ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
オーバーワークの負の歴史は語り継ぐべき!
先日取り上げた76年選抜高校野球のスクラップの記事の中で、
今にしてみると‘?’的な記事があった。
それはこの大会で準優勝する関東王者・小山のエース初見幸洋
が‘‘自分はエンジンのかかりが遅いのでブルペンで100球以上投げ
込んでマウンドに行く方がいい’と初戦の岡山東商戦で勝った後に
語っていた。
この大会の小山は2回戦から登場し初戦の岡山東商戦とベスト8
の土佐戦はセンターを守る黒田光弘が先発し、初見がリリーフと
いう形でベスト4に進み残り2試合は初見が先発完投していたのだ。
確かに当時はスロースターターの投手は試合前にブルペンでじっ
くり投げ込んで登板するのがいい的なロジックがあったし、初見も
それを実践していたのだろうが残念ながら夏は故障(背筋痛?)で
春夏連続出場したものの1度も登板する事なく終わっていた。
あれから45年近く経っているので‘レベルアップするには数多く
の投げ込みを’という当時の常識を批判する必要はないが、今でも
それを引き合いに出して‘昔はこうだったから’的な言い方だけは避
けなければならないだろう。
この大会に四国王者として出場し優勝候補の一角に挙げられてい
た高松商のエース・石川隆文も、夏は故障で先発できずゲーム中に
打者1人のみに対して投げたもののストライクが入らずに四球を出
して降板し試合の流れを変える事になっている。
また前年2年生で夏に優勝する習志野を2安打完封しベスト8でも
東海大相模相手に9回2アウトまで追い込んだ赤嶺賢勇も、この大
会では試合の数日前に風邪を引いて発熱しただけでなく大会前か
ら脇腹を痛めておりベストコンディションを作れなかった。
当時オーバーワークという言葉は主流ではなかったし72年夏に
優勝した津久見など大会期間中でも猛練習し投手はガンガン投げ
込みをしてなかったのだから、赤嶺なども選抜出場が決まり前年
以上の成績を残すべく猛練習していたのだろうと推測できるが今
では完全なオーバーワークになっていた感は強い。
そういう意味で こういった話は貴重な教訓として語り継ぐべき
だと思うし、間違ってもこの時代の常識を復活させるべきではな
いと思うのだ。
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