THE READING JOURNAL

読書日誌と雑文

「カクテルを楽しむ 」

2006-02-28 | Weblog
「バーのある人生」  枝川 公一著

3.カクテルを楽しむ 

今日の所は、バーに無くてはならない、カクテルについて。
まずカクテルの歴史から始まり、カクテルの香りなのどの逸話、さらに代表的なカクテル各々の話。

まずカクテルの歴史は結構古いが、大航海時代にイロイロな香辛料や薬草が持ち帰られてから、まず、混合酒(リキュール)が生まれ、同時に、カクテルも生まれた。生まれはともかく、育ちはアメリカの庶民の間である。
また、カクテル(cooktail=雄鶏の尻尾)の語源はイロイロあり、ここでは何種類かの説を紹介している。

また、カクテルの楽しみに、その香りがある事を著者は強調している。レモンをピールする事(薄いレモンの皮を折り曲げて、カクテルの上からエキスを飛ば事)も香りにとって重要であるそうだ。

「レモンのピール(皮)は苦みと香りと、ふたつの油成分がある。苦みの油分は重たくっ て、搾るとまっすぐに落ちる。一方、香りを持っているほうは非常に軽いから苦みのフワーッと飛ぶ。苦みをグラスに入れてはいけない。そこで、ピールをグラ スから10センチから15センチ離し、斜め上四五度の角度で搾りなさい。こうすると、苦みはカクテルの外に落ちてしまい、軽い香りだけが飛んできて《マ ティーニ》に降りかかるよ。」

こういう一つ一つにバーテンダーの細かい配慮がある。

以下、イロイロはカクテルについての逸話がならぶ。

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【二月のまとめ】 

読み終わった本は、以下の2冊。

「狭き門」 ジッド著 (読了06)
「英語上達 完全マップ」 森沢洋介 著 (読了06)

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【購入図書】06

「最後の御奉公 宰相 幣原喜重郎」
塩田 潮 著 文藝春秋 1992年 2000円 (380円で購入)

「日本文学史序説 上」
加藤周一 著 筑摩書房 S50年 (280円で購入)

「日本文学史序説 下」
加藤周一 著 筑摩書房 S55年 (380円で購入)


「バーに入る」

2006-02-27 | Weblog
「バーのある人生」  枝川 公一著

2.バーに入る

前節でバーについてイメージできたので、今日のところは、「じゃ、バーに入ってみましょう」という話。

バーに初めて入るとき、初めて注文するとき、・・・そんな話からはじまる。
しかし、バーで最も重要な要素はバーテンダーである。彼らとどのように付き合うかが、バーのある人生にとって最も重要である。
この節の後半部分は、主にそのバーテンダーについての話になる。

まず、はじめに店に入るにはどうしたらいいか?
  • バーを良く知っている人と一緒に出かける方法
がある。しかし、その場合でも、

バーは本来は、ひとりであろうとだれかと一緒であろうと、それぞれひとりひとりが楽しむことを前提にしているということである。
群れて集(つど)いて歓を尽くすという、日本古来のやりかたとは対極にあるのがバーだということは何度言っても言い過ぎにならない。これが基本の基本である。したがって、だれかと一緒であっても、その相手に寄りかかって、楽しみを見つけようとするのだけはやめたい。

と、著者は言っている。もちろん、最初から一人で行くのもいいわけである。(バーへ同行者は、せいぜい自分を入れて3人まで。)
さて、バーに入ってみた。

店に入ったら、主導権は店にある。これが原則となる。自分勝手はご法度である。

であるようだ、すぐにカウンターに坐らず、バーテンダーの指示にしたがう。
席についたら、次は注文である。初めての注文での著者の注意は、

お酒のブランドやカクテルの名称を「言わなければならない」という強迫観念をすてること、これが注文する場合の第一歩なのである。

という事。味の好みをバーテンダーに伝え、相談しながら決めればよいというわけである。

カクテルの場合で言うと、次の四つの情報があれば、バーテンダーが工夫してつくってくれるはずである。
  1. =甘めがいいか、ドライが好みか
  2. =アルコールは強めか弱めか
  3. =ソーダは入れるか入れないか
  4. =暑さ、寒さ、涼しさなどの季節に対応したものがいいか
そのうえに、自分のいまの状態、たとえば食事の前か後かなど、好みや心身の「いま」を伝えれば、あとはバーテンダーが考えるにちがいない。

