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越中富山いろいろ紹介

高山植物の花から身近な野草の可憐な花を。また野山でであった野鳥を含め又北陸の祭りや観光スポットなど紹介。

鳥越城跡③

2025-02-17 07:19:03 | 観光スポット紹介

【鳥越城跡③】

  ★鳥越城跡①・・・鳥越城入口、出丸、あやめが池、土橋

  ★鳥越城跡②・・・桝形門、本丸門、本丸跡

  ★鳥越城跡③・・・二ノ丸、中の門、後二ノ丸、後三ノ丸

◎2025年1月10日編集(2022年7月8日 撮影) 石川県にて 写真19枚

石垣と柵列・・・手前の平らな広い部分が中の丸です

中の丸門

「中の丸門」・・・「門」というと漆喰と瓦のイメージがあるが、鳥越城の門は木製。天守閣もなく、追い詰められた門徒が木と石で作った城だったそうだ。

中の丸門の外側・・・急で細い坂になっています

前二の丸から本丸を望む

前二ノ丸の隅楼

後二の丸と後三の丸へ

後二の丸

本丸跡から見た後二の丸・・・本丸跡からの景色。 田園風景が美しいふもとの町を隅々まで見渡すことができます。

後二の丸への入口・・・玉石園路を登っていきます

本丸と後二の丸の間の空堀(堀切)

後二の丸・・・奥の崖の上が本丸跡です

後二の丸の土塁

後三の丸・・・後三の丸は、二段に分かれていて鳥越城の曲輪の中では一番広いものです。後三の丸の周囲には空堀が掘られています。

後三の丸跡

 

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鳥越城跡②

2025-02-16 07:45:08 | 観光スポット紹介

【鳥越城跡②】

  ★鳥越城跡①・・・鳥越城入口、出丸、あやめが池、土橋

  ★鳥越城跡②・・・桝形門、本丸門、本丸跡

  ★鳥越城跡③・・・二ノ丸、中の門、後二ノ丸、後三ノ丸

◎2025年1月10日編集(2022年7月8日 撮影) 石川県にて 写真16枚

鳥越城跡・本丸跡・・・桝形門をくぐると、本丸への道は二回折れ曲がります。入口を守る「桝形」です。多分織田軍の城づくりの手法です。後ろに見えるのが本丸門です。

鳥越城跡案内図・・・中央部分の本丸部分

桝形門(ますがたもん)

本丸虎口は、三方が石垣で築かれていて桝形虎口となっています・・・右側の石垣は2024年の能登半島地震で一部崩落しました。

鳥越城枡形門の内側・・・正面入ると右に直角に曲がり、更に左に直角に曲がる構造で、敵の侵入の勢いを削ぐ形になっています。

本丸門(ほんまるもん)・・・本丸櫓門

本丸櫓門

本丸跡・・・本丸にも「二つの時代」が見られます。

本丸望楼台より見た本丸跡・・・本丸の柵列および鳥越城本丸跡と土塁・・・本丸跡からも決して大きくはない城だったことが分かる。柱や井戸の跡があり、当時の生活を想像することができます。

左側に木製の柵列・・・地面に立てられた木の柱と石の建物跡で、木の柱は地面に直接柱を立てた一向一揆の建物、石は礎石を置いて建てた織田軍の建物跡だそうです。

中央部分・・・奥に便所跡と右に広がる土塁があります

右側部分・・・・土塁と井戸跡

便所跡

本丸井戸跡

本丸望楼台跡・・・後ろ側に見えるのが中の丸門と二の丸跡

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鳥越城跡①

2025-02-15 06:47:32 | 観光スポット紹介

【鳥越城跡①】

鳥越城は、「百姓の持ちたる国」、「一向一揆 最後の砦」と言われ、1573年頃に加賀国白山麓の一向一揆の軍事拠点として、鈴木出羽守によって築城されています。

縄張りは、山頂にある本丸を中心とした5ヶ所の主要な郭と3ヶ所の腰曲輪から構成されていて、郭は本丸・二の丸・三の丸・後二の丸・後三の丸があり連郭式城郭】という配置だそうです。 

1582年、本能寺の変の約3か月前、鳥越城は柴田勝家らの猛攻よって落城、ここは、血で血を洗うような激しい戦いの果てに「百姓の持ちたる国」が終焉を迎えた場所なのです。

鳥越城落城後、大規模な残党狩りによって300余人の門徒が手取川で磔(はりつけ)にされた。その後も大規模な残党狩りによって、その後数年の間、白山麓の村々からは人の気配が無くなったと言われています。

  ★鳥越城跡①・・・鳥越城入口、出丸、あやめが池、土橋

  ★鳥越城跡②・・・桝形門、本丸門、本丸跡

  ★鳥越城跡③・・・二ノ丸、中の門、後二ノ丸、後三ノ丸

◎2025年1月10日編集(2022年7月8日 撮影) 石川県にて 写真17枚

鳥越城跡 入口・・・令和4年8月4日(2022年)の大雨により土砂崩れが発生したため、鳥越城跡へは当分の間、登城できません。(2025年4月復旧予定) 

