tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

Nikonが一眼レフフィルムカメラの生産を終了

2006年01月15日 23時58分11秒 | ニュース
おとつい13日の朝日新聞に掲載。

とはいっても、私はNikonのカメラを持っていないが。それでもフィルムカメラの技術の終焉に立ち会うのは、あまり気持ちのいい事ではない。しかもいま、デジカメの販売も頭打ちになってきている。かくいう私も、ここで使う写真は富士フィルムのFinePix601を用いる。暗い場所できれいに撮るにはすごく技術がいるが、逆に明るい場所では、非常にきれいに撮れる。

バブルが崩壊する寸前の1990年、父が一眼レフカメラの購入を考えた。それまで、小型のカメラを使っていたから、なかなか大型の企画となった。私の小学生時代は、父は会社の同僚から、大型のマニュアルカメラを借りていた。勿論望遠レンズ付きで借りて、さして運動神経の良くない息子の運動会の写真を遠くから撮っていた。

話は変わって、近所に住む一学年下の友人の家にパーティーかなんかで、両親と夜訪れたとき、8ミリカメラで撮った映像を上映して見せてもらったことがある。大型のカメラも、8ミリの撮影用カメラも、一般の家庭の機材として購入するには高価だった時代の話だ。父達も若かったから、それほど多くの給料をもらっていない。みんな苦労して、こうした記録用の機材を購入したり、借りたりするという苦労が、私の子どもの頃には存在した。

だから、本格的な一眼レフオートフォーカスのカメラを購入すると言い出した時は、少し驚いた。

当時、父はCanonのAFを念頭に置いていた。それに対して私は一時期Nikonを押していた。というのも月刊Gunで当時、アメリカのシューティングマッチのレポートをしていた上坂光さんが、Nikonを愛用しており、折しもNikonのF801を用いて、8000分の一秒の世界を捉えて、レポートとして載せていたからだ。いわゆる瞬間を捉えるカメラとしては非常に有名だった。少し年をとられた方ならば、当時、Nikonはこのカメラの宣伝に、ブーメランの選手を起用し、彼の頭にリンゴを載せ、彼自身がブーメランを投げ、その反転して帰ってきたブーメランが、頭の上のリンゴを砕く。その瞬間を写真で(F801を利用して)撮るように見せたCMをご記憶の方もいるかも知れない。

残念ながら、Nikonのこのカメラは、購入対象からはずれ、父が買ったカメラはCanon EOS630であった。しかし、この選択は間違いではなかった。というのも、当時Niconのオートフォーカスの技術はそれほど高いものではなく、Canonのそれに遥かに劣るものであった。したがって、一瞬でピントをあわすAFの性能が高くないという事は、貴重なシャッターチャンスを逃す可能性が高く、だったらまだマニュアルで使う方が良いという人間も多かった。実は、このNikonのカメラが持つ短所は、上坂氏も指摘していた事でもあった。

そんななか、このEOSは確実にピントを合わす事に長けていた。Nikonを持つ中学時代からの友人も、この早さには驚いていた。

ただ、だからNikonの一眼レフAFが悪いという訳ではなかった。カメラとは単に止まった状態でその場の風景なりを映すものではない。実は、その場の空気すらも撮ることが可能になる道具でもある。NikonのFシリーズから生み出される写真は、青色で非常に冴えた写真を生み出す。従って、金属や冷たい空気を持つ写真を撮る事が可能になる。例えば、友人の三樹君は大学時代から、ヨーロッパに足しげく通っては、写真を撮り、その写真を毎年年賀状にして送ってくれるが、その写真は非常に澄み切った冷めた空気を切り取って、清明な印象を与える。彼のカメラも、NikonのFシリーズである。

それに比較して、CanonのEOSシリーズは、赤色の発色が非常に美しい。暖色系に強いとも言える。しかし、その分非常に空気的にぬるくなるような雰囲気を与える危険性も指摘しておかなければならない。

こうした発色の差が生まれるのは、写真という印刷物を念頭に置きながら、色彩再現のどこに重点をおくかという、メーカそれぞれのイデオロギーの発現でもある。また多くの人が知っている事だが、実際の色の多様性に対して、印刷物の色再現域は非常に狭いものでもある。最近でこそ、AdobeRGBというカラーデバイスを利用して、こうしたモニターの色再現と、印刷の再現域を近づける工夫がなされている。

100年前、ドイツの哲学者ヴォルター・ベンヤミンは、こうした写真という複製技術に、オリジナルが持つアウラ(さしあたり英語で言うところの「オーラ」と考えてもらえば良い)をもたないものとして指摘していた。しかし、あれから一世紀もたち、写真という再現物は確実に人々の心に訴えかけるだけの実力を持つにいたった。それは各メーカや、それぞれの持つカメラの固有の性格や技術の発展の成果でもあるのだ。