バーにおける絶対的存在はバーテンダーである。ではバーテンダーとはなんであろうか?
(バーテンダーをバーテンと呼ぶのは大変失礼な事である。)

bar-tend-erと分けてみると、barはもちろんバーである。最後のerは人 を表わす接尾辞ということになる。そして、この単語の核心は、真ん中の部分tendにある。これは「番をする」と「世話をする」という、ふたつの意味が込 められている。そこで、バーの番をし、併せて客の世話をする人、それがバーテンダーなのだということが、このtendが教えてくれる。つまり、バーという 場所と、そこに出入りする客と、その両方をtendする。

バーテンダーは、ただお酒を作る人ではなく、バーをコントロールしてバーに入ってくるお客さんに居心地のよい時間を与える人である。
したがって、

バーの客にいちばん求められるのは、こうしたバーテンダーに対するリスペクト(尊敬する気持ち)である。

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【購入図書】06

「まっぷるポケット 名古屋」
  昭文社編集部 編集 昭文社 2004年 600円+税


『バーのある人生』

2006-02-26 | Weblog
「バーのある人生」
 枝川 公一著 中央公論新社(中公新書1835) 2006年 720円+税

1.バーへの心の準備

あまり、お酒というものを飲まなかったし、仕事上も飲む付合いが多いわけでない。さらに、この辺は田舎で車がないと移動できない所だから、バーといっても5回と入った事は無いと思う。

でも、最近、お山のうちでは、お酒を飲むようになり、カクテルも作る。
なので、・・・・この本を買ってみた。

この本の著者は、長い間雑誌の連載で「バーエッセイ」を書いていた。お客の側からのバーの案内書である。

今日のところは、バーとはどういう所か?にはじまり、日本ににおけるバーの歴史、2つあるバーの系列(ホテルと街場)の違い、バーの名前などをイロイロな逸話を交えて解説してある。

バーとは、どんな場所であるか、あるバー店主は設計者に、言った。

「バーちゅうもんは、板場一枚ここにあって、その向うに酒の瓶を並べる棚があって、棚と板場の間に人格があれば、それでいい。他にはなにもいらん」

そういうものであるらしい。また、バーでは、お酒でなく時間を売っているそうだ。

バーテンダーはお酒をつくったり、選んだりして、客に提供してくれる。客は、帰るときに当然、代金を支払う。
「ただし、私のほうにはお酒を売っているという感覚はないです。ここにいる時間を楽しんでほしい。もっともっと楽しんでもらうのが、私の役目です。その結 果、初めて『おいしかった』と言われるわけだし、お金をいただける。私が売っているのは、したがって時間ということになります。」
と、あるバーテンダーは言っている。

バーの歴史が横浜の開港から書かれているのだが、ここで興味深いのが、バーが日常化するのは比較的最近の事という事実。

実際にバーが人々の日常に受け入れられるのは、昭和が終って平成に入ってからである。

バブルがはじけ人々が仕事から距離をおくようになり、その代りに心やすまる生活を目指すようになった。
その頃、社用族と接待に支えられたクラブの閉鎖が相次ぎ、その空きスペースにバーが入っていった。
資金調達でも、ただの「水商売」としか見ていなかった銀行からの融資も受けやすくなった。

個人でまかなえる程度の料金で楽しめる本格派のバーが、やっと市民権を得るようになった。

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【購入図書】06

「バーのある人生」
 枝川 公一著 中央公論新社(中公新書1835) 2006年 720円+税


お宮参り

2006-02-25 | Weblog
今日は、午後12時半から、お宮参りをしてきた。
(午前中は、お兄ちゃんの方のサッカーの試合があった。)

今回は、ボクの方の両親が参加!
・・・と言うより、おじいちゃんの休みの都合で日取りがきまったわけです。
本当は実家の方の神社に行く予定だったんだけど、サッカーの試合とかち合った為、コッチでやることにしました。

サッカーが終って着替え終わったら出発。
神社の神殿で「かしこき~かしこき~・・・・・」と祝詞をもらい、お払いをして、「パンパン」とおまいりをして・・・・・来ました。
おじいちゃんは、60を過ぎて木工所をたたんでから、神社に勤めて神主などをしています。・・・・・なので、作法は素人でなく、その玄人っぽさが、なんか微妙でした。
写真を撮って・・・・・ご飯屋さんへ

時間が1時半予約という中途半端な設定のため、日本料理屋さんは軒並みだめで、今日は、韓国焼き肉屋さんになりました。
3500円のコースだったみたいですが、量も多くておなかイッパイ食べました。

赤ちゃんは、始終寝てて・・・おきたのはオムツ換えの時くらいかな?