鳥越城は、石川県白山市三坂町にある標高312mの城山山頂に築かれた中世の山城跡で、大日川対岸の山上にある附の二曲城とともに国史跡に指定されています。

鳥越城跡入口(現在地)~出丸~鳥越城本丸 へ

続日本百名城の認定書

【出丸跡】は、有事の際の最初の拠点です・・・中腹あたりにありました。石碑と祠と案内板

加賀一向一揆の最後のとりで・鳥越城址・・・石碑には「天正八年十一月落城」の文字が。築城の年ではなく落城の年が記されており、どこか寂しい気持ちにさせられます。

小さな祠

本丸跡の駐車場に着きました。

「加賀一向一揆500年記念碑」「一揆敗れて山河あり」と記され、 門徒が手取川で磔(はりつけ)にされる様子が彫られている・・・織田軍によりたちまち鎮圧されています。この際の織田軍の弾圧は苛烈を極め、門徒衆三百余人が磔に処せられています。

あやめが池

あやめが池と空堀

玉石敷園路・・・本丸、後二の丸の横にあります。

後二の丸空堀を跨ぐ土橋

 

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歴史の道《田近越 》③

2025-02-03 07:14:16 | 観光スポット紹介

【歴史の道《田近越 》③】

③は 田近越への道(国道359号線)、田近越への道(県道214号線)波自加彌神社遙拝殿、波自加彌神社、その他周辺

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《田近越》①・・・金沢市今町~四坊高坂町~加賀朝日町~朝日山城跡~北千石町~琴町~舟尾地区

  ★歴史の道《田近越》②・・・梨の木平山~津幡町南横根~一乗寺城跡~小矢部市五郎丸~八講田

  ★歴史の道《田近越》③・・・田近越への道、波自加彌神社、その他周辺

◎2024年12月3日編集 石川県にて 写真29枚

☆「田近越古道」への入口・・・国道359号線の災害復旧バイパスの途中に田近越古道へ行く道があります。

途中「梨の木平山」への登山道(近道)入り口がありました。頂上まで400ⅿ、奥に登山口の標識があります。

さらに山頂まで350ⅿの標識があります・・・ここから山道に入ります。

林道をさらに進むとちょっと広い三叉路・・・駐車場です。後は林道で車を止める場所がありません。

☆県道214号線と倶利伽羅古戦場から来る道の交差点(北横根口)に「一乗寺城跡(枡山)」に向かう林道があります。

ここから「一乗寺城跡」に車で行けます。

☆「波自加彌神社 遙拝殿」・・・波自加彌神社は小高い丘の上にあるのですが、北陸本線をはさんだ二日市町の集落の中に遥拝殿があり、宮司さんのお宅もそちらのほうにお住まいです。

波自加彌神社の里宮の遙拝殿です。

☆「波自加彌神社」(はじかみじんじゃ)・・・波自加彌神社は日本で唯一香辛料の神様をお祀りする神社で、石川県金沢市の二日市町と花園八幡町の入会地に鎮座し、波自加彌神、一国一社護国正八幡神を主祭神とします。

一千三百年の歴史を誇る延喜式内(えんぎしきない)の古社です。

社名の由来は、歯で噛んで辛いものすなわち、ショウガ・ワサビ・サンショウなどの古語で『薑・椒(はじかみ)』を語源としており、香辛料の神をまつる神社です。

若葉の繁る毎年6月15日に行われる「はじかみ大祭」(通称・しょうが祭り)には、清められた生姜湯が参拝者に振る舞われます。

旧参道・・・奥に横穴古墳があります

☆津幡町倶利伽羅地区の相窪(あいくぼ)区に、源義経に従い木曽義仲追討の宇治川の戦いで、先陣争いをして有名な佐々木四郎高綱が創建した乗光寺(じょうこうじ)跡があります。

集落東方の丘陵頂部にあるその発祥地には、高綱の墓とされる墓参道が残っています。また、隣村の南横根と常徳(じょうとく)には、同寺ゆかりの石碑が残っています。

☆御手洗の池「聖徳太子像」お隠れ伝説の池

津幡町倶利伽羅地区の北横根区に、聖徳太子にまつわる伝説が残る「御手洗の池(みたらしのいけ)」があります。この池にはかつて、聖徳太子像が石棺に入れて水中に沈められていました。

☆「桂谷の滝」(津幡町常徳)

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歴史の道《田近越 》②

2025-02-02 07:29:25 | 観光スポット紹介

【歴史の道《田近越 》②】

②は 梨の木平山~津幡町南横根~一乗寺城跡~小矢部市五郎丸~八講田のルートです。

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《田近越》①・・・金沢市今町~四坊高坂町~加賀朝日町~朝日山城跡~北千石町~琴町~舟尾地区

  ★歴史の道《田近越》②・・・梨の木平山~津幡町南横根~一乗寺城跡~小矢部市五郎丸~八講田

  ★歴史の道《田近越》③・・・田近越への道、波自加彌神社、その他周辺

◎2024年12月3日編集 石川県にて 写真31枚

☆梨の木平山です。

林道を進むと道案内の表示・・・五郎丸・登り口  梨の木平山 0.8km、歴史の道百選 田近越 1km

☆三叉路に田近越標識

☆梨の木平山へ向かう田近越古道です。

☆右へ進みます・・・「一乗寺城跡」へ1.5km、五郎丸 3.7kmです

☆田近越古道です。

☆やがて常徳方面に向かう林道に合流(三叉路)

