この世には出会ってはいけないウクレレというものがあるようだ。
少なくとも私にはレイラニという名のウクレレがそうだった。
ソプラノ、コンサート、テナーと3種類の大きさのウクレレを手に入れ
それぞれの音の響きの違いや音色の違い、演奏上の指使いの違いなどを
楽しみながら過ごしていた2007年の秋のことである。
さすがにもうこれ以上はウクレレを増やすわけにはいかないな。
それよりウクレレを上手く弾きこなす練習をつんだほうが自分のためだよな。
と、自身に言い聞かせながら久しぶりに御茶ノ水の楽器屋街をとぼとぼと歩いていた。
楽器に強い御茶ノ水でもウクレレをシリアスに扱っている楽器屋は3軒もない。
ほとんどがエレキかアコーステックギターのお店ばかりだ。
あるいはサックス・トランペットといった管楽器専門店か
ヴァイオリン・チェロといった弦楽器専門店だ。
もともとウクレレ自体がマイナーな楽器であるし、大昔ハワイアンバンド全盛の頃ならば
それなりに普通のお店でも扱いがあったのだろうが、今ではハッキリいって人気は下火だ。
同じアコースティツクな楽器でもフォークギターはなぜか人気が衰えない。
衰えないどころか最近ではお金が自由になった中高年を中心に人気再燃の気配すらある。
定番人気のマーチンなどなぜだか年々価格が上昇しているように感じるのは気のせいだろうか。
マーチンの000-42など80万円近くするし、テイラーやノースウッドも
どうしてこんなに値段が高いのかと思うほどになってしまった。
まぁ、私はもうウクレレしか興味ないからギターはもういいんだけど。
そんな中、ウクレレを少なからず展示している楽器屋の中にそのウクレレはあった。
ウクレレマニアのあいだで幻の名品といわれるウクレレ「レイラニ」である。
なぜだかどの世界にも「究極の名品」というのがあるのは不思議だ。
クルマでいえばブガッティ、腕時計ならパテック・フィリップ、万年筆ならばヴィスコンティ、
スーツならばブリオーニ、花瓶ならラリック、カメラならローライ、ジョッターならクレインと
挙げていくとキリがないが、とにかくどれもこれも究極の名品なことに違いはない。
うわさには聞いていたが本物を見るのは初めてだった。
初めて見るレイラニだが、一目見て今まで見たどのウクレレとも違うと感じた。
厳選されたコア材が形作る自然なトラ目模様の美しさは他のどのウクレレより抜きん出ている。
白蝶貝をモチーフにしたシェルサウンドホールも更なる美しさを引き出していた。
レイラニはすべてのモデルがアヴァロンのバインディング仕様になっているのだが、
そのアヴァロン(アワビ貝)のバインデイングが光の加減でなぜかグリーンに輝いていて
その宝石のような美しさは、今まで見てきたウクレレの概念をくつがえすものであった。
それにしても、なぜレイラニがそれほどまでに名品といわれるのであろうか。
それはなんといっても独自のブレーシングによる「しっとりとした甘いサウンド」なのである。
確かに外見だけでも「宝石のような」という形容をつけたくなるような逸品なのだが
一度でもその「とろけるような甘いサウンド」を聞いてしまうと我を失いそうになるのである。
私も例外ではなかった。
おそるおそる店頭で試し弾いてみて、このポロンポロンした甘いサウンドは
いつまでも弾き続けたくなってしまう魔力があるように感じたのである。
恐るべしレイラニサウンド。
このレイラニにやられたウクレレマニアは実際のところかなりの数にのぼるらしい。
レイラニウクレレは実はハワイの製品ではない。
なんとアメリカ、メインランドのフロリダで制作されている。
製作者のHALE LEIRANI氏もハワイの人ではない。
マーチン社の技術顧問であったオーガスト・ロ・プリンチ氏との
共同制作からレイラニウクレレは始まった。
もちろんオーガスト・ロ・プリンチ氏制作のウクレレもあるが、
こちらもかなりの高額で取引されている逸品である。
ロプリンチ氏はクラシックギターの製作者でもあり、マーチンの技術顧問は14年間であった。
ロプリンチ氏製作のウクレレが「明るい甘さ」なのに比べて
レイラニは「しっとりとした甘さ」なのである。
もう、ここまでくると日本酒の利き酒のようで弾いている側も聞いている側も
ワケがわからなくなってくるのである。
とにかく名品であることには間違いないのですが・・・・。
しかしながら、レイラニ氏は2007年の9月に急逝してしまう。
やっとこさ、レイラニウクレレが世の中に浸透し始めてきた矢先の出来事である。
これからレイラニウクレレが世の中に羽ばたこうという矢先の出来事である。
ご存知のようにレイラニウクレレはすべてハンドメイドで製作されており
月産の製作本数も多分数本だろうと思う。
レイラニ氏亡き後はもうあのレイラニマジックは奏でられないのである。
これをして「幻のウクレレ」というわけである。
それが証拠に私は暇さえあれば街のウクレレショップやネットなどで
レイラニウクレレを捜し続けているのだが、なかなか見つけることができないのである。
というよりも市場からは消えてしまったのだ。
そんなレイラニだが気がついたら私の手元にあるのである。
詳細を書くのははばかられるが、これほど幸福なことがあろうか。
あれほど思い願った逸品を手にして弾く幸せ。
間違いなくレイラニサウンドは「音の宝石」である。
それは今後も変わることはないであろう。
レイラニ氏の急逝は本当に悲しむべきことである。
偶然にもお亡くなりになる前にレイラニウクレレと出会い
レイラニウクレレを所有できたことに不思議な縁を感じる。
生涯大切に弾き続けていこうと思うウクレレなのである。