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「ムーミンを読む」 冨原 眞弓 著

『楽しいムーミン一家』-----ふたつの魔法(トローレリ)

1.ムーミン谷の地図 2.ジャングルの魔法(トローレリ) 3.モッラの裁判 4.ルビーの王さま 5.みんなの願い 6.いちばんたいせつなもの

今日の所は、第三作目『楽しいムーミン一家』について。
著者はこの本が、ヤーソンがはめてシリーズ化を考えた本であると推測する。また、はじめてムーミン谷の地図が載った。
さらに著者は、ムーミン谷と外界とのさかえ目である橋の役割を考えている。第1作目の冒頭に「橋の手すりにもたれたムーミントロール」が描かれ第3作目の 冒頭には「ムーミントロールとスナフキンが仲良く橋の手すりに腰掛けている図」が描かれ、さら『ムーミン谷の冬』の終わりには「橋の手すりに坐っている ムーミントロールとママ」が描かれている。著者は、シリーズで誰が重要な働きをするのか、ヤーソンが挿絵で示しているのだと言っている

『楽しいムーミン一家』の原題は『トロールカカルのシルクハット』である。(トロールカカル=飛行おに)

この章も本の筋に従って解説されている。

この本では、シルクハットの魔法とルビーの王様の魔法が大きな役割を果たす。

ムーミン谷の住人たちは、ルビーの王さまをまえに、ことばもなく、すわりこんだまま、 もの思いにふけってしまっていました。その焔(ほのお)のかがやきのうちに、いままで自分が考えたり体験したりしたことのなかで、いちばんうつくしくて、 いちばん力づよくて、いちばんすばらしいものを、みたような気がしたのです。そして、それらについてもういちど、考えたり味わったりしたくなりました。


「ムーミン谷の彗星」

2006-02-24 | Weblog
「ムーミンを読む」 冨原 眞弓 著

『ムーミン谷の彗星』-----地球の終わりとスニフの冒険
1.スニフの小さな秘密 2.旅のはじまり 3.彗星の正体 4.彗星接近 5.スニフの勇気

今日の所は、第二作目『ムーミン谷の彗星』について。

著者によると、第二次世界大戦の翌年に出版されたこの本は、戦争の影を引きずっている。

ムーミン谷をおびやかす彗星は、「悪意にみちた目のように赤く」、ほかの星たちのようにきまった軌道を通らず、どこにでも現れる。思いがけない国や地域を、ほかの国のようにとりきめを守らず、つぎつぎと占領していったナチス・ドイツのようだ。

また、この本では、最初の物語では、「小さな生き物」として登場したスニフが影の主役といえる活躍をしている。
(洞窟の発見、彗星の到達日時を天文学者から聞きだすなど)
また、天文台までの旅の途中でスナフキンと会う。

この章は、 『ムーミン谷の彗星』の筋を追って書いてある。


「電気と磁気の謎を追う」

2006-02-23 | Weblog
「人物で語る物理学入門 (上)」 米沢 富美子 著 

第5章 電気と磁気の謎を追うーーージェームズ・C・マックスウェル (途中)

今日の部分は、電磁気学の理論を築いたジェームズ・クラーク・マックスウェル(一八三一~一八七九)について。

ガリレイ・ニュートン・ホイヘンスなどが活躍した一七世紀は「科学革命の一七世紀」である。一方、一八世紀は基礎科学的には足踏みをしたが応用面では大きな発展を見せた。
一七一二年にトーマス・ニューコメン(一六六三~一七二九)により蒸気機関が発明され、一七六五年にジェームズ・ワット(一七三六~一八一九)が蒸気機関に効率の良い物に改良した。
一八〇四年にレールの上を走る蒸気機関車がつくられ、一八二五年にストックトンーダーリントン間で鉄道の営業運転が開始され、一八二九年にリバプールーマンチェスター間が開通する。
すなわち、一八世紀は「蒸気機関の一八世紀」である。