☆さらに北横江方面に向かうと(田近越古道・林道)・・・右に入る三叉路がありました。

☆「一乗寺城跡」方面に向かう田近越古道

☆「一乗寺城跡」です・・・・梨の木平山方面よりの田近越古道

☆「一乗寺城跡の石碑」

「田近越古道」を城跡に沿って進むと案内板が見えました

☆田近越古道は城跡に沿って五郎丸方面に向かっています

道端に「六字名号の石碑」

☆「一乗寺城跡の堀切」・・・右側が櫓台側です

☆「田近越古道」・・・城跡の南側を通っています。

☆途中 一乗寺城跡への登り口(仮道)があります・・・登ってみました。

左が登り口、右側が「田近越古道」

来た道です

二の丸跡に出ました。

右に進んで、主曲輪(本丸)跡に出ます。

ここは枡山頂上(279ⅿ)の本丸跡です。

本丸よりの展望・・・富山方面

三の丸跡

三の丸跡から櫓台跡や土塁を見る

登り口に戻り五郎丸方面の「田近越古道」

そして山を下りて小矢部市八講田へ・・・田近越古道の出口と思われる道と橋です。

 

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歴史の道《田近越 》①

2025-02-01 08:21:38 | 観光スポット紹介

【歴史の道《田近越 》①】

田近越古道は砺波群の北部(現在の小矢部市)から山越えをし、金沢北部の森下川右岸の平野部に出て金沢に向かう道です。道筋には一乗寺城跡と朝日山城跡があります。

①は 金沢市今町~四坊高坂町~加賀朝日町~朝日山城跡~北千石町~琴町~舟尾地区のルートです。

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《田近越》①・・・金沢市今町~四坊高坂町~加賀朝日町~朝日山城跡~北千石町~琴町~舟尾地区

  ★歴史の道《田近越》②・・・梨の木平山~津幡町南横根~一乗寺城跡~小矢部市五郎丸~八講田

  ★歴史の道《田近越》③・・・田近越への道、波自加彌神社、その他周辺

◎2024年12月3日編集 石川県にて 写真31枚

金沢市今町がスタート地点。ここから田近越古道が始まります・・・奥に田近踏切があります。

①~④が認定された歴史の道

地名からは消えましたが、踏切に「田近」の名称が残っています。

新幹線をくぐって尾根を登ります。この辺りで古道と新道が合流する

古道沿いにあったという地蔵尊

黄金清水の霊泉(金沢市四坊高坂町)・・・ここは田近郷の中心神社・波自加彌神社の元社跡とのことです

宮司の苗字が田近さんでした

この清水に黄金も生じたため「黄金の清水」と呼ばれたそうです

四坊高坂町には、明治40年に花園村に合併するまで田近村の役場があったそうです。急坂の階段の参道を登ると、古木が見事な八幡社です。

ここから深田三角点にの方の山道になります。

「地代隧道」・・・このトンネルの上の尾根を田近越古道の旧道が通っています。そして鞍筒町で県道213号線に出ます。

旧金沢市立朝日小学校の跡地です・・今は朝日公民館になっています

加賀朝日町を過ぎ、三叉路で左に折れ「朝日山城跡」に向かいます・・・土砂取り場の横には朝日山城跡があります。

左側の上部に本丸に登る梯子が見えます。

城跡直下の追分に六字名号の石碑があります・・・左側の道へ田近越古道が続いています。

日本武尊神社の手前、北千石町に下りる田近越古道と思われる道があります。

分岐点の奥に「日本武尊神社」がありました

朝日山城跡からの田近越古道が北千石社の横に降りてきています・・・北千石社横の道

北千石社

さらに県道212号線を越して舟尾地区に向かいます。

舟尾地区の神社の後を田近越古道がありました・・・奥が北千石町側。

急な坂道を登っていきます(田近越古道)

左手に舟尾地区の神社がありました。

津幡町舟尾の「少彦神社」・・・少彦名神(すくなびこなの神)をお祀りされているようです。

さらに田近越古道を登っていくと・・・

何とか北千石の田圃部に出ました・・・天空の田園です。

この後 田近越古道は梨の木平山に向けて進みます。

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歴史の道①(富山~石川)

2025-01-22 13:23:35 | 観光スポット紹介

【歴史の道①(富山~石川)】

 歴史の道①(富山~石川) ベース

  ☆小原越(加越国境城跡群及び道) ・・・・・・ 小原越①  小原越②  小原越③  小原越④  小原越⑤

  ☆二俣越(朴坂越(殿様街道)・三ノ坂越) ・・ 二俣越①  二俣越②  二俣越③  三ノ坂越④  三ノ坂越⑤

  ☆田近越古道・・・・・・・・・・・・・・・・・ 田近越古道①  田近越古道②  田近越古道③

 ☆歴史の道②(富山~石川) ベース

◎2024年12月1日編集  富山県にて 写真4枚

☆文化庁剪定「歴史の道百選」の追加選定について

 1 文化庁では、古くから人、物、情報の交流の舞台となってきた道や水路等の保存と活用を呼びかけ、顕彰するため、「歴史の道百選」として78か所を選定していたが、今回、その理解をより一層深めるため、令和元年10月29日に、36か所を追加選定した(合計114か所となりました)。

