【勝興寺を訪ねて①】
勝興寺の歩み
①勝興寺の起こり・・・土山御坊から高木場御坊、そして安養寺御坊
②国宝・勝興寺・・・・1584年(天正12年)、佐々成政が古国府城の土地を越中一向一揆に寄進し、顕幸が移ったこの地が現在の勝興寺である。
◎2023年6月21日編集 富山県にて 写真 14枚 + 動画
・土山御坊
勝興寺の起こりは1471年(文明3年)、蓮如が越中砺波群蟹谷庄土山(現:富山県南砺市土山)に本願寺八世 蓮如上人が営んだ土山御坊(どやまごぼう)を起源とします。
蓮如の次男蓮乗や四男蓮誓を住職として約14年間に及びました。
蓮如上人像と杉浦萬兵衛家累代のお墓(後方)
土豪杉浦萬兵衛宅の庭・・・蓮如が造作したと言われる庭園(復元)
近くの小峰城(佐々成政が築いた)跡
・高木場御坊・勝興寺
その後1491年(明応3年)に蟹谷庄高木場(現:南砺市高窪)へ移転。
火災による焼失後、1517年(永正14年)、佐渡にあった順徳天皇御願寺の勝興寺(殊勝誓願興行寺)を再興し、寺号を相続して「勝興寺」 と称した。
丘の上の平地、今は田んぼになっています。右上の丘(草刈りの終わった丘)に石碑がありました。
石碑?
丘の横の民家の玄関横に蓮如上人の腰掛の石が置いてあります。
・安養寺御坊・勝興寺
1591年(永正16年)には安養寺村(現:富山県小矢部市末友)に移り、蓮誓の次男実玄が安養寺城を建てた。
勝興寺は戦国時代、瑞泉寺と並んで越中一向一揆の中心勢力として猛威を振るったが、1581年(天正9年)、第5代顯幸の時に石黒成綱に焼き討ちされた。
「雲龍山・勝興寺」の石碑
そして現在の勝興寺へ・・・・
より詳細は動画でご覧ください・・・土山御坊から
②勝興寺を訪ねて② 国宝・勝興寺 へ続きます。
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