ネット喫茶だとどうしても書くのにペースがでない。
前回は、国土交通省の案と信号番号システムの長所・短所を書いたけど、
やっぱり、国土交通省の案に効果面での長所はないように思う。
「狭い範囲で、効果も小さいものだから、簡単に表示できる。」
という一点が国土交通省案の長所だと思うが、それって当たり前だし、簡単にできること自体は効果面での長所とはいえないと思う。
正直、香川県内では明治以来とか有史以来とかいっても、信号番号システムよりも費用対効果に優れたハード事業はたくさんはないと思う。
そう、有史以来のトップクラス。
あえて、そこまで極端な言葉で書いてみましたがどうでしょうか?
じゃあなぜハードなら有史以来といえるのか?
まず、「有史以来の事業をうどんジムは知ってて言っているのか?」
といいたくなりませんか?
だいたいは知ってますが、知らなくても原理的にいえませんか?
まず、信号機を一つつくっても、1日100台しか車が通らなかった時代の信号1つと50000台通る時代の1つでは費用対効果はだんぜん違います。
また、物流の量もまったく違います。
知ってても知らなくても、少なくとも戦前に、費用対効果で今頃のトップクラスに匹敵するようなハード事業は道路上はもちろんその他でもそう起こりえないということはいえないでしょうか?
では、高度成長期以降で比べるとどうでしょうか?
それは、なぜソフトならトップクラスといいにくく、ハードならいえるのかという話です。
通行量が倍になったは1次関数。
そのうえに1台当たりの積載量が倍になれば2次関数。
荷物の単価が上がれば3次関数(この時点でブランドとかいう情報性資源も乗ってくる。)。
そこに、広告業やカーナビやICカードなどの情報性資源との連携が乗れば、さらに4次関数以上になります。
高度経済成長期では、せいぜい2.5~3次関数ぐらいでしょうか?
道路上の表示が費用に対する4次以上の関数になれる可能性がうまれたのはほんの最近のことといえます。
単純に、原理上、費用に対して効果が2次関数や3次関数の時代では、4次関数以上の現代のトップクラスに匹敵するものが例外的にあったとしてもそうたくさんあるはずがないといえるわけです。
だから、ここ数年の県内の事業を見渡せば、県内では有史以来トップクラスかどうかってのはだいたいいえるわけです。
2次や3次の段階でも首都圏との比較になると量が違いすぎるので、こちらと比べることはしません。あえて県内と限定をかけました。
何が言いたいのか、何を言うべきなのかということになると。
情報性資源をどれだけ重層的・有機的にくっつけまくれるかにハード事業の費用対効果はかかってくるわけで、従来の枠組みをどんどん壊しては越え、越えてはひねってこねてはつなげといったことをしていかなければならないということで、1つの目的と1つの手段を対応させるという単純効率の発想とはなじみません。
瀬戸大橋とか高松空港や香川用水のような歴史的な巨大事業は、確かに、信号番号よりも重要な事業でしょう、ただ、たくさんお金をかけて大きな効果を得たという当たり前のことです。
関数としては大したことがない。
信号番号システムは地域を広くカバーし利用者数と利用頻度がきわめて多く、
多分野の便益を同時に高め、広告やインターネットやカーナビのような情報性資源とも同時に連携します。
同時性が高く、シナジーができやすく、使いべりしないという情報性資源の特質がよくでていると考えています。
システムだから単純分解していえないことも多いのですが、番号1パネル当たりの効果がどれほど高いかちょっと考えてみてください。
4次以上の関数だから費用対効果がすごいという原理・構造で説明できる話です。
パネル設置ごときは街路樹の剪定ぐらいの低コストでき、ランニングコストも小さい。
2、3日ほど前に、中央通りのクスノキの剪定をやってましたが、これぐらいのコストや手間で信号パネル設置の作業はできると剪定作業を見てて思いました。
剪定作業レベルのコストで、これほど多分野で同時に多くの情報性資源と重層的かつ有機的に結びついたハード事業って、あったら国土交通省の方でも県の方でも経済界の方でも教えてほしい。
ただ、信号番号システムはソフト事業なのかもしれません。
ソフト事業というのはもろに情報性資源ですから、信号番号よりも費用対効果で優れたものがたくさんあるかもしれません。
ここで
純然たるハードと思われる事業にも何か情報性資源をつなげられないかという視点で物事を見ていくことが大事ではないでしょうか?