 2 石川県からは金沢市と津幡町を通り富山県にまたがる「田近越・小原越・二俣越(朴坂越・三ノ坂越)」が追加選定された。

★令和元年(2019年)10月29日に追加選定された田近越え、小原越、二俣越の歴史の道

☆田近越(たぢかごえ)・小原越(おはらごえ)・二俣越(ふたまたごえ)《朴坂越(ほうさかごえ)・三ノ坂(さんのさかごえ)》

 選定箇所

  田近越:富山県小矢部市八講田、五郎丸、八伏地内

      石川県河北郡津幡町字南横根、字常徳地内

      石川県金沢市琴町、北千石町地内、  延長約3km

  小原越:富山県小矢部市五郎丸、内山地内

      石川県金沢市竹又町、堀切町、桐山町、   延長約6km

  二俣越:富山県南砺市坂本、小又、土山

      石川県金沢市荒山町、二俣町、不室町、釣部町、牧町、伝燈寺町、夕日寺町、御所町、山王町地内   延長約9km

 概要

  加賀と越中を結ぶ道であり、中世まで遡る。金沢と砺波郡間において田近越・小原越・二俣越の3ルートが確認されており、北国街道(北陸道)を利用するよりも距離が近いことから、活発な往来があった。

  道筋には中世の山城が国境で対峙するように築かれており、天正12年~13年(1584~1585)の前田利家と佐々成政による加越国境の攻防の緊張を伝えている。

  田近越は 砺波郡の北部(現在の小矢部市)から山越えし、金沢北部の森下川右岸の平野に出て金沢へ道である。道筋には一乗寺城跡と朝日山城跡がある。

  小原越は 砺波郡の北部から山越えし、森下川沿いの谷に出て金沢へ向かう道である。道筋には松根城跡と切山城跡があり、松根城跡では堀切が道を切断する戦時封鎖が確認されており、一部が「加越国境城跡群及び道」に指定されている。

  二俣越は 砺波郡南部(現在の南砺市)から山越えして金沢城下の東にでる道である。道筋には荒山城跡と高峠城跡がある。朴坂越は越中側の地元での通称、三ノ坂越は加賀側の地元での通称である。 

★90.小原越・・・小矢部市五郎丸から金沢市桐山町まで

★90.二俣越・・・二俣越は南砺市坂本から金沢市二俣町までを通称「朴坂越」、金沢市二俣から金沢市山王町までを通称「三ノ坂越」と呼んでいました。

★90.田近越・・・小矢部市八講田から金沢市北千石町まで

 

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歴史の道《二俣越(三ノ坂越)⑤ 》

2025-01-22 07:13:11 | 観光スポット紹介

【歴史の道《二俣越(三ノ坂越)⑤  》】

富山県福光に通ずる古道の中で、石川県側の夕日寺町から二俣町の本泉寺迄を通称「三ノ坂往来」と呼ばれています。

夕日寺地区から山王町にかけての三ノ坂往来

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》①・・・南砺市坂本~南砺市法林寺~南砺市小又

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》②・・・南砺市小又~南砺市土山~金沢市砂子坂

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》③・・・金沢市砂子坂~金沢市荒山町~金沢市二俣町

  ★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》④・・・本泉寺、金沢市二俣町~高峠城跡

  ★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》⑤・・・夕日寺~大樋町

◎2024年12月1日編集 石川県にて 写真26枚

左側が高峠城跡の方から来た「三ノ坂往来」で右側の山道が伝燈寺に向かう道。

夕日寺周辺の三ノ坂往来の地図(抜粋)

三叉路の標識

「三ノ坂往来」の夕日寺・大休場方面

大休場の手前に供養塔・・・「義賢名号塔」があります。

「大休場(おおやすんば)」に着きました。

「茶屋跡」・・・広場に木製のテーブルとイスが置いてありました。

大休場からの展望・・・白山方面が見えました。

大休場を後にして夕日寺・山王町方向に進みます

大休場の手前に大休場から堂屋敷跡に下りる旧道の標識がありました。

大休場から堂屋敷跡に下りる旧道

堂屋敷跡に出ました。

夕日寺の地名の由来が書いてありました

林道に向かう旧道が続いています

堂屋敷跡から林道に出る出口(入口)

