死にたい、て
昨日は娘から、今日は妹からLINEがきて。
そりゃ、一瞬はものすごく、焦ります。なんかあったの、どうしたの、と、
きくと、双方ともそれなりな理由もあり、もがくような苦しみもわかるのだけど
死にたいとすぐ口にするひとは、死にはしないと、それは生きたいの裏返しなだけ、と、どこかに書いてあった。
そういえば、昨年亡くなった女優さんや俳優さんは、死にたそうな雰囲気なんかなかった、てまわりのひとたちがいってたよね。
なんで、て、そればかりで。
ほんとうに生きたくないから、死にたいとまわりに言わなかったのでは。
そして、死にたいにはもうひとつの感情もある。寂しいんだと思う。
わたしも以前はよくつぶやいた。
でも、ほんとうに死にそうな目にあったとき、ほんとうはどうしたいのかが
わかる。
心が生きたい、て叫ぶのです。
顔の両眼を殴られてもうこんな顔で生きていたくないと思ったけれど、だんだん内出血の青黒い部分が黄色くなってきたとき、思ったのです。わたしは生きてる、て。
黄色くなるのは内出血が代謝によって、からだに、吸収されてゆくから。自然治癒していく、て、つまり、生きてるということ。
わたしは生きたいんだとおもった。
もう死にたい、と誰かに言えるうちは
大丈夫なんだけどな。
本人にそんなことをいうと、他人事だと思ってるからそんなことがいえるんだ、というので、なにも言えないし、大丈夫⁉️とか、気にせんとき、とか、そりゃそうやな、と共感したり、あたりさわりのない慰めしか返さないけど。
そう口走ってるときの、必死な気持ちはよくわかるから。
きいてみると、
娘の理由は仕事での失敗やブラックな体制の職場など、わりと深刻で心配にはなるのだけど、妹のはかわいい。旦那さんがまたパチンコ勝手にいって、負けたからてかえってきてふて寝して、放置されてる、わたしの存在価値がない、て。精神的な病のせいもあり、なにかあると、無価値感に襲われるよう。
でもそんなこんなでも、結局、夕方は、旦那さんと仲良く烏帽子で飲んでた。
わたしたちは先にきていたけど。
もう死にたい、て数時間前にいってて、もうニコニコおいしいものたべて笑ってる。
良かった、良かった。
もう死にたい、より、もうなにも考えない、にしたらどうかなあ。
もう死にたいというひとが、もちろんすべてそうではないだろうけど
少なくとも妹と娘のもう死にたい、は、
生きたい、寂しい、わかってほしい、
なのです。
もがき苦しんでくうちに、
それを口にしなくなるんだけどな。
わたしはそうだった。
なにがあっても
生きてる限り生きて行くのです。