蒲田時代に最も印象に残ったボクシング観戦の1つは

 今から30年前は蒲田で働いていたのだが定休日の月曜日に月に
2度ばかりボクシングの興業が後楽園ホールで行われていたので、
5月から度々通っていたのだが私が行った21回の中で最も印象に
残った興業の1つは30年前の今日89年5月15日のガッツファイ
ティング。

 メインは2月に新人王を取ったばかりの鬼塚勝也で初の8回戦を
戦う興業だったのだが、前座の中に後のWBAミドル級王者・竹原
慎二のデビュー戦が組み込まれていたし後の日本ミドル級王者のビ
ニー・マーチンの4回戦デビュー戦が予備カードで組み込まれてい
たのだ。

 竹原は3試合目に出て来て但野正雄を4RでKOしたのだが最初
に見て思ったのは‘長身のわりにスピードがあるな’という感じで、
当時のミドル級はヘビー級のような動きの選手が多かったので余計
に新鮮に感じたのだった。

 セミファイナルが始まる前に予備カードの一戦が組み込まれ私の
10列ほど前に黒人の集団が15人ほどいて、マーチンが入場すると
彼らは立ち上がって手拍子をしながら盛り上がっており試合が始ま
ると立ったままシャドーボクシングをしたり上半身裸になってシャ
ツを振り回したりしながらやりたい放題で実況席に座っていた白井
義男&具志堅用高の両解説者も実況がないので試合そっちのけで応
援団に注目していた。

 試合自体は平坦な展開でマーチンがポイントをピックアップして
行き完勝という形だったが、なにしろマーチンの応援団が凄く気の
毒だったのは彼らの後ろの観客で全くリングが見えないため‘見え
ないから座ってください’と抗議しても馬耳東風とはこの事。

 マーチンが勝者コールを受けると世界戦で勝ったかのような熱狂
ぶりでリングに上がって肩車をし、そのまま控え室までマーチンコ
ールをしながら去って行ったのだが その様子を見ていた隣の観客は
‘ここは敵地か’とボソッと言った言葉に妙に納得したものだった。

 対戦相手の熊ヶ谷浩もデビュー戦だったので50人ほどの応援団が
いたのだが、20人足らずで対戦相手の応援団を圧倒するのだから
凄まじい。

 この日は21:30までに新宿に行く必要があったのだがメインの
鬼塚戦が始まったのは21:00前で2Rまでに終わらないと間に合わ
ないと思っていたのだが、鬼塚が格の違いを見せつけて実際に2Rで
KOし何とか21:30までに新宿に着く事ができたのだった。

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