山王町の地図です。

「三ノ坂往来の標識」と三ノ坂往来です・・・ここから夕日寺の尾根に続いています

山王町の住宅地にある「三ノ坂往来」の出口(入口)に出ます。

住宅の横を「三ノ坂往来」の道が残っていました。

山王橋の横にある「茶店跡」と思われる場所です。

茶店跡近くにあった「長屋道標」・・・1681年に建立されたものです

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歴史の道《二俣越(三ノ坂越)④》

2025-01-21 07:15:05 | 観光スポット紹介

【歴史の道《二俣越(三ノ坂越)④》】

富山県福光に通ずる古道の中で、石川県側の夕日寺町から二俣町の本泉寺迄を通称「三ノ坂往来」と呼ばれています。

二俣の本泉寺から街中を抜け高峠城跡に向かいます。ほとんどが尾根伝いの細い山道なので今回はパスしました。 

高峠城跡から釣部町、夕日寺町、山王町、大樋町が 二俣越(三ノ坂越)です。

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》①・・・南砺市坂本~南砺市法林寺~南砺市小又

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》②・・・南砺市小又~南砺市土山~金沢市砂子坂

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》③・・・金沢市砂子坂~金沢市荒山町~金沢市二俣町

  ★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》④・・・本泉寺、金沢市二俣町~高峠城跡

  ★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》⑤・・・夕日寺~大樋町

◎2024年12月1日編集 石川県にて 写真21枚

二俣 本泉寺・・・金沢市東部、医王山山麓の二俣町に位置する真宗大谷派の寺院で、松扉山青光院と号します。1442(嘉吉2)年本願寺6世巧如の第3子で越中井波瑞泉寺2世である如乗が二俣の地に開創し、瑞泉寺、本泉寺を兼任しました。

本泉寺手水舎(ちょうずしゃ)・・・本堂前方南東寄に建つ木造桟瓦葺の手水舎。断面六角形の柱3本を内側に傾けて立て,アーチ状の梁を渡して丸桁で支えてあります。登録有形文化財です。

                 屋根棟頂部には帽子状の石を据えてあり、大工石崎清左衛門の手によりつくられた、明治初期の新しい建築様式への取り組みを表す独特な遺構です。

登録有形文化財(建造物)となっています

綽如上人(しゃくにょしょうにん  本願寺第8世・蓮如の曽祖父)

本堂です。地元からの寄進によるケヤキ材によって、大正10年(1921年)に完成しました。総欅造りで、建物の内外に施された彫り物も豊かで、豪壮さと優雅さとを併せ持つ本堂です。

金沢市有形文化財に指定されている山門は、門扉には花狭間菱格子を設け、その中央に円形状の透彫彫刻を施してあります。左右の羽目板にも滝を題材とした彫刻を備えるなど装飾性に富んだ構成となっております。

中央(大)と左右(小)の三つの門を併せ持つ三門の形態を持っています。

本泉寺 式台

二俣の街中ある道標・・・右 山ミち で三ノ坂越と思われます。

三ノ坂越は二俣村から小二又村、夕日寺村、御所村を経て大樋村まで通っています。

二俣町から高峠城跡に向かいました

高峠城跡へ入る林道の手前に「三ノ坂往来」と書いた道標がありました

ここから大樋村の方に入る三ノ坂越の街道です

さらに林道を進むと高峠城跡の方に入る林道がありました。

途中 石碑がありました・・・立石の地名について書いてあります。

高峠城跡に登る道と思われる道です・・・ピンクの紐が結んでありました。

杉木と笹藪の中を抜けると小高い場所に出ます

高峠城跡の後だと思われます・・・加越を結ぶ街道の二俣道を監視するように街道に沿って築かれているようです。縄張りは主郭から直線的に郭が並ぶ単純な形のようです。

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歴史の道《二俣越(朴坂越)》③

2025-01-20 07:12:44 | 観光スポット紹介

【歴史の道《二俣越(朴坂越)》③】

南砺市砂子坂から県道27号線を進み、県境を越え金沢市荒山町に入ります。

荒山大橋の手前で荒山町への幹道に入り、正面に荒山城跡のある山を見ながら荒山大橋の下をくぐります。

砂子坂町や奥新保町からくる医王ダムサイトのの道に合流し、再び 県道27号線に合流し、二俣町まで進みます。

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》①・・・南砺市坂本~南砺市法林寺~南砺市小又

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》②・・・南砺市小又~南砺市土山~金沢市砂子坂

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》③・・・金沢市砂子坂~金沢市荒山町~金沢市二俣町

  ★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》④・・・本泉寺、金沢市二俣町~高峠城跡

  ★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》⑤・・・夕日寺~大樋町

◎2024年12月1日編集 石川県にて 写真24枚

二十一番観音・聖観音・・・県道27号線(金沢井波線)の道路わきにあります

歴史の道《二俣越(殿様道)》③は県境を越えて荒山町から二俣町までです

二十一番観音から三十二番観音まで・・・・十三番、十九番観音は不明です。三十三番観音・十一面観音は森本町にあるとか?

二十二番観音・千手観音・・・県道27号線(金沢井波線)の道路わきにあります

二十三番観音・十一面千手観音・・・県道27号線(金沢井波線)の道路わきにあります

二十四番観音・十一面観音・・・県道27号線(金沢井波線)から荒山町の道に入ります

殿様道の向かいの小高い山が荒山城跡のある山です

二十五番観音・十一面千手観音

殿様道・・・倒木です

荒山大橋の下を通っています。

二十六番観音・聖観音・・・医王ダムの道に合流する手前です

二十七番観音・如意輪観音・・・ここの上に荒山城跡があります

県道27号線(金沢井波線)の二俣隧道のトンネルの入口横に・・・

二十九番観音・馬頭観音

三十番観音・千手千眼観音・・・県道27号線(金沢井波線)の道路わきにあります

三十一番観音・千手十一面観音・・・県道27号線(金沢井波線)の道路わきにあります

三十二番観音・千手千眼観音・・・県道27号線(金沢井波線)から二俣町へ入った道路わきにあります

二十八番観音・聖観音・・・二俣町へ行く道(広いカーブ部分)