そして、一九世紀は「電気と磁気の世紀」であり、その立役者がマックスウェルである。

マックスウェルは一八三一年に裕福な荘園領主の家に生まれる、彼の父は弁護士であり、また、仕事の合間に科学実験をするのが趣味という科学好きな人であった。そして、エディンパラ王立協会の定例会議に聴衆の一人として参加していた。
マックスウェルは小さい頃から好奇心イッパイの少年であった。八歳の時に教育係であった母がなくなると家庭教師が雇われる。しかし十歳の時には家庭教師による教育では無理とわかり、エディンバラ中学に入学する。
有名な最初の論文に関する逸話はこうである。

マックスウェルが一四歳のある日、例のごとく父親と共に出かけたエディンバラ芸術協会 の定例会議で、有名な美術装飾家のD・R・ヘイが講演しました。講演の内容は、美しい色や形には数学的な規則があり、数学的な説明が可能だ、というもの で、卵形をしたエトルリアの壺の絵が示されました。ヘイはその話のなかで、完全な卵形を描く方法はまだ見つかっていないことにも触れました。
マックスウェルはその問題を考えて、卵形曲線の作図法を発見します。
・・・・・中略・・・・
マクスウェルはこの方法を「卵形線と多焦点曲線の作図法」という題の論文に仕上げます。一四歳のマックスウェルが書いた最初の論文です。この論文は、エ ディンバラ大学で物理学教授フォーブスが代読して、一八四六年四月六日(月)にエディンバラ王立協会で発表され、注目を浴びます。
・・・・・中略・・・・
論文は『エディンバラ王立協会紀要』にも掲載されました。

その後、マックスウェルは十六歳でエディンバラ大学に入学し、フォーブスの指導を受ける。
一七歳で第二論文「ころがり曲線の理論」を書き、一八歳のときに第三論文「弾性固体の平衡について」を発表する。

一八歳でケンブリッジ大学に移り翌年にはトリニティー・カレッジの奨学生になる。

マクスウェルが入学したころ、「ルーカス教授職」にいたのは、ストークスの法則で有名なジョージ・ガブリエル・ストークス卿(一八一九~一九〇三)であった。

トリニティー・カレッジの卒業時には、「スミス賞」と呼ばれる有名な競争テストがあ り、マクスウェルの卒業の際の出題者はストークスでした。「ストークスの法則」についてまだ思案中だったストークスは、子のテーマについて論文を書くよう にと求めます。独創性が試されるテストですが、マックスウェルと友人のラウスが賞を獲得しました。マックスウェルにとって、学生時代に「ストークスの法 則」と出合ったことは、後に電磁気学の基礎方程式を導く際に大きな助けになりました。

彼は二三歳で卒業し、そのままフェローとしてトリニティーカレッジに残り研究を続ける、二五歳でアバディーン大学の教授に迎えられる。
そして、その二〇余年をへてロンドンのキングス・カレッジの教授、そしてケンブリッジ大学付属キャヴェンディッシュ研究所の開設に力を注ぐ。

次にマックスウェルの電磁気学以外での重要な研究である気体分子運動論と光の三原色説について書いてある。

気体分子運動論にかんしては、まずダニエル・ベルヌーイ(一七〇〇~一七八二)は熱を考察し熱は構成要素である個々の分子の振動運動に基づくものであると論じる。ベルヌーイは分子はすべて同じ速度を持つと仮定する。
これに対し、マックスウェルは一八五九年、二八歳の時に分子の速度はすべて同じでなく、速度零(ゼロ)のまわりに正規分布で広がっている個とを理論的に導く。(マックスウェル速度分布)
これは後に『熱の理論』という本にまとめられる。

かれはまた一八六〇年二八歳の時に光の三原色が赤、緑、青であると提唱した。

以後、電気と磁気の研究の歴史が述べられる。


『ムーミンを読む』

2006-02-22 | Weblog
「ムーミンを読む」
冨原 眞弓 著 講談社 2004年 1500円+税

『小さなトロールと大きな洪水』-----物語の序章
1.作者の分身から物語の主人公へ 2.家なき子とパパなき子 3.災い転じて 4.ムーミン谷へ 5.画家から作家へ

