goo blog サービス終了のお知らせ 

蘇れ!俺の西鉄ライオンズを初めて聞いた日

 今から30年前の今日、78年5月3日は中学3年だった私が親戚筋の
おじさんと早朝から釣りに行ったのだが、その帰りに車の中でラジオ
から物悲しい歌が流れ始めた。
 それが‘蘇れ!俺の西鉄ライオンズ’だった。
 昭和30年代前半に黄金時代を築いた西鉄ライオンズだが、 40年代に
入って低迷し48年から太平洋クラブ・ライオンズ、 52年からはクラウン
ライター・ライオンズに身売り。
 この年の53年いっぱいで、クラウンライターとの契約が切れるので
翌年から広島のような市民球団・九州ライオンズという名前になると
言われていた。
 それに合わせて本拠地の平和台球場も、翌54年から人工芝球場に
改修されるように予定されていたのだ。 

 そんな矢先に出ていたレコードが‘蘇れ!俺の西鉄ライオンズ’だ。

 作詞・作曲が何と中山大三郎である。

            (1)  

 誰に怒っていいのか わからないが俺の西鉄ライオンズ もうなくなった

高倉がいた 豊田がいた 大下がいた 中西がいた 関口がいた 和田が
いた、
太平洋 クラウンと 名前が変わる、その度に 俺たちは とまどう
ばかり

かえせ かえせ ライオンズをかえせ(繰り返し)
<実況放送> S33年の日本シリーズ第5戦
9回裏に関口が打った同点タイムリーの実況   

            (2)

 どこのファンかと聞かれ 答える時は今も 西鉄ライオンズ 
そう答えるさ
小淵がいた 仰木がいた 滝内がいた、河野がいた 玉造がいた 城戸が
いた、生えぬきの 選手たち 悲しむだろう、あのころの 西鉄は あと
かたもない
かえせ かえせ ライオンズをかえせ(繰り返し)
<実況放送> S33年・日本シリーズ第5戦
 稲尾がサヨナラホームランを打った時の実況        

            (3) 

 そしていつでも強かった 日本一だった、俺の西鉄ライオンズ 胸張った
ものさ
稲尾がいた 河村がいた 島原がいた、西村がいた 若生がいた 畑が
いた

 
懐かしい サムライの 姿が浮かぶ、今もなお この胸の 血潮が騒ぐ
西鉄ファンよ 今こそみんな 立ち上がろうよ、俺たちの手に ライオンズを
とりもどそうよ、新しい名前は たとえば九州ライオンズ、心から 応援
できるチームにしよう 
かえせ かえせ ライオンズをかえせ(繰り返し)
<実況放送> S33年・日本シリーズ第7戦
 3連覇が決まった瞬間の実況

 古くからのライオンズファンの、

まさしく心の叫びである。 

 これを聞くとライオンズがいかに強かったかが分かるし、やはり地元
チームには強くあって欲しいと思えたのだが・・・・
 それが約半年後に、まさかライオンズが西武グループに買収れて所沢に
移転してしまったのだ。

 まったくシャレにならなかった。

 その後82年以降にライオンズが優勝すると、その夜に有線放送で必ずと
いっていいぐらい この歌が流れていたのだった。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« 松井秀喜はヤ... 怪奇大作戦セ... »
 
コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
 
 
Unknown (怪人太郎冠者@1553)
2008-05-03 22:10:49
私も実際にヤフードーム行って、西武は西武にして西鉄にはあらずを実感しました。
蘇れ!俺の西鉄ライオンズ、歌詞読んだだけでもこの歌って何か哀しい歌って感じしますよ。もともとこの地に根を下ろし、この地の人たちの英雄軍団だったのが、金で買われて挙句にゃこの地のファンから決別させられて。極論すればソフトバンクは元は南海、初代監督の杉浦氏や王さんはじめ、歴代の監督、選手やコーチたちの尽力で根を下ろした感ありますが、それでもよそから来たチームということである意味真に根を下ろしたチームではないという気もします(よそ者の勝手な思い込みですみませんが)、それも月見草オヤジのいたチームということで(もうこれだけでも……)。
城内の球場跡は「つわものどもの夢の跡」を感じます。その黄金期、球場からの帰り道、当時は市電でしたが、試合の流れに応じて各駅に臨時電車を待機させておいたそうですが、読みが狂うと(延長戦や試合のひっくり返りなど)配車係は大変だったそうです、なにしろ一旦電車を引っ込めて通常ダイヤにしなければならなかったそうで。一時はお堀の上に車庫を作ろうという話もあったのですが、法規上作れなかったそうです。今はドームに変わりましたが、試合終了後、かつて球団のオーナー企業だった会社のバスに乗ると不思議な気分にさせられます。

西鉄ライオンズよ、永遠なれ!
 
 
 
ホントそうですよ (こーじ)
2008-05-04 23:31:30
>怪人太郎冠者@1553様
 そう、西武は西鉄ではないのです。 
 最低の男に買われたライオンズは30年前に消滅したと思ってます。
 その代わりに福岡に来たのが、かつての仇敵だった
南海の末裔ですから歴史の皮肉というヤツですか。
 ただ球団がなくなるのは恥という意識が、30年前に
浸透したのも事実。
 だから、当時いくら弱くても観客は減りませんでしたよ。
 高い授業料でしたね。
 
 
 
 
西鉄ライオンズが… (平和台命)
2008-05-21 21:12:00
7月15:16日西鉄ライオンズのユニホームで福岡に帰ってきますね!豊田さんの「稲尾に見せたかった」言葉に泣けてきます…15日始球式で池永さんが投げて和田さんが受けて…考えただけで泣けてきます…ライオンズは博多生まれやけん…いつまでも…ライオンズは福岡が似合うったい!
 
 
 
なんとなく複雑です (こーじ)
2008-05-22 00:08:35
>平和台命様
 いらっしゃいませ、初めまして。

 そのライオンズが3塁側で、1塁側にかつてのライバル・ホークスが入るというのは心中複雑ですね。
 イマドキの若い連中はライオンズが福岡に居た事を知らないケースが多いですのでね。
‘稲尾さんが、せめて1年長く生きていたら’とつくづく思います。
 もっとも前オーナーが実権を握っていた時代は無理だったでしょうけど。 
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。