【③義仲進軍の道(ふるさと歩道)】
②埴生護国八幡宮とその周辺 ③ふるさと歩道(義仲進軍の道) ④いにしえの街道(歴史国道)① ⑤いにしえの街道(歴史国道)② ⑥いにしえの街道(歴史国道)③ ⑦源平ライン
⑧倶利伽羅古道とその周辺 ⑨猿ヶ馬場とその周辺 ⑩倶利伽羅不動寺とその周辺 ⑪弓の清水・般若野古戦場 ⑫越後より砺波山へ ⑬葵塚・巴塚古墳群 ⑭巴御前終焉の地
◎2024年10月15日編集 富山県にて 写真23枚
埴生口から猿ヶ馬場まで片道4.2㎞・倶利伽羅源平の郷埴生口、義仲進軍碑、埴生大池、お万伝説と地蔵堂跡、濁池跡、毘沙門天像、黒坂口、大平、猿ヶ馬場、参考・金峯坂、参考・北黒坂
★倶利伽羅源平の郷埴生口・・・観光案内所があり散策前に色々学べることが出来ます。
★義仲進軍碑・・・義仲はこの地より毘沙門川を上がり、進軍したと言われています。
★ふるさと歩道(案内板では焦げ茶色のルート)塔の橋までの歩道です・・・義仲進軍路は埴生大池を越えしばらく進み、ふるさと歩道の途中、塔の橋の手前から右側の急坂を経て猿ヶ馬場に向かいました(緑色の破線)。
倶利伽羅古戦場・埴生大池の方に進みます。
夫婦滝
★埴生大池・・・今は渇水期でしょうか?水量が少ないです。この池の歴史として8世紀にはすでに聖なる霊池として、通りがかる人の信仰を集めていたというから、実に古い池で、もとは天然湖沼でした。
★「雲従龍」の碑・・・平成に入ってからの大池大改修完工記念碑。
★お万伝説と地蔵堂跡・・・埴生大池の堤防工事に、お万という娘が人柱となり、堤防を守ったとか。峠にある不動寺のあたりは池の水源でもあり、現在は不動寺におまん地蔵が祀られています。
池の前のガラス張りの小さな廟が立っています。
参考・・・倶利伽羅不動寺の境内にある「お万地蔵」
★濁池跡・・・歩道は草木が茂りいけませんでした。龍伝説が言い伝えられており、この池の水が少なくなると池に棲む龍が埴生大池の方に一時避難したため、池の水が大きく濁ったことが名の由来だという。
★小矢部の七福神の一つの「毘沙門天像」があります。
★黒坂口・・・義仲軍はここに陣を構えたところです。
★大平・・・義仲軍はここより「大平」方向に進み猿ヶ馬場の手前の急坂に進んだと思われます。分岐点から猿ヶ馬場まで約0.8㎞(途中で車の通行止めでした)。
猿ヶ馬場からの大沼方面への降り口です
◎石動から安楽寺、金峯坂、北黒坂を通って進んだ余田次郎(宮崎・向田)軍 三千人のルートです。
★金峯坂(きんぷざか)・・・義仲軍の信濃住人余田次郎を大将に、信濃武士3千余騎、宮崎太郎、向田荒次郎を案内に、安楽寺、金峯坂を通り、北黒坂へ向かった場所。
★北黒坂・・・義仲軍の信濃住人余田次郎を大将に、信濃武士3千余騎、宮崎太郎、向田荒次郎を案内に、安楽寺、金峯坂を通り金峯坂陣を張ったところです。
★神様山・・・余田・宮崎・向田隊が平家軍を攻めた場所です。