この本は、トゥーヴェ・ヤンソンのムーミンシリーズについて、書かれた年代順に一冊づつ解説をしている。

ちなみに、ムーミンシリーズは、学生のころに英語で読んだ事がある。
(内容について自信がない。)
また、「楽しいムーミン一家」は、日本語でも読んだかもしれない。

今日のところは、『小さなトロールと大きな洪水』について、ムーミンシリーズは『ムーミン谷の彗星』が一冊目であると思っていたけど、その前にこの本があるようだ。(ムーミン童話全集では別巻扱いになっている。)

第二次世界大戦が終った一九四五年、はじめてのムーミン物語『小さなトロールと大きな洪水』が、五十ページにもみたない小冊子として、一般の書店で扱われることもなく、ヘルシンキとストックホルムの駅の売店(キオスク)にならんだ。

これが、ムーミンシリーズの始まりである。
しかし、ムーミントロールの原型は、すでに一九三〇年代半ばに出来上がっていた。当時ヤンソンは反戦・反独裁をとなえる政治風刺雑誌『ガルム』上で風刺画をよせていた、すなわちそのキャラクターがムーミンとロールの原型である。
その当時のムーミントロールは、スリムで無表情であった。

さて、この物語であるが、設定は、ムーミンママとムーミントロールが家をさがしている。(パパは不在である。)
ムーミントロール種族は、北欧独特の塔の形をしたタイル張りのストーブの裏に住んでいた。そして、にょろにょろは人間の家の床下に住んでいる。
(ムーミンパパの失踪はいつも放浪しているにょろにょろにそそのかされて、一緒に旅にでたものである。)
ムーミントロールとムーミンママは途中で出会った仲間と家をさがしているが、そこには幾多の困難がある。
やがて、パパらしい人を見かけたという話があり、ここから話はパパ捜しへとかわる。
一行はパパを追いかけるが、そこに大きな洪水が起こる。
しかし、洪水のおかげでパパの手紙入りボトルを発見する。
いくつかの冒険の後、一行はパパと再会する。

ムーミンたちはめでたく家族の再会をはたし、ピクニック気分でさまよううちに、「どこよりもうつくしい谷」にやってきた。草地のまんなかには、タイルストーヴそっくりの家がたっている。青いペンキがぬられた灯台みたいな家だ。

ここから、ムーミン谷のムーミン屋敷にくらす、本来の話が始まる。

次に、ヤンソンがムーミンシリーズを書くきっかけについて語ったインタビューが載っている。

一九五二年の新聞インタビューでヤンソンはいった。

わたし自身は自分を根本において画家でると考えていますが、一九四〇年代の戦時中は失意のどん底で、とうとうおとぎ話(サーガ)を書きはじめました。じつ をいうと、現実に背をむけて、つくられた世界にひたるという一種の逃避でした。〔・・・・・・〕愛にみちた子どもっぽい世界にもぐりこむのが、すこしばか り気がひけたのでしょう。ムーミン谷の住人たちを絵にするときは、いわば弁護するかのように、みっともない姿に描いたのです。

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「中学1年 英語の文型ワーク」 

パターン14 一般動詞を用いた文(1) 

第1グループ、1サイクル

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「英会話・絶対音読 入門編」 國弘正雄 編 

Lesson 8 The Hot Dog TRACK 23 ダックスフントソーセージは、どこで売られていましたか? TRACK 24 ホットドックという言葉の由来は?

サイクル1回目
  1. テキストを見ながらリピーティング(5回)
  2. 音読(15回)
  3. テキストを見ないリピーティング(5回)
  4. シャドーイング(5回)
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【購入図書】06

「誇大自己症候群」
岡野尊司 著 筑摩書房(ちくま新書555) 2005年 740円+税


スイス流・雪の野遊び術

2006-02-21 | Weblog
「BE-PAL」 特集自転車で暮らし 変えませんか
No.297 3 小学館 450円

BE-PALを買った。
特集は、「自転車で暮らし 変えませんか」なんだけど
お目当ては、小特集の「雪遊びスペシャルメニュー3」のNo1
現地取材 スイス流・雪の野遊び術
である。
これは、スイスのグリンデルワルトでの取材記事(全部で7ページ)。
何でもグリンデルワルトはアイガー登山隊のベース基地となる村なのだそうだ。記事は、以下の4つからなる。
  • 雪の中のハイキング
  • スイス流そり遊び
  • モンベル グリックワルト支店
  • ユングフラウ鉄道
スイスでは、ハイキングが盛んだけど、なんと、冬でも気軽に歩けるハイキングコースが整備されてるらしい!
スタート地点までゴンドラで行き、圧雪されている道をお散歩気分で歩ける。

さらに驚いたのは!ソリ専用バスがあって、老若男女関係無くみんなバスに乗って山を登り、ソリ遊びをしているらしい!

