オーバーワークの恐ろしさを知った輪島功一の王座陥落

 今から50年前の今日74年6月4日に日大講堂で行われた世界Jミドル 級タイトルマッチで、6度防衛中の輪島功一は5位オスカー・アルバ ラードに15RでKO負けし7度目の防衛に失敗した。  立ち上がりから自らのパンチが次々にヒットする事から輪島はア ルバラードの得意とする打ち合いに引き込まれ始め中盤から徐々に 失速していく輪島に対し、ショットガンの異名を持つアルバラード の連打を次々に浴び11Rに左目が塞がるなどダメージを溜めて行き 最終Rに左フックを浴びて最初のダウンをし立ち上がったものの2度 のダウンを追加されKO負けとなった。  2月に6度目の防衛戦で前回苦戦の末に引き分けたミゲール・デ・ オリベイラに判定で完勝している事から、試合前は輪島の楽勝とい う予想に溢れていた。 . . . 本文を読む
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大阪城ホール初体験

 私が福岡で修行していた店の師匠は大阪で修行していた事から、 所属していた研究団体の本部は大阪。  その大坂で毎年6月の第1月曜日に研究団体が主催する全国大会が 開催され師匠の息子も出場する事から、福岡から毎年参加するため 夜行バスで大坂に行き競技会終了後に最終便の飛行機で帰って来る というスケジュールが毎年恒例だった。  会場は大相撲春場所が開催されている難波の大阪府立体育館だが、 この会場は83年を最後に建て替えられるため84年と85年の2年間は 大阪城ホール開催となっていたのだ。 . . . 本文を読む
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