のローマでは男子100mでカール・
ルイス対ベン・ジョンソンの対決が話題をさらった。

 そして第3回が東京で開かれカール・ルイスとマイク・パウエルの走り幅跳び
の対決が行われパウエルが世界新記録で優勝するなど話題の多い大会だった。
 
 日本関係では男女のマラソンがメダリストに出場権を与える1年後のバルセロ
ナ五輪の選考レースとなっていて女子で銀を獲得した山下佐知子が、男子では
金を獲得した谷口浩美がバルセロナの出場を決めたのだった。

 たしかにマラソンのアベックメダルは嬉しかったが、それと同じく
価値があると
思われたのが男子400mでファイナルに進出した高野進。

 当時の常識では長距離は通用しても瞬発力を要する短距離での日本人選手の
ファイナル進出は無理というものだったが、高野は84ロスと88ソウルの2大会
連続でSファイナルに進出し特にソウルでは5位で敗退とファイナル進出まで
あと1歩と迫っていた。

 その高野がファイナル進出を賭けて挑み1次予選では1位で、2次予選を2位
通過し迎えたSファイナル。

 積極的に飛ばして2コーナーでトップに立ったが4コーナーで2位に、最後は3位
まで順位を落としたものの粘りきってファイナル進出を決めたのだった。

 最終的に29日のファイナルでは7位だったものの戦後の短距離種目での入賞は
初めての快挙だった。

 そして1年後に行われたバルセロナ五輪でも高野はファイナル進出をするの
である。

 引退後の高野は陸連のコーチとなって手腕を発揮し末續慎吾を03年世界陸上
パリ大会で200m銅メダリストに育て上げた。

 08北京五輪では400mリレーで銅メダル獲得という快挙を成し遂げたのだが、
これも高野が世界陸上と五輪でファイナリストになったのが後に続く選手達の自信
になったと思うのだ。

 そういう意味でも日本人でも短距離で活躍できるという自信を与えてくれた
第一歩が91世界陸上だったし そこから末續の銅メダル獲得まで12年、北京五輪
の400リレー銅メダルまで17年かかったという事だ。

 1つの競技をレベルアップさせるのは それぐらい時間がかかるという事だろう。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
高野さん (柴田真紀)
2011-08-28 01:56:52
大好きです。
(てか、もう20年も経過してるという事実にビックリ!?)
結婚されていたのを知ったときには、ちょいガッカリしたぐらいでww
会話も上手で、絵も上手くて、本当に理想のアスリートです。
バルセロナは、一度仮眠してから深夜に起きて、リアルで見たなぁ~。
 
 
 
私もです (こーじ)
2011-08-29 00:57:53
>柴田真紀様
 私も高野はロスの時から‘何かやってくれるのでは’と思わせるものを持ってました。

 既婚ですが現在は坂上香織?(走り幅跳び)と再婚しているそうです。

 バルセロナは私も寝ずに見ましたよ。
 ドラモントという選手が足を痛めながら最後までゴールしようとして父親が止めようとして乱入したのも
印象深いです。
 
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