ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
横浜の明徳義塾戦の勝因は松坂大輔の4連投ではない
昨日BS‐1でスポーツ名勝負の横浜ー明徳義塾戦が、OAされ
ていた。
98年夏の甲子園は松坂大輔を擁する横浜が春夏連覇を達成した
わけで特に夏の準々決勝のPL学園戦が延長17回を追いつ追われつ
のスリリングな展開の末に横浜がPLの粘りを振り切った形で大会
最大のヤマ場といわれていたが、個人的には準決勝の明徳義塾戦
を0-6から残り2イニングで大逆転勝ちした試合があってこその
春夏連覇だと考えている。
多くのメディアは高校野球を語る時にエースにフォーカスした
見方ばかりするので、準々決勝のPL戦は松坂が延長17回を200球
以上投げて勝ったという形で語られる事が多いし準決勝の明徳義
塾戦も松坂の投入から流れが変わったという分析が主流だ。
しかし考えてみると松坂が投げたのは9回表のみで0-6から8回
裏に横浜が4点返して2点差にしたところでの登板だから、確かに
松坂の登板で球場内の雰囲気は変わっただろうしチームに勢いは
付いただろうが流れが変わったというのはおかしいのではないか。
正直言って当時も個人的に準々決勝の相手が明徳義塾になった
時点で、横浜危うしの感が強まった。
というのも明徳は開幕戦で桐生第一に逆転勝ちしてから勢いに
乗り4試合全てで二桁安打を放っているばかりか、準々決勝では
選抜準優勝の関大一に1回表の先制攻撃で4点を挙げ11ー2で快勝
した試合など明徳強しを印象付けている。
基本的に春夏連覇を狙うチームは準決勝が鬼門になっており
61年に柴田勲を擁して3季連続優勝を狙った法政二や、水野雄仁
を擁して3季連続優勝を目指した池田は共に準決勝で敗退してい
たのだ。
横浜とPLは選抜の準決勝で対戦し相手ミスに乗じて横浜が逆転
勝ちしているので‘宿命の対決’といった位置付けになっており、
事実上の決勝ともいうべきカードを延長17回の死闘の末に振り切
ったのを見て83年の池田が事実上の決勝といわれた中京に勝った
直後と同じ雰囲気だったと思われる。
しかも明徳は先述したように準々決勝での快勝ぶりを見ると勢
いにも乗っており、松坂抜きでは厳しいのではと考えていたのだ。
横浜は松坂のワンマンチームではないため松坂抜きでも十分戦
えるチームだったが、それでも明徳打線の迫力は素晴らしく4回
までは横浜も凌いでいたものの4回から捕まり2本のHRなどで5点
を取られ打線も7回まで3安打と寺本を打ちあぐむ。
8回に明徳が6点目を挙げた時点で明徳の勝利を確信していたの
だが、その裏に横浜は相手エラーからチャンスを作り2点返した後
に2アウト1・3塁から暴投で入った3点目が流れを横浜にもたらす。
暴投で2塁に進んだランナーを更にタイムリーで迎え入れるのだ
から、仮に暴投がなければ3点で止まっていただろうから3点差で
最終回を迎えるのと2点差では全く違う。
実際に松坂が9回表に登板すると場内の雰囲気が一変するが横浜
ベンチにしてみれば松坂の思い出登板という雰囲気だったのが、
場内の盛り上がりで疲労困憊ながらパワーを貰いゲッツーも出て
素晴らしいムードで最後の攻撃を迎える事ができた。
明徳にしてみると9回裏は前回から流れが途切れているので先頭
打者さえ出さなければそのまま押し切れたのだが、先頭打者からラ
イト前にしぶとく運ばれた後にバントヒットを決められ更に送りバ
ントが内野安打となるなど最悪の展開になってしまっていた。
悔やむべきは8回表に6点目が入った事で‘これで勝てる’という
思いが先頭打者のエラーを呼んだ事になるのだが、逆に言えば明
徳が見せた一瞬のスキに乗じて一気にペースを奪い返した横浜の
底力の凄さを実感する。
本当に強いチームは逆境を跳ね返せるのだが98年の横浜は正し
く王者に相応しい戦いをしたという事ではないだろうか。
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