次は昨年12月にオープンした「モンベル グリックワルト支店」の紹介。
(まあ、これが出来たから取材にいったんだろうね!)
店長は、日本人ってこともあり語学的に不如意な日本人には、何かと便利だと思われる。

最後は、ヨーロッパ最高所の鉄道駅「ユングフラウヨッホ(3454m)」まで登る「ユングフラウ鉄道」について。
3454mだと?・・・・高山病にならない??
往復で約1万円か~ ふむふむ

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「中学1年 英語の文型ワーク」

パターン12 形容詞の使い方 パターン13 ~'s や his・her などの使い方

第1グループ、1サイクル

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「英会話・絶対音読 入門編」 國弘正雄 編 

Lesson 6 Good for the Earth TRACK 21 地球を守るために、私たちは何をするべきでしょうか?  Lesson 8 The Hot Dog TRACK 22 元祖、ホットドックは何とよばれていたのでしょうか?

サイクル1回目
  1. テキストを見ながらリピーティング(5回)
  2. 音読(15回)
  3. テキストを見ないリピーティング(5回)
  4. シャドーイング(5回)

「小さき記録」

2006-02-20 | Weblog
「日本残酷物語 第四部 保障なき社会」

第2章 ほろびゆくもの  アイヌ悲歌 小さき記録 

ここからは、前節の士族の話から、アイヌの人たちの話になる。
まず筆者高倉哲夫の経験したアイヌの実態についての話が2つある。
一つは大正十五年、北海道大学の学生であった筆者が目撃した事件(これが、筆者がアイヌ研究を始めたきっかけである。) 次に昭和十四年に学術的な研究のために調査した、あるコタンの悲惨な様子。

この後、同様な話がいくつか載っている。

村上久吉氏は、あるアイヌ少年の苦悩の印象を次のように伝えている。「じぶんが通るの を見ると子供たちが、アイヌ、アイヌという。聞こえなければ聞こえないだけに、何かをささやいているように思われ、口は閉じていても目が云っている。行き も、帰りも、昨日も今日も・・・・毎日のことについ陰欝な少年になり、病身にさえなって、はては血をはき、世をのろい、人をのろい、手当たり次第に物をた たきわって、あばれ死にでもしたくなる。生意気ざかりの年頃には、『アイヌがどうした』と立ちもどってなぐりとばす。不意をうたれた子どもたちは意外だと いう顔をて、やがて泣いて逃げてゆく。そのまた様子があとまで目について、自分が打たれたよりも苦痛であった。」

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「中学1年 英語の文型ワーク」

パターン10 Is he(she)~?/He(She) is not ~. パターン11 Whoで始まる疑問文(1)

第1グループ、1サイクル

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「英会話・絶対音読 入門編」 國弘正雄 編 

Lesson 6 Good for the Earth TRACK 19 プラスティックにはどんな問題がありますか? TRACK 20 身近にある有害なゴミは何ですか?

サイクル1回目
  1. テキストを見ながらリピーティング(5回)
  2. 音読(15回)
  3. テキストを見ないリピーティング(5回)
  4. シャドーイング(5回)

階段でたたずむ子

2006-02-19 | Weblog
今日、家へ帰るので朝からお片づけ、お掃除に忙しい。
12時過ぎに、ゴミをまとめる。(ゴミはチョッとはなれたゴミ捨て場まで運ぶ)
うちの子は玄関で、小さい作業机で遊んでいる。

「ちょっと、ゴミ捨ててくるから。待っててネ!」
「・・・・・・・・」
「ほら、返事しないとわかんないでしょ!待っててね」
「・・・・・・・・」
「ゴミ捨ててくるから、わかった!」
「わかったよ~」

