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うどんのこと香川のこと

開店後、ほぼ週1ペースの更新になってます。
しばらく、主なテーマに信号番号の設置を加えようと思います。

互恵的であること

2007-10-18 22:09:06 | Weblog
うどんジムは何かを主張するときに
チェックしていることは、

大きな関係で、社会的に望ましいか
自分の関係者にとって望ましいか
自分が得するか

このうちの2者にかなっていれば、後は、バランスを見ようと思ってます。
3者にかなっていれば、目をつぶってもするところだと思います。

もし、自分の得になるけど
周囲の害になり、社会的に良くないこととみなされたら、おそらく、自分のためにしたその行為は長続きしないか、長い目で見て信用や関係を失って損になって返ってくると思われます。

この3つが全部かなっていると思ったら、他人に協力を求めるときに後ろめたさがないし大手をある程度振れます。
自分のためにすることなのに、それを主張することが誇らしくなったり、モチベーションが上がったり。

長い目でみたら、自分のためが3割ぐらいのことがちょうどいいのかなあと思います。
純粋にお店の営業時間の中のことは、3割じゃあまずいですが、世の中のいろんな人に語りかけて協力を求めるときは、まあそのあたりを超えると急速に抵抗が増えてくるんじゃあないかと思ったりする。

3割では損するかというと、3割でいいんだったら、手数が3倍以上にできると思います。
一つの目的を一つで対応させて得しようと思ったら、それに該当することって、単独ではなかなかありません。
でも、何かと何かを足して、自分のためが3割程度のことだったら山ほど積もってます。
そんなかから、自分の好きなことややりやすいことを探して、新しいことにチャレンジする方がうどんジムは気分がいいし、日々が単調にならなくて楽しい。
それに、3割ってことは、ほか7割分に得させてあげる関係者がいるわけです。
協力者や人脈は、ほかに得する人がいることをする方が増えると思います。
長い目で見たら、それが良い方向に向かうだろうと、うどんジムは信じてます。
信じることにしてます。
もろに自分が得するようなことには、ライバルや先行している人がたくさんいて、めんどくさくなります。
3割の分野には未開で、自分が好き放題に先行者になれることが多いような気がする。
そういうのが楽で、性に合うのかもね。

こないだある文章で、重商主義と比較して、重農主義を批判した件で

「重農主義者は、それが自然であると言っているが、それで何かが良くなると言ってない。国が強くなるか、人々が幸福になるか、国民の道徳心が増すか。そういうことに触れずに、ただそれが自然であると言っている。」
みたいな文章を見た。

重農主義が何であるかを、うどんジムはあまり理解しているわけではないけど、この言い回しは気に入りました。

何かを主張するときに
もしそれが自分のためもあるとしても、エゴだけをむき出しにしたら、長く協力を求めることはできないだろうし、恥ずかしい。

それを言うことで、国でも地域でも業界でも、社会や共同体が良くなりますか?
そして、その主張の趣旨の結果が広まることは、多くの人々の幸せや利益になりますか?
そして、それが治安を良くしたり、地域の中の信頼関係を強めたり、人々が安心やゆとりを持つことで、人が人に対して優しくなれることにつながりますか?
そうなることがひいては、共同体をよりよくすることにフィードバックされますか?

何か主張するときには、いつでもそれをきれいに満たせるとはいかなくても
いちおう、そんなチェックをすることが大事だと思った。
重農主義のことはよくわからないけど、批判した人の言い回しは、今後、使おうと思う。

よく「それが自然だ。」「時代の流れだ。」「しょうがない。」「それは自由だ。」とか言う人がいますが
大事なことは、自然かどうかでなく、良くなるかどうかで、良くなることに力を出して、自然に任せてはいけないことには力を尽くして立ち向かうことだと思う。

くくってしまうと
意識して互恵的であろうとすることかもしれない。

ところで、
世の中の多くの人は、意外に互恵的な人を嫌うときがあります。
互恵的ってのは実際社会では意外にやっかいなんです。
いわゆる儲け主義、縦割り、村社会、権威主義などとはことごとく対立しやすい。
これらは、一般に悪いことと言われているけど、現実社会、それらがなくならないのは、それなりにに根強い存在価値や必要性があるんでしょう。

世の中に互恵的なものの代表として、うどんジムは、一つにはウィキペディアのようなものがあると思います。
インターネットそのものが、そうだと思いますが、ネット言論を取り締まりたがる人もいます。
こういう人が悪というわけではなく、ネット言論の反社会的な部分を批判するのは正当なことも多くあると思います。
しかし、正の部分よりも、すぐに負の部分に目がいって、規制したがるあたりは
権威主義的で、当局がなんでも監視する必要ありと考えがちだったり、国家などの権威が主張するもの以外には価値を認めたがらないような人が多かったりはすると思う。

ともあれ
今後も主張については、ささいなことについても、上のようなチェックを常時かけていこうと思います。