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ハーバード大のビジネス・スクールに留学した友人が、
そこで叩き込まれた最新の経営手法よりも面白かった授業がこんな授業だった。
死の床にあるかつての優秀な経営者何十人に今一度人生を振り返ってもらった。
すると「もっと仕事をすればよかった」という人は誰もいなかったそうだ。
誰もが「家族や自分のためにもっと時間を使いたかった」と話すそうである。
つまり、どんなに成功しても自分なりの「働く意味」を見いだせなければ
幸せにはなれない。そう教え込まれたそうである。
これは私にとっても深く意味のある授業である。
経済学者であるかのケインズ博士も「生きるために働く必要がなくなったとき、
人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる」といっているが
まさしくそのとおりであろう。
今やこの日本で働く意味とはどんなものであろうか。
日経の取材班のアンケートでも「自分の成長」(46%)、「達成感」(43%)、
が上位に入り「賃金」(31%)はなんと7位である。
今、この豊かな日本という国では賃金のために働く者はかように少ないのである。
なんと豊かになってしまったことであろうか。
でも、考えてみればこの20年ばかり日本はずっと豊かだったのである。
20年以上昔の学生の就職時でも、真面目に働いて賃金を稼ぐということよりも
自分の好きな仕事、やりがいのある仕事などという子供じみた動機で
就職した連中がたくさんいたものだ。
その後、就職氷河期が訪れることになるが、
それでもこの国は他国に比べても格段に豊かなのである。
30歳を超え、40歳を超えても親のスネをかじり続けるという異常な連中も
いるくらいである。高齢者を中心に異常なほどこの国は今でも豊かなのだ。
働きもしないで、毎日をグータラ暮らしている人がいる。
最近では中年のプー太郎のことを「中太郎」と呼ぶらしいが、
死なない程度にお金があるから、そんな暮らしができるのであって
そのお金も底をついてしまったらグータラ生活もできないであろう。
そんなグータラしている人々の日常を、私はブログなどを読んで知ることになるのだが
なぜだかとてつもなく虚無的で読んでいてとても悲しくなる。
たいていの中太郎のブログも日々の雑記などを中心に書かれていて、
よくある他のブログなどと変わらないものが多い。
私もいったんお気に入りなどに登録してしまうと、
マメに長い期間その人のブログを読んでしまう。
だんだんに文章や行間からその人の人となりが推測できてくる。
往々にして年齢や趣味など私と似通った人が多いのだが、
グータラ生活も気楽なようでいて、
実のところ虚無的で本当は悲しいんだなということがワカってくる。
本当は世の中でもっと脚光を浴びたり、達成感のある仕事や
後世まで語り継がれるような作品などを残したいのだろうが
ブログの文章からはもはや覇気もなく負け犬化状態だ。
でも、本当はほとんどの人が中太郎と同じ心境なんじゃないだろうか。
すると先のケインズ博士の言葉が身にしみてくるわけである。
何のために仕事をするのか?
私は端的に「賃金」のためであろう。
ほんとうにそれだけか?
多分、現在の仕事ではそれだけだ。
でも、今の仕事をいつまでもやっていきたいとは思わないが・・・。
結局、私の場合は恥ずかしいことにお金に終始している。
家族がいて、現金が即金で必要なことが日常的に多い場合
きれいゴトなど言ってられない場合が多い。
私にとってもお金はやはりとても大切なのだ。
でも、それだけが働く意味なのかどうかは実に難しい問題だ。
私は今でも考えながら走っている。