うどんジムも退職して、2年経ちました。
開店からは、まだもう少しありますが、おおむね、過去2年の損益はわかりました。
開業時の目標と比較して
客数は、かなり超えてます。
しかし、利益はそうでもない。
理由は、客数が増えるにしたがって客単価が下がることと、想像以上に、設備投資と修繕がいるということと、ネギや無料トッピングの比率をやや甘く見ていたこと、光熱費と食用油、小麦粉などでコストアップしたことが理由ですかね。
評判においても、開業前は、どんな形でも10年は、ネット上でも雑誌でも何かのランキングに入るとは思ってませんでした。
賛否はいろいろあるでしょうけど、うどんジムの想像をこの点ははるかに越えてます。
ただ、物事には両面の見方があって、知名度が上がったり、各種メディアに取り上げられれば、儲かるかというと、まだ長い目ではわかりませんが、必ずしも短期で結果が出るものでもないということで、むしろ難しさを感じさせもします。
ぽつり、ぽつりと、そういうルートから初来店されたという方もいらっしゃるので、何か反応は返ってきます。
やはり、前とその前で書いたように、長い継続ということが意味を持ってくるのだと思います。
そのためにも、失敗を避けるということがネガティブに見えて発展のカギなのだと思う。
あと、うどんジムのライフワークとしての、地域や業界の問題の研究や解決のための拠点や人脈のようなものも、栗林公園前に拠点を持ったり、地域ブログに参加するなどもあって、予定よりも順調に行ってる感がある。
2会計年度の数字を見て、うちは成長力は感じるが、そう儲かってないことは間違いない。
もともと、利益はほしいに決まってるが、考えてこなかった。
2年間で、客数をとにかく確保して、商売の骨格をととのえることが先だと考え、骨格の中の率は大枠以外はほとんど無視していたとこがある。
そして、重視していたことやもともと得意としていたことは、ほとんど全部できた。
昔からの日常として、うどんジムはパイを大きくすることは、苦手ではなかったが、そこで自分の取り分を主張することは苦手だった。
また、社交的で、知人は増える方だと感じていたが、雑用断り下手で、損得勘定でいうとあまり得する方でもなかったように思う。
幼少から、練習して習得する目標のようなものばかり重視してきて、そういう喜びの大きさに慣れ親しみ過ぎて、金銭や財物からの喜びを得るセンスが育たなかったのかもしれない。
ただでロレックスくれると言われても、欲しいとは感じない。
ただ、利益を出してないと、自分もそうだし、自分の周りの人間や人間関係が安定しないことが多い。
また、経済人となると、利益を出してない人の言うことは信用されない。
そうすると、利益を出すということは、バカバカしいマスメディアがその追求を悪いように書くことがあるし、それに同調する人もいるが、ほんとうは絶対にして至高の善なのだと思う。
ある意味、うどんジムは商人とか経済人としての正道に対して、地域問題研究家や自己実現家としての別の正道に気がいって、踏み外していたのかもしれない。
これは、名著「7つの習慣」的にいえば、うどんジムがプロセスとして必ず踏まなければならなかったもので、これを経ずに、利益を求めるということはありえなかったのだと思っている。
うどんジムは、勤め時代に、もともと物欲は大きい方でなかっただけに、いい家に住むとか、好きな車や服を買うとか、海外旅行をするとか、そういう願望はほぼ満たされてしまった。
大したことはしてないんですけど、興味が極端に薄れた。
これも、そうでないことに気持ちを向かわせるために必要なプロセスで、物欲が満たされなかったら、今ほど純粋に、地域や業界の問題の探求や解決策の模索に気持ちを向かわせられなかったとも思う。
あることに興味が出るには、何かへの興味が一段落するという順がいるのかもしれない。
ここのところ、やっとのことで、商人らしく普通に利益を出して、それを充実、拡大させるということに初めて気持ちを向かわせる土台ができたと感じてきた。
