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こーじ苑
末次秀樹監督の思い出

昨日 観戦に行った高校野球の九州大会で自由ヶ丘の末次秀樹監督
と会えただけでなく、嬉しい事に5分ばかりではあるが話をする事もできた。
実は末次監督は私が野球を見始めて追いかけていた選手達の1人だ。
私が初めて高校野球を生観戦したのは中1だった76年に平和台球場で
行われた柳川商-海星の招待試合。
当時は海星のサッシー酒井圭一が超高校級右腕として有名だったのに
対し、柳川はエースの久保康生や立花義家らがいて末次は4番を打って
いた。
185cm以上の体ながら意外に器用なバッティングをするのだ。
実際 初戦で堀越に1-3で苦杯を舐めた75年春は5番ファーストで出場し、
チーム唯一の打点を挙げている。
更に76年夏は初戦の三重戦と敗れたPL学園戦の2試合全打席でヒットを
放ち、8打席連続ヒットという記録を作ったのだ。
ちなみに この記録は34年経った今でも破られていない。
予断ながらプロで大活躍した立花は甲子園の3試合で内野安打1本のみ
だったので当時は‘立花より末次の方が上’と思っていたのだが、立花が
ライオンズに入団したのに対し末次はファイターズに指名されたものの拒否
して中央大に進んでいた。
同期の立花や久保がプロで活躍する一方で末次の名前を聞かなかったが、95年夏に母校の柳川の監督として甲子園に戻ってきた時は妙に懐かし
かった。
それまでの柳川は実力があったもののクジ運などにも恵まれず甲子園
では 91年夏のベスト8が最高だったが、末次監督になってからは03年春と
05年夏以外は全て初戦を突破するようになっていた。
特に00年のチームは香月良太を擁し優勝してもおかしくなかったが、
いずれも智弁和歌山にベスト8で敗れている。
00年夏など智弁戦が事実上の決勝と言われていたし、実際7回を終わって
6-2とリードしながら香月が指のマメを潰して追い付かれ延長でサヨナラ
負けしたのだった。
自由ヶ丘に移っても今年の春に甲子園出場させ初戦で優勝候補筆頭の
東海大相模に逆転勝ちしているのだから監督としても一流だろう。
当然のように昨日は試合前の末次監督の周りに いろんな知人が挨拶に
来ていて応対に忙しそうだったので、チャンスを見計らって話をさせていた
だき最後は記念撮影まで快く応じてくれたのだ。
5分ほどではあったが最初に甲子園に出場した75年春の堀越戦の話など
聞く事もできた。
末次監督、忙しい中ありがとうございました。
これからも体に気をつけて頑張ってください。
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PL戦での久保投手の2度の牽制悪送球に呆気にとられたのを思い出しました。
柳川(商)といえば私は第55回大会の作新学院江川卓相手に善戦惜敗した試合を甲子園で見ています。
あの頃はまだ甲子園の常連になる前でしたからバスタースタイルの善戦に驚いたものです。
ちなみに私が高校野球を見始めて憧れ追いかけた最初の選手は今年日大三の遊撃、投手で活躍した吉沢君の父ちゃんです。
吉沢父は71年・72年の日大三の選手でしたね。
やはりプロ入りはしてないものの、甲子園で活躍して憧た選手は いますよね。
PL戦は悪夢のような試合でしたよ。
牽制が上手い久保が2つ続けて牽制悪送球で3塁にランナーを進めて、止めたバットにボールが当たったタイムリーヒットで失った1点を返せずに負けたのですからね。
柳川は江川の作新学院との試合で全国区になりましたよね。
ただ翌年春の柳川は江川と投げ合ったエースが残り前年秋の九州大会で優勝し優勝候補に挙げられながら、初戦で和歌山工に0-3と全くいいところなく敗れ
地元でかなりのヒンシュクを買いましたよ。
これが柳川の甲子園で勝てない症候群の始まりでもありました。