たとえば単純な舗装の修繕にも何か情報性資源を乗せられないか?
今すぐには思い浮かびませんが、直感的には薄明かりは見えるような気はします。
舗装修繕にソフトを乗せろといっているわけではありません。
これに乗せられるようなら一事が万事でほぼすべてのことに通用するのではないかと言いたいのです。
このことは現在の事業でもやってないわけではないと思います。
ハードにソフトを乗せていこうという結果は随所にあらわれていると思います。
ただ、理論や共通のものさしが十分でないので、何かパワー不足だと思います。
たとえば、工事の柵に環境にやさしいような絵や工事の後の施設の様子がお花畑で囲まれたような絵を描いて、道路事業への反発をやわらげたり、工事の趣旨を伝える補助にしようとするなどもハードにソフトが乗っている一例をいえるかもしれませんし、もっといろいろあると思いますが、単発的で確信的といえないものが多いと感じます。
簿記で
簿価は取得価額で資産計上するものがあります。
ハード事業で長く残るものは不動産の一部を構成するし取得価額で資産計上。
ということになると思います
合理的な主体がお金をそれだけ出すんだからそれだけの価値を推定するのが合理的だろうという発想だと思います。
ということは、国土交通省の社会実験は、疑問はあるけどそれだけお金を出すのに見合うんじゃないかと考えられているのだと思います。
研究開発費は費用計上で簿価はゼロともいえますから、社会実験の今後いかんで、微妙なところです。
しかし、おおむね見合うと思われている事業よりも格段に費用対効果が上回る事業については、やる価値があると当然にいえそうな気はしています。
信号番号システムについては、費用対効果については疑問の余地がなく、あとは、表示方法や交通安全に関する細かい詰めだけと言えそうです。
・今後、信号の増減は多いか?
・増減があった場合に枝番・欠番でほんとにうまくいくか?
・さぬき浜街道のような旅程も路線も管理主体も複雑に入り組んだ道に対応できるか?
のような詰めのレベルでどれだけケアできるかの話だと思います。
前回は、国土交通省の案と信号番号システムの長所・短所を書いたけど、
やっぱり、国土交通省の案に効果面での長所はないように思う。
「狭い範囲で、効果も小さいものだから、簡単に表示できる。」
という一点が国土交通省案の長所だと思うが、それって当たり前だし、簡単にできること自体は効果面での長所とはいえないと思う。
正直、香川県内では明治以来とか有史以来とかいっても、信号番号システムよりも費用対効果に優れたハード事業はたくさんはないと思う。
そう、有史以来のトップクラス。
あえて、そこまで極端な言葉で書いてみましたがどうでしょうか?
じゃあなぜハードなら有史以来といえるのか?
まず、「有史以来の事業をうどんジムは知ってて言っているのか?」
といいたくなりませんか?
だいたいは知ってますが、知らなくても原理的にいえませんか?
まず、信号機を一つつくっても、1日100台しか車が通らなかった時代の信号1つと50000台通る時代の1つでは費用対効果はだんぜん違います。
また、物流の量もまったく違います。
知ってても知らなくても、少なくとも戦前に、費用対効果で今頃のトップクラスに匹敵するようなハード事業は道路上はもちろんその他でもそう起こりえないということはいえないでしょうか?
では、高度成長期以降で比べるとどうでしょうか?
それは、なぜソフトならトップクラスといいにくく、ハードならいえるのかという話です。
通行量が倍になったは1次関数。
そのうえに1台当たりの積載量が倍になれば2次関数。
荷物の単価が上がれば3次関数(この時点でブランドとかいう情報性資源も乗ってくる。)。
そこに、広告業やカーナビやICカードなどの情報性資源との連携が乗れば、さらに4次関数以上になります。
高度経済成長期では、せいぜい2.5~3次関数ぐらいでしょうか?