本泉寺・・・・殿様道の起点です

二俣町の道しるべ・・・石道標(青戸室石)「右 山ミち/左 福光道」・「山ミち」の標記は江戸期 ⇒⇒ 右 山ミち・・・三ノ坂越。 左 福光道・・・二俣越。

これからは「三ノ坂越」になります

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歴史の道《二俣越(朴坂越)》②

2025-01-19 07:41:03 | 観光スポット紹介

【歴史の道《二俣越(朴坂越)》②】

百万石展望道路から入った殿様道が小又地区に出てくる場所から県道27号線を渡り、小又地区に入ります。

県道沿いの朴坂越の道を進み小又神社の傍を通りまっこう山展望台への道で県道27号線に戻ります。

南砺市土山の三軒茶屋から光徳寺発祥の地を見て県道27号線を荒山町に向かいます。

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》①・・・南砺市坂本~南砺市法林寺~南砺市小又

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》②・・・南砺市小又~南砺市土山~金沢市砂子坂

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》③・・・金沢市砂子坂~金沢市荒山町~金沢市二俣町

  ★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》④・・・本泉寺、金沢市二俣町~高峠城跡

  ★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》⑤・・・夕日寺~大樋町

◎2024年12月1日編集 石川県にて 写真23枚

百万石展望道路から入った殿様道が小又地区に出てくる場所です

十二番観音・千手観音 ・・・ 殿様道と林道の交差点の横にあります・・・冬支度されています

殿様道(朴坂越)の観音石仏 その②は小又から砂子坂です(赤丸)

