講道学舎コンビの金メダルから30年

 今から30年前の今日92年7月31日に行われたバルセロナ五輪男子
柔道71㌔級に出場した古賀稔彦は左膝の故障でまともに歩けない
にも拘わらず金メダルを獲得し、前日の78㌔級で講堂学舎の後輩・
吉田英彦が全試合一本勝ちしたのに続き2日連続の金メダル獲得と
なった。

 88年のソウル五輪では3回戦で敗れた古賀は背負い投げだけでな
く巴投げも修得し、89年ベオグラード&91年バルセロナ世界選手権
で連覇し日本選手団の主将として迎えた五輪だった。

 ところが大会前に後輩の吉田秀彦と乱取り中に左膝を負傷し、ま
ともに歩けない状態で本大会を迎える事になっていた。

 悪い事に初日に小川直也が決勝で前年世界選手権決勝で勝ったハ
ハレイシビリに敗れると、雪崩現象で田辺陽子や岡田弘隆らが立て
続けに金メダルを逃して迎えた7月30日。

 前年の世界選手権で銅メダルを獲得した78㌔級の吉田秀彦が1回
戦から決勝まで6試合全て一本勝ちし柔道最初の金メダルを獲得し
ていい流れができた形だったが、まともに歩けない古賀が勝てるの
か?が最大の焦点となっていた。

 迎えた初戦で古賀は巴投げで一本勝ちすると2試合続けて優勢勝
ちして準決勝に進出すると、前年のヨーロッパ王者ドイツのドット
相手に1分過ぎに一本背負いを決めて一本勝ちし遂に決勝進出。

 決勝の相手はハンガリーのハイトシュで組む事を嫌う相手を追い
続けるもののケガの影響で技を決めきれず判定になり、副審2人が
古賀に旗を上げて遂に金メダルが決まった。

 84ロスでは山下泰裕が準々決勝で右足肉離れを起こした中で残り
2試合を一本勝ちして金メダルを取っていたのだが、古賀も左膝の
負傷をおして金メダルを獲得したわけで普通のコンディションなら
圧勝していたのがアクシデントで一転ピンチに陥りながら克服して
の金だから凄いと思う。

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