道路上の表示が費用に対する4次以上の関数になれる可能性がうまれたのはほんの最近のことといえます。
単純に、原理上、費用に対して効果が2次関数や3次関数の時代では、4次関数以上の現代のトップクラスに匹敵するものが例外的にあったとしてもそうたくさんあるはずがないといえるわけです。
だから、ここ数年の県内の事業を見渡せば、県内では有史以来トップクラスかどうかってのはだいたいいえるわけです。
2次や3次の段階でも首都圏との比較になると量が違いすぎるので、こちらと比べることはしません。あえて県内と限定をかけました。
何が言いたいのか、何を言うべきなのかということになると。
情報性資源をどれだけ重層的・有機的にくっつけまくれるかにハード事業の費用対効果はかかってくるわけで、従来の枠組みをどんどん壊しては越え、越えてはひねってこねてはつなげといったことをしていかなければならないということで、1つの目的と1つの手段を対応させるという単純効率の発想とはなじみません。
瀬戸大橋とか高松空港や香川用水のような歴史的な巨大事業は、確かに、信号番号よりも重要な事業でしょう、ただ、たくさんお金をかけて大きな効果を得たという当たり前のことです。
関数としては大したことがない。
信号番号システムは地域を広くカバーし利用者数と利用頻度がきわめて多く、
多分野の便益を同時に高め、広告やインターネットやカーナビのような情報性資源とも同時に連携します。
同時性が高く、シナジーができやすく、使いべりしないという情報性資源の特質がよくでていると考えています。
システムだから単純分解していえないことも多いのですが、番号1パネル当たりの効果がどれほど高いかちょっと考えてみてください。
4次以上の関数だから費用対効果がすごいという原理・構造で説明できる話です。
パネル設置ごときは街路樹の剪定ぐらいの低コストでき、ランニングコストも小さい。
2、3日ほど前に、中央通りのクスノキの剪定をやってましたが、これぐらいのコストや手間で信号パネル設置の作業はできると剪定作業を見てて思いました。
剪定作業レベルのコストで、これほど多分野で同時に多くの情報性資源と重層的かつ有機的に結びついたハード事業って、あったら国土交通省の方でも県の方でも経済界の方でも教えてほしい。
ただ、信号番号システムはソフト事業なのかもしれません。
ソフト事業というのはもろに情報性資源ですから、信号番号よりも費用対効果で優れたものがたくさんあるかもしれません。
ここで
純然たるハードと思われる事業にも何か情報性資源をつなげられないかという視点で物事を見ていくことが大事ではないでしょうか?
たとえば単純な舗装の修繕にも何か情報性資源を乗せられないか?
今すぐには思い浮かびませんが、直感的には薄明かりは見えるような気はします。
舗装修繕にソフトを乗せろといっているわけではありません。
これに乗せられるようなら一事が万事でほぼすべてのことに通用するのではないかと言いたいのです。
このことは現在の事業でもやってないわけではないと思います。
ハードにソフトを乗せていこうという結果は随所にあらわれていると思います。
ただ、理論や共通のものさしが十分でないので、何かパワー不足だと思います。
たとえば、工事の柵に環境にやさしいような絵や工事の後の施設の様子がお花畑で囲まれたような絵を描いて、道路事業への反発をやわらげたり、工事の趣旨を伝える補助にしようとするなどもハードにソフトが乗っている一例をいえるかもしれませんし、もっといろいろあると思いますが、単発的で確信的といえないものが多いと感じます。
簿記で
簿価は取得価額で資産計上するものがあります。
ハード事業で長く残るものは不動産の一部を構成するし取得価額で資産計上。
ということになると思います
合理的な主体がお金をそれだけ出すんだからそれだけの価値を推定するのが合理的だろうという発想だと思います。
ということは、国土交通省の社会実験は、疑問はあるけどそれだけお金を出すのに見合うんじゃないかと考えられているのだと思います。
研究開発費は費用計上で簿価はゼロともいえますから、社会実験の今後いかんで、微妙なところです。
しかし、おおむね見合うと思われている事業よりも格段に費用対効果が上回る事業については、やる価値があると当然にいえそうな気はしています。
信号番号システムについては、費用対効果については疑問の余地がなく、あとは、表示方法や交通安全に関する細かい詰めだけと言えそうです。
・今後、信号の増減は多いか?
・増減があった場合に枝番・欠番でほんとにうまくいくか?
・さぬき浜街道のような旅程も路線も管理主体も複雑に入り組んだ道に対応できるか?
のような詰めのレベルでどれだけケアできるかの話だと思います。