ほんとのところ社会保険庁のニュースにはあまり興味がない。
とはいえ、年金はFPの重要分野だから、関心を持ってないと。
うどんジムは、社会保険庁のボーナスの自主返納とか、政治家がやるのもよくわからないけど、一般職員にやらせるのはもっと疑問だと思う。
選挙前に批判にさらされているからとか政治的な思惑も絡めてするのであれば、なおさら。
やらない理由であれ、やる理由であれ、「批判されるから」といって、道理やルールを外す人は、批判が及ばなかったりばれない所では、当然ルールを破ると行動で語ってるのと同じだと思う。
批判されるからといって、批判をかわすために、本来法的に保障された一般職員の給与について事実上の強制となる自主返納を迫るというのであれば、こういうタイプの人は、批判されない所では、ミンチに別の物を混ぜるタイプの人だと自分で言ってるのと同じではなかろうか?
正しいかでなく、批判されるか、怒られるか、嫌われるかなどを行動の基準にするのは、何であれ良くないというか、方便として必要な場合もあるだろうが、危険であり、警戒はすべきだと思う。
うどんジムは、店の売り上げが悪くても、パートの給料は削らないし、その人が不祥事を起こしてお客さんを激減させたとしても、その人の給料を削ることはない。
それは法に反することであり、道理を外しているから。
場合によっては、何らかの求償はするかもしれないが、先に給料は当然に支払う。
公務員である社会保険庁の職員の場合は、これと比べてどう考えるべきであろうか?
税金によってまかなわれている給与だから話は別だろうか?
そうだからこそ、より法やルールに厳格にのっとって考えるべきではなかろうか?
公務員の給与は選挙や政治の道具にされるべきではない。
誰の何の責任をどのように取るべきなのか?
自主返納は、おそらく、上司から、半ば命令的な圧力をかけられ、返納しない職員は、しばらく上司に執拗に別室に呼び出されて迫られるだろう。
悪質な職務怠慢が慢性化した場で、無批判にそれに乗っかった職員には、責められるべきものがあるだろう。
しかし、予防的に職場の体制を整えたり、綱紀を正す責任は、誰にあって、事後的には、誰がどのように取るべきものだったのか?
最近に入ったような若手職員には、一体何の責任を取らせるものなのか?
また、そこで、体制を正そうと声を上げた者は吊るし上げられてわからないうちに左遷され続けて、それでも声を上げ続けても黙殺されたり、「変わり者」とか「空気の読めないヤツ」とか揶揄されるようなことはなかっただろうか?
そのようなところで、声を上げよというなら、たぶん、テレビの前で怒っている国民のほとんどは同じように上げられないだろう。
考えないといけない。社会保険庁の職員というのは、一般の国民に比べて決してモラルの低い人たちではない。むしろ高いぐらいだろう。
それでも、ああなる理由というのを真摯に考える必要がある。
彼らがモラルが低いからそうなるのだと思ったら、問題の本質を誤るだろう。
住民などの目の届かないところでルーズになった職場はパブリックセクターにもそれ以外にも少なからずあるだろうが、それを正す必要はあるにしても、それがゆえに、職員が給与を返納しなければならないものだろうか?
また、一般職員が責めを負うにしても、それは、生活給を削られる取り方が正しいのか?また、それは社会保険庁のモラルを高めたり、問題の解決につながるものなのか?
ただ、ペナルティーを科すだけが目的なら、まだ、社会奉仕活動として、河川敷や公園の清掃をやらせるとか、削るのでなく何か貢献をさせた方が良いのでは?
また、全職員の端末操作スキルの徹底的な向上を図るとか、目的に対応してたり、法的な権利を侵さないやり方でやるべきではないか?
とはいえ、年金はFPの重要分野だから、関心を持ってないと。
うどんジムは、社会保険庁のボーナスの自主返納とか、政治家がやるのもよくわからないけど、一般職員にやらせるのはもっと疑問だと思う。
選挙前に批判にさらされているからとか政治的な思惑も絡めてするのであれば、なおさら。
やらない理由であれ、やる理由であれ、「批判されるから」といって、道理やルールを外す人は、批判が及ばなかったりばれない所では、当然ルールを破ると行動で語ってるのと同じだと思う。
批判されるからといって、批判をかわすために、本来法的に保障された一般職員の給与について事実上の強制となる自主返納を迫るというのであれば、こういうタイプの人は、批判されない所では、ミンチに別の物を混ぜるタイプの人だと自分で言ってるのと同じではなかろうか?
正しいかでなく、批判されるか、怒られるか、嫌われるかなどを行動の基準にするのは、何であれ良くないというか、方便として必要な場合もあるだろうが、危険であり、警戒はすべきだと思う。
うどんジムは、店の売り上げが悪くても、パートの給料は削らないし、その人が不祥事を起こしてお客さんを激減させたとしても、その人の給料を削ることはない。
それは法に反することであり、道理を外しているから。
場合によっては、何らかの求償はするかもしれないが、先に給料は当然に支払う。
公務員である社会保険庁の職員の場合は、これと比べてどう考えるべきであろうか?
税金によってまかなわれている給与だから話は別だろうか?
そうだからこそ、より法やルールに厳格にのっとって考えるべきではなかろうか?
公務員の給与は選挙や政治の道具にされるべきではない。
誰の何の責任をどのように取るべきなのか?
自主返納は、おそらく、上司から、半ば命令的な圧力をかけられ、返納しない職員は、しばらく上司に執拗に別室に呼び出されて迫られるだろう。
悪質な職務怠慢が慢性化した場で、無批判にそれに乗っかった職員には、責められるべきものがあるだろう。
しかし、予防的に職場の体制を整えたり、綱紀を正す責任は、誰にあって、事後的には、誰がどのように取るべきものだったのか?
最近に入ったような若手職員には、一体何の責任を取らせるものなのか?
また、そこで、体制を正そうと声を上げた者は吊るし上げられてわからないうちに左遷され続けて、それでも声を上げ続けても黙殺されたり、「変わり者」とか「空気の読めないヤツ」とか揶揄されるようなことはなかっただろうか?
そのようなところで、声を上げよというなら、たぶん、テレビの前で怒っている国民のほとんどは同じように上げられないだろう。
考えないといけない。社会保険庁の職員というのは、一般の国民に比べて決してモラルの低い人たちではない。むしろ高いぐらいだろう。
それでも、ああなる理由というのを真摯に考える必要がある。
彼らがモラルが低いからそうなるのだと思ったら、問題の本質を誤るだろう。
住民などの目の届かないところでルーズになった職場はパブリックセクターにもそれ以外にも少なからずあるだろうが、それを正す必要はあるにしても、それがゆえに、職員が給与を返納しなければならないものだろうか?
また、一般職員が責めを負うにしても、それは、生活給を削られる取り方が正しいのか?また、それは社会保険庁のモラルを高めたり、問題の解決につながるものなのか?
ただ、ペナルティーを科すだけが目的なら、まだ、社会奉仕活動として、河川敷や公園の清掃をやらせるとか、削るのでなく何か貢献をさせた方が良いのでは?
また、全職員の端末操作スキルの徹底的な向上を図るとか、目的に対応してたり、法的な権利を侵さないやり方でやるべきではないか?