十四番観音・如意輪観音・・・ぬくもりの郷の バス停横にありました

県道27号線と並ぶように小又の村の二俣越の街道を進みます

二十番観音・千手観音・・・道路の崖にあります

小又の村の家々

十五番観音・十一面観音

小又神社・・・土山に向かう道路にあります。

小屋の裏側、神社から降りる階段の横に

十一番観音・准胝観音がありました

十六番観音・十一面千手観音

十七番観音・十一面観音・・・まっこう山展望台に向かう合流点の手前にありました

二俣越の街道は再び県道27号線をに出て少し行くと左に入る道ががあります。・・・三軒茶屋です

十八番観音・如意輪観音・・・県道27号線(金沢井波線)の入口から砂子坂道場跡の方に向かう道の左側のお墓の横にありました

さらに砂子坂の村の方に進むと、光徳寺跡(砂子坂道場跡)が右側にあります。

光徳寺発祥の地・・・光徳寺跡(堂屋敷)・・・砂子坂道場跡をさらに進み、T字路を左に折れ進むとあります。この道をさらに進むと医王山の電波塔の近くに行けます。

県道に戻り二俣方面に向かう途中、県道27号線(金沢井波線)にある直売所です

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歴史の道《二俣越(朴坂越)》①

2025-01-18 07:29:38 | 観光スポット紹介

【歴史の道《二俣越(朴坂越)》①】

中世から続く加賀と越中を結ぶ道として知られ、戦国時代末期には道筋に山城が対峙するように築かれ佐々成政と前田利家による加越国境の攻防の緊張を伝える。

朴坂越の古道は「朴坂峠」として南砺市文化財に指定されている。

二俣町から大樋町までを「三ノ坂越」と呼ばれています。

通称「殿様道」と呼ばれ、加賀十二代藩主前田斉泰が参勤交代の折にこの山路を越えたといわれている。

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》①・・・南砺市坂本~南砺市法林寺~南砺市小又

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》②・・・南砺市小又~南砺市土山~金沢市砂子坂

  ★歴史の道《二俣越(朴坂越》③・・・金沢市砂子坂~金沢市荒山町~金沢市二俣町

  ★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》④・・・本泉寺、金沢市二俣町~高峠城跡

  ★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》⑤・・・夕日寺~大樋町

◎2024年12月1日編集 石川県にて 写真39枚

南砺市坂本の殿様道の入口の道標

二俣道(殿様道・朴坂越)・朴坂峠の案内板

殿様道(朴坂越)の観音石仏)・・・33観音中30観音が街道沿いにあります・・・ここでは(歴史の道《二俣越(朴坂越)》①)赤丸の9体をまわりました。

観音石仏9体と朴坂峠、そして百万石道路との出会いの場所までです。

お墓場を過ぎるといよいよ殿様道に入ります。

端に殿様の休憩所がありました

いよいよ殿様道に入ります。

一番観音・如意輪観音 道の左側

二番観音・十一面観音  道の右側

三番に向かう途中 倒木で道がふさがれていました。

三番観音・千手千眼観音 道の右側

四番観音・千手千眼観音  道の左側 ・・・ここから林道に出れます。

五番観音・十一面千手観音  道の右側

5番観音の横に標識がありました

「朴坂峠越えの殿様道」の文字が書いてあります

六番観音・千手観音  道の右側

林道と平行に通っています。・・・ここからも林道に出ることが出来ます。

再び殿様道に・・・右側にみどりの森再生の案内板があります。

広域基幹林道・医王線に出ました

出口の正面に ⇐殿様道 の標識

広域基幹林道・医王線の案内板

ここから再び殿様街道に入ります

七番観音・如意輪観音 道の右側

八番観音・十一面観音の場所ですが・・・・

奥の藪の中に半分埋もれた状態でありました

九番観音・不空羂索観音  道の右側

朴坂峠に着きました。

この一帯は朴木が多いことから朴坂峠の名が付いたとか・・・朴の木の落ち葉

素晴らしい見晴らしです。

林の中を過ぎると

百万石展望道路に出ました

百万石展望道路沿いの案内板

百万石展望道路を少し下ると左側に殿様道に下りる入口があります

十番観音・千手観音・・・・福光町の地蔵堂の中にありました

前田藩の米蔵を改造したというレトロな外観も人気の老舗食堂・・・十番観音の近くにありました

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歴史の道《小原道(越)》⑤

2025-01-09 13:38:57 | 観光スポット紹介

【歴史の道《小原道(越)》⑤】

臼谷字岡ノ城に鎮座する八幡宮は、往古より蟹谷郷の総社であるといわれ、旧号、荊波神社と称し、延喜の神名帳にある越中国砺波郡鎮座の荊波神社であると伝えられている。

また、臼谷の岡村遺跡は、縄文中・後期(4000年~5000年前)の集落跡といわれ、また、字岡ノ城の河岸段丘の上には、奈良時代より中世にかけての集落の跡が残されている。

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《小原道(越)》①・・・浅地追分~今町(一軒家)

  ★歴史の道《小原道(越)》②・・・末沢新町~岡村岐路(末友辻)

  ★歴史の道《小原道(越)》③・・・五郎丸岐路~松根峠

  ★歴史の道《小原道(越)》④・・・松根城跡~金沢市吉原町

  ★歴史の道《小原道(越)》⑤・・・臼谷八幡宮、人母遺跡、他

◎2024年12月2日編集 富山県にて 写真15枚

★臼谷八幡宮・・・臼谷字岡ノ城に鎮座する八幡宮は、往昔より蟹谷郷の総社であるといわれ、旧号、荊波神社と称し、延喜の神名帳にある越中国砺波郡鎮座の荊波神社であると伝えられている。

階段の横の二つの案内板があります。

臼谷の地は古来より 八幡宮をはじめ、小白 山、臼谷砦、小原道、小原越等々 史跡多く、 また、ぶな、うらじろかしの混生林、或いは、 年中清冽な清水を湧出し、人びとに愛用された 大清水、あしつき等あり由緒の地である。

臼谷八幡宮・旧号 荊波(うばら)神社・・・境内入口に「八幡宮」と刻まれた社号標。当社の正式名は「八幡宮」だが、社前の案内板では臼谷八幡宮とあった。

平成十七年(2005年)四月二十四日、不審火のため焼失してしまったが、平成十九(2007年)年九月に再建されました。

現在の臼谷の大杉・・・拝殿の右後ろ、本殿の右にありますが、平成十七年(2005年4月)の火災の後、枯れてしまったので根元で切り取られていました。

万葉歌碑・・・「荊波の里に宿借り春雨に こもりつつむと妹につげつや(万葉集巻の十八)」

平成十七年(2005年4月)の火災の直後の撮った写真・・・以前の臼谷の大杉・一部熱により赤茶色になっています。(2005.6.5撮影)

案内板の左側も火災の折、黒く焦げていました。(2005.6.5撮影)

★人母シモヤマ遺跡・・・渋江川沿いの人母集落の東北の大地上に立地する旧石器時代及び縄文時代早期・中期・晩期の複合遺跡です。人母から渋江川をはさむ小矢部市の一帯には、埴生上野遺跡・松尾談義所遺跡・杉谷内床の山遺跡など、多くの旧石器時代の遺跡が発見されています。

★旧神明社古墳の石碑(小矢部フロンティアパーク)入口横

★内山集落にあったかわいいお地蔵様

 

 

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歴史の道《小原道(越)》④

2025-01-08 12:33:21 | 観光スポット紹介

【歴史の道《小原道(越)》④】

加賀と越中の国境を舞台に繰り広げられた前田利家と佐々成政の争いの痕跡を現在に伝える「加越国境城跡群及び道」は、小原越を挟んで対峙する切山城(前田方)とともに、2015年(平成27年)10月7日に国の史跡となった。

佐々方と推定される松根城跡は、加賀と越中の境となる砺波山丘陵の最高所に位置し、東西約140m、南北約440mの規模で、門跡や道跡等が発見されました。西端の幅25mの大堀切によって尾根上の道跡(小原越)が切断されており、小原越を戦時封鎖した可能性が考えられています。

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《小原道(越)》①・・・浅地追分~今町(一軒家)

  ★歴史の道《小原道(越)》②・・・末沢新町~岡村岐路(末友辻)

