セレス小林の戴冠から10年

 今から10年前の昨日01年3月11日はセレス小林がレオ・ガメスを10R・
TKOで下しWBA・Sフライ級王者になった日である。

 セレス小林は この試合から約7ヶ月前の00年8月にWBCフライ級王者のマル
コム・ツニャカオに挑戦し中盤まで優勢に試合を進めながらツニャカオの右フック
を貰って流れを手放し、引き分けでタイトルを取り損ねている教訓を生かせる
かが問われる試合で‘取れなかったら引退’という背水の陣での挑戦だった。

 王者のガメスはストロー級王者の時代の88年に初来日し横沢健二の前歯が
グローブに突き刺さる強打で3RTKO勝ちすると、93年に行われたWBA・Lフラ
イ級王座決定戦で八尋史朗から2度のダウンを奪い9RTKO勝ち。

 更に今回のタイトルも前年の10月に戸高秀樹のアゴを砕いて7RKO勝ちと日本
では3連勝し、特に最初の横沢戦以外は不利の予想を覆してのKO勝ちだから
衰えの見えるガメスといえども簡単な相手ではないと思っていた。

 1Rに左クロスで先制すると3Rまでボディ攻撃を中心に小林が優勢に試合を進め
4Rの終盤にガメスの右連打を浴びたものの5Rには左ストレートで迎え撃ちボディ
を攻める。

 37歳のガメスは小林のボディ攻撃で消耗しているだけでなく右目上の出血と
鼻血で劣勢に立たされていたが、9Rにボディブローの打ち終わりに右を直撃し
小林のアゴを跳ね上げた。

 前年のツニャカオ戦の悪夢の再現を思わせるようなシーンだったが、小林もクリ
ンチで攻撃を寸断し左ストレートで応戦してピンチを切り抜けると10Rにガメスの
攻勢を凌ぎながら打ち込んだ右ボディブローから返しの左ストレートがアゴを捉え
遂にダウンを奪う。

 何とか立ち上がったガメスだが目が泳いでいたためレフェリーがストップし遂に
世界を獲ったのだった。

 デビュー戦で敗れただけでなく東日本新人王戦では引き分けで敗者扱いだし、
日本タイトルも3度目の挑戦でようやく獲得するなど平成の雑草の男というに相応
しい苦労人が世界を取ったのは凄く嬉しい戴冠だった。

 ちなみに前年の第2日曜日には坂本博之がWBAライト級王者のヒルベルト・
セラノから1Rに2度のダウンを奪いながら目をカットしてのTKO負けを喫している
ので、3月第2日曜日の無念が いくらか晴れた気がした。

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