開店からは、まだもう少しありますが、おおむね、過去2年の損益はわかりました。
開業時の目標と比較して
客数は、かなり超えてます。
しかし、利益はそうでもない。
理由は、客数が増えるにしたがって客単価が下がることと、想像以上に、設備投資と修繕がいるということと、ネギや無料トッピングの比率をやや甘く見ていたこと、光熱費と食用油、小麦粉などでコストアップしたことが理由ですかね。
評判においても、開業前は、どんな形でも10年は、ネット上でも雑誌でも何かのランキングに入るとは思ってませんでした。
賛否はいろいろあるでしょうけど、うどんジムの想像をこの点ははるかに越えてます。
ただ、物事には両面の見方があって、知名度が上がったり、各種メディアに取り上げられれば、儲かるかというと、まだ長い目ではわかりませんが、必ずしも短期で結果が出るものでもないということで、むしろ難しさを感じさせもします。
ぽつり、ぽつりと、そういうルートから初来店されたという方もいらっしゃるので、何か反応は返ってきます。
やはり、前とその前で書いたように、長い継続ということが意味を持ってくるのだと思います。
そのためにも、失敗を避けるということがネガティブに見えて発展のカギなのだと思う。
あと、うどんジムのライフワークとしての、地域や業界の問題の研究や解決のための拠点や人脈のようなものも、栗林公園前に拠点を持ったり、地域ブログに参加するなどもあって、予定よりも順調に行ってる感がある。
2会計年度の数字を見て、うちは成長力は感じるが、そう儲かってないことは間違いない。
もともと、利益はほしいに決まってるが、考えてこなかった。
2年間で、客数をとにかく確保して、商売の骨格をととのえることが先だと考え、骨格の中の率は大枠以外はほとんど無視していたとこがある。
そして、重視していたことやもともと得意としていたことは、ほとんど全部できた。
昔からの日常として、うどんジムはパイを大きくすることは、苦手ではなかったが、そこで自分の取り分を主張することは苦手だった。
また、社交的で、知人は増える方だと感じていたが、雑用断り下手で、損得勘定でいうとあまり得する方でもなかったように思う。
幼少から、練習して習得する目標のようなものばかり重視してきて、そういう喜びの大きさに慣れ親しみ過ぎて、金銭や財物からの喜びを得るセンスが育たなかったのかもしれない。
ただでロレックスくれると言われても、欲しいとは感じない。
ただ、利益を出してないと、自分もそうだし、自分の周りの人間や人間関係が安定しないことが多い。
また、経済人となると、利益を出してない人の言うことは信用されない。
そうすると、利益を出すということは、バカバカしいマスメディアがその追求を悪いように書くことがあるし、それに同調する人もいるが、ほんとうは絶対にして至高の善なのだと思う。
ある意味、うどんジムは商人とか経済人としての正道に対して、地域問題研究家や自己実現家としての別の正道に気がいって、踏み外していたのかもしれない。
これは、名著「7つの習慣」的にいえば、うどんジムがプロセスとして必ず踏まなければならなかったもので、これを経ずに、利益を求めるということはありえなかったのだと思っている。
うどんジムは、勤め時代に、もともと物欲は大きい方でなかっただけに、いい家に住むとか、好きな車や服を買うとか、海外旅行をするとか、そういう願望はほぼ満たされてしまった。
大したことはしてないんですけど、興味が極端に薄れた。
これも、そうでないことに気持ちを向かわせるために必要なプロセスで、物欲が満たされなかったら、今ほど純粋に、地域や業界の問題の探求や解決策の模索に気持ちを向かわせられなかったとも思う。
あることに興味が出るには、何かへの興味が一段落するという順がいるのかもしれない。
ここのところ、やっとのことで、商人らしく普通に利益を出して、それを充実、拡大させるということに初めて気持ちを向かわせる土台ができたと感じてきた。