車に乗ってゴミ捨て場まで行ってくる。

帰ってくると外の階段にたたずむ子 発見!
(お山のうちは玄関まで階段で上がる。)
駆け寄ってみると、目にうっすら涙、ほほに涙のあと。

「置いてきぼりにされたと思ったの?」
「うん」
「ゴミを捨ててくるって言ったじゃん!、ちゃんとお返事したでしょ?」
「チャンと、聞こえなかったモン」

どうも、はっきり 聞いてなかったらしい。そして、車が無いのを見て
・・・唖然としていたらしい。

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【購入図書】06 (アマゾン)

「ムーミンを読む」
冨原 眞弓 著 講談社 2004年 1500円+税


ブルジョア・スキーと夢

2006-02-18 | Weblog
昨日、上の子と二人でお山の家に来ました。
朝も早起きして、スキーに出かけました。

「今日は元気?いっぱい滑る?」
「うん、元気!いっぱい滑るよ~」

っていうので、一日リフト券を買いました。
ところが!?・・・・一本滑ったら!

「もう、お休みしたい!」

早いけどお昼を食べて、それから、もう二本滑ったら!

「パパ、おしっこ♪」

おしっこをして、ソフトクリームを食べたら!

「もう、帰る!!」
「え? 明日は、スキー来ないよ!」
「いいよぉ、もう足が疲れた♪」

そう言えば?・・・・ちょっと雪が重かったけど?
というわけで、近年まれにみる「ブルジョア・スキー」をしてしまいました。
・・・・・・・・・
家に帰ってから、少し遊んで昼寝をさせようと試みる!

「一緒に寝よ~」っと言って誘うが!
「眠くないぃ~」

でも、一緒に布団に入る。(眠れないようだ!)

「パパ、遊ぼうよ!」

しかし、すでにボクのほうがダウン♪

「パパは眠いから、やだよ~、一緒に寝ようよ!」
「ヤダ!折り紙して遊ぼうよ」
「眠いから・・・・・・」
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・      (こういう時の、子供は異常にシツコイ!)
・・・・・

「う~ん、一緒に寝るか!、一人で遊ぶか!どっちかにしなさい!!」

と言ったら、あきらめて一人で遊び始めたので、ホドナク眠りにつく。
っでこんな夢を見ました。

ーーーー(夢)--------
そこは、だだっ広い坂道。全面雪。(設定は、ゲレンデ。)
誰もいない坂道を、うちの子と一緒に登る。
(スキーウェアーだが、スキーははいていない)

登りながら、後ろを振り返ると、うちの子が川岸に立って何か見ている。
(坂道の脇に、あまり小さくない川がある。カンやゴミで汚れている。)

「そんなところで、遊んでないで、早く来なさい!」

また登り始める、・・・・しばらくして、また振り返ると。
なんと、うちの子が川で泳いでいる。
急いで川まで降りて見てみると、泳いでいる手の先に「みどりガエル」がいた。
そして、川から上がってきて、

「これあげる」

と言って、カエルを手渡してくれた。
ウェアーが濡れてしまったので、着替えるために坂道を下に降りていく。
ーーーー(夢)--------
っと言うところで、目が覚めました。

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【購入図書】06

「BE-PAL」 特集自転車で暮らし 変えませんか
No.297 3 小学館 450円


「天田愚庵」

2006-02-17 | Weblog
「日本残酷物語 第四部 保障なき社会」

第2章 ほろびゆくもの  士族のゆくえ 天田愚庵 

今日のところは、天田愚庵について。(自叙伝『血写経』による)

維新後の士族授産の歴史の多くは、生きんがための努力もかいなく、むざんな失敗の憂き 目をみたが、・・・中略・・・・ところがすでに戦乱のかげにじぶんの生涯の運命が決定され、それを死にいたるまで追うしかほかに生きる道のなかった、ひそ かな人々があった。・・・中略・・・天田愚庵もその一人であった。