  ★歴史の道《小原道(越)》③・・・五郎丸岐路~松根峠

  ★歴史の道《小原道(越)》④・・・松根城跡~金沢市吉原町

  ★歴史の道《小原道(越)》⑤・・・臼谷八幡宮、人母遺跡、他

◎2024年12月2日編集 富山県にて 写真33枚

松根城跡

歴史の道《小原道(越)》④の地図・・・松根城跡から切山城跡までのコースです

松根城跡は、加賀と越中の境となる砺波山丘陵の最高所に位置し、東西約140m、南北約440mの規模で、門跡や道跡等が発見されました。

旧小原道は右側の道でで松根峠から現休憩所の横を通り切山城跡の方に進んでいました

休憩所

松根城跡の案内板

松根城では、佐々軍の前線として大規模な改修が行われ、城域を通過する街道(小原越)筋を大堀切で寸断するなどの処置がとられた事が発掘調査で確認された。これは道路を戦時封鎖した状況を示す遺構として初の検出事例となりました。

虎口の門跡

曲輪

主郭(本丸跡)

松根城跡の石碑

金沢方面

高岡方面

二の丸跡

三の丸跡

三の丸から見た鉄塔群

大堀切

松根城跡から切山城跡へ向かう途中「加越国境城跡群及び道 小原越」の石柱と案内板

案内板

旧小原道です

切山城跡の入口に到着しました。ここから車は入れません。旧小原道を進みます。

旧小原道の右手に城跡の横堀が見えてきました

小原道です

本丸近くの旧小原道横に案内板と石柱がありました。

切山城跡です。・・・前田方の城跡です。

主郭の下を小原道が続いています

小原道は金沢市吉原町方面に続いています

金沢市の小原町の起点の吉の交差点です

 

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歴史の道《小原道(越)》③

2025-01-07 15:10:05 | 観光スポット紹介

【歴史の道《小原道(越)》③】

越中から加賀金沢に至る道。北陸街道の脇道として利用された。杉木新町(砺波市)からほぼ西へ進み、鷹巣村(砺波市)から浅地村―名畑村―平桜村―末友村―今寺村を経由、五郎丸内山人母(福光町)三ヵ村の岐路をたどって松根峠を越え、松根村(金沢市)を経て金沢に達する。

内山村から分岐した松根峠の北方の内山峠越の道も利用された。

江戸時代荷主が越中から金沢へ陸路で荷物を運ぶ場合、北陸街道を利用して宿継ぎで運ぶか、宿に上まい口銭、または庭口銭と称する挨拶料を支払って一気に金沢まで荷物を運ぶかした。

  ★歴史の道《小原道(越)》①・・・浅地追分~今町(一軒家)

  ★歴史の道《小原道(越)》②・・・末沢新町~岡村岐路(末友辻)

  ★歴史の道《小原道(越)》③・・・五郎丸岐路~松根峠

  ★歴史の道《小原道(越)》④・・・松根城跡~金沢市吉原町

  ★歴史の道《小原道(越)》⑤・・・臼谷八幡宮、人母遺跡、他

◎2024年12月2日編集 富山県にて 写真36枚

五郎丸岐路と思われる分岐点・・・左側に林道(岡村岐路に向かう)⑫、真ん中にも林道(小矢部フロンティアパーク方面)⑬、右側に旧小原道(岡村岐路に向かう)⑩、手前が「お休み場」に向かう旧小原道⑪です。

歴史の道《小原道(越)》③の地図・・・五郎丸岐路から松根城跡までのコースです

五郎丸岐路と思われる分岐点・・・右側に小原越旧道入口(岡村岐路に行く)⑩があります。真ん中は⑬の山道入口、左側は林道⑫の道です。

小原越旧道入口(岡村岐路方面)⑩の入口です。

岡村岐路に通じる「小原越旧道入口」細い道

岡村岐路方面からくると五郎丸岐路に出ます。・・・左に進むと「お休み場」に行けます。

左に折れると小原越旧道 ⑪ に続きます

岡村岐路に向かう林道 ⑫ です。車道になっています。

小矢部フロンティアパーク方面に向かう道 ⑬ です。進入禁止用のポールが立っています。

お休み場方面に向かう小原越旧道入口 ⑪ です。

分岐点より小原越旧道⑪を「お休み場」方向に向けて進みます

「お休み場」が見えてきました

「お休み場」の標識の右側が少し道幅が広くなっています

「お休み場」を過ぎ、さらに進んでいきます。

朽ち果てた山小屋が見えました。

山小屋の手前に林道左側に分岐して小原越旧道が林道に並行してありました。・・・山小屋の裏を通っています。

再び林道に合流します

林道を松根峠方向進みます。・・・広い内山の分岐路に出ました(案内板がありました)内山集落⑰、人母方面⑯、松根峠(小原越旧道)⑮です。

人母方面⑯に少し行ったところに「人母岐路・百見坂」があります。

入母集落に向かう山道の入口

分岐点より小原越⑮を松根峠方向に進むと右側の小高い所にある「力もち地蔵」です・・・明治初期に内山村の青年に相撲を教授したという力士の碑です

一部小原越旧道は真っすぐ行きますが林道は左側に曲がります。そして右側の曲がると林道合流します。さらに進むと右側に松根城跡に向かう入口がありました。

林道から小原越旧道を進むと松根峠に着きます

松根峠です

ここを過ぎると松根城跡の入口に向かいます

松根城跡に着きました・・・振り返れば松根峠が見えます

小原道の道標です

 

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