月子日記

思うこと、好きなもの

寂しさの概念

2020-07-02 21:34:40 | 思い
きょうは帰る日。

夜明けから夜勤帰りの夫に起こされて、食事をだして、もうすこしだけ寝たいのに、寝れず。
夫は、またひとりで酔っぱらって、さわいでいたし。

結局いつもどおり、事務所へいき、仕事。
日常の事務処理をすこししたあと、先日参加申請しておいた、府の入札第二段の、積算をやってみた。

これで大丈夫だろうとはおもう。
でも、正解を今回は教えてもらえないし。
とんでもなく間違った数字をかくことにならないかと不安。
おなじ積算を何度か繰り返し、同じ金額になるか、やってみるしかない。

そして、部屋へもどり、とんちゃんのトイレを掃除して、お水をかえて。
あしたにはまたもどるので、とんちゃんは泣く泣くおいてきた。



わたしがいなくなるのを知ってか知らずかべたべたと膝にきて、甘えてきてました💦
かわいくてしかたない。:+((*´艸`))+:。

きょうは姉を送るためと、
赤紫蘇を梅漬けにいれるために帰宅。
なので明日にはまた街にもどる。



無事に透明な梅酢があがってきてた。
良かった( ´ー`)

帰りにスーパーで赤紫蘇を1.2キロ購入。
明日は朝から紫蘇をもんでいれる。


そして、あしたは、お昼頃にでて、姉のところへいき、例の不動産やとの話し合いに同席する。
わたしに話ができるのかわからないけど、困っている姉に、ムリーなんて言えない。
頑張ってみる。わたしでも、役にたてるならいいことだものね。

帰ってくるとハニーがむかえてくれた。

わたしはどこへいっても誰かが(たとえ猫でも)待ち構えていてくれる。

そのむかし、常にわたしは寂しさを感じていた。家族もいたし、犬や猫もいつもいた。
なのに、いつも寂しかった。
前の夫が自由主義で、やりたいことをやりたいひとで、家にも帰らないからなのか、とかそのせいにしていたときもあったけど。

いまはそうではないと思っている。

寂しかったのは、依存していたから。
そんなようなことを前の夫にもいわれたことがある。自立性がないというか。

いまの夫もわたしがいないと、寂しいとばかりいう。
わたしがもどると、嬉しいといってる。

でも、夫をみていてつくづく思う。 寂しいのはわたしに依存しきっているからだ。

ちなみに、とんちゃんがそう思うのはほぼ当たり前だけどね。わたしがいないと、とんちゃんは生きていけないから。
でもひとは、自立性をもてば、ひとりでも生きていくことはできる。
楽しいかどうかはその人次第なだけ。

わたしはむかしはまわりに依存しきっていた。

だからどんなに誰に囲まれていたとしても、心のなかに寂しさが抜けていかなかったのだと思う。

わたしはいまひとりの時間にほっとする。

子供たちもわたしのそばにはいなくなったから、よけいに、誰かに期待することをやめてしまったのかも。

だれかといたくない、てわけではないけど、
ひとりもいいときもある、てこと。
ひとりでも寂しいとは思わないてこと。

わたしは猫や夫に依存されていることによるものなのか、寂しさはあまり感じなくなった。

でも、とんちゃんがいなくなったら⁉️

それは…😨💦💦

それだけは考えたくないです( ; ゚Д゚)

もしかして、わたしもとんちゃんに依存してる⁉️こちらがお世話してるのだけど。

でもこれは寂しさの湧いてこない依存です。
とんちゃんは常にそばにいるからかなあ。

とんちゃんがいまごろ寂しいなあと思っているかはわかりません。
思っててほしいな、とこちらが勝手に思っているだけかもね。

ん?

でも、
誰かのことを恋い焦がれると、寂しさを感じるて、説がある。

んー。

わたしは恋い焦がれるようなひとがいないだけなのかな。

いないけどさ。

恋い焦がれてるのは、とんちゃんだけかな。
いまは。

忙しいのもあるかな。

とにかく、することがいっぱい。
したいこともいっぱい。
時間が足りない。

寂しさを感じる時間がないだけなのかなあ。

それか…

いろんなことがありすぎて

寂しいていうネガティブ
感情は
二の次かも、

て、なったのかもです…

生きてること、そのものがありがたかったりします。

いまは寂しさを感じない側のひとだとしても、寂しいという人の気持ちはよくわかるので、
寂しいなんて
暇なだけちゃうん❗
なんてことをいうひともたまにいるけど
わたしはそんなひとにはなりたくない。

寂しいと感じているひとの気持ちに
寄り添えるひとであり続けたいと
思うのです。


コメント
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