愚庵天田五郎は安政元年(一八五四)に磐城平城下に生まれる。
明治元年六月、戊辰戦争磐城口の戦が始まり、長男善蔵が出陣した。
十五歳の五郎は、父母、妹とともに避難したが、味方の敗色が濃い中、兄が重症あるいは戦死の報が伝わり、出陣を決意し、父母の許しを得てある朝出陣した。
七月、平城は落ちて逃げる途中に、重症あるいは戦死と伝えられた兄と偶然あう、十一月に兵乱がおさまったので家に帰ると、父母、妹が行方不明になっていた。
翌明治二年、兄善蔵が父母妹を捜すため、関東から越後羽後を尋ねようと占者になって諸国を修行する。しかし、二年後の明治四年に兄はむなしく帰ってきた。
七月に藩校が閉鎖され五郎は、東京に出る。東京では小池詳敬に寄食し、落合直亮の弟子になり国学を学ぶ、また、山岡鉄舟に禅の事をきくようになる。その後、小池に従って諸国を巡るなどする。
その頃、国事へ積極的に関わるようになる。
明治八年春、岩倉具視暗殺計画のにかかわりあるとされ数ヶ月拘留の後禁固刑(30日)となる。
明治九年帰郷し、また父母の捜索に力をそそぐが、肺病にかかり、明治10年山岡鉄舟の援助で浅草梅園院で療養生活を送る。恩人小池詳敬が死去しその家族を送って京都まで行き、また父母の捜索をした。
明治十一年、国事への感心がまた燃え上がり、板垣退助の土佐愛国社と関係をもつ、しかし山岡鉄舟に呼び戻され叱責される。そして、ちょうどそこに居合わせた清水次郎長に厄介になることになる。(後に『東海道遊侠伝』をあらわす)
その後、一度は写真家を目指したが、明治十四年にまた清水次郎長の元に帰り、明治十五年に次郎長の養子となり次郎長の開墾事業を手伝う。しかし、開墾は失敗し明治十七年、また東京に帰った。
そして、明治二十年に雲水となり名を鉄眼(てつげん)と改める。

こうして明治戊辰の動乱に見失った父母妹を探し求めてきた天田五郎は、むなしい二十年 の末に一介の雲水となって、社会人としてのいっさいの可能性を放棄してしまったのである。父母を尋ねるための行脚旅行でなめた辛酸は、今日では想像もつか なぬほどのものであったが、それはまた見失われた過去と自身の影像を追い求めようとする五郎の、異常な衝迫にかられての旅ではなかったか。

禅僧になったのち、数々すぐれた歌を作り、正岡子規の師となり、明治中期の歌人として知られるようになった。
愚庵は明治三十七年(一九〇四)五十一歳で死んだ。

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「中学1年 英語の文型ワーク」

パターン9 He is  ~. / She is ~.

第1グループ、1サイクル

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「英会話・絶対音読 入門編」 國弘正雄 編 

Lesson 6 Gestures Talk TRACK 18 このジェスチャーはどんな意味ですか?

サイクル1回目
  1. テキストを見ながらリピーティング(5回)
  2. 音読(15回)
  3. テキストを見ないリピーティング(5回)
  4. シャドーイング(5回)
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お山の家に行ってきま~す。
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「光の本質を求めて」

2006-02-16 | Weblog
「人物で語る物理学入門 (上)」 米沢 富美子 著 

第4章 光の本質を求めてーーークリスティアン・ホイヘンス

今日の部分は、光の研究で有名なクリスティアン・ホイヘンス(一六二九~一六九五)と、彼を中心に光の研究の歴史について。

ホイヘンスは、オランダのハーグの名門に生まれた、大学を卒業後、二一歳(一六五〇年)の頃から三六歳(一六六六年)まで、自宅で研究をつづけた。
彼は、卓越した技術で望遠鏡などの光学機器を作り、「土星の衛星タイタンの発見」(二五歳)などの天文学的な発見をした。
非常に多岐にわたる研究を行い。振り子の力学の研究から「柱時計の発明」をし、振り子の等時性がいつでも満たされる「サイクロイド」を数学的に研究した。(サイクロイドとは、平面内における一直線上を円がころがったとき、円周上に固定された一点が描く線のこと)
また、「衝突に関する運動量保存則」、「中心力(遠心力)」のような力学的な研究も行なった。

これらの研究で有名になったホイヘンスは、何度もパリを訪れ、ブレーズ・パスカル(一六二三~一六六二)と知り合い、またルイ一四世と謁見を賜る。

一六六六年、ルイ一四世によってフランス科学アカデミーが設立される際、ホイヘンスに高額の年金、専用の住居、実験室が贈られます。ホイヘンスはそれからの一五年、パリに在住して、これまでの仕事の仕上げをし、光の研究についても科学史上、非常に重要な発見をします。

次からホイヘンスを中心に、光の研究の歴史を概観している。

すでに古代ギリシャの哲人たちも光に興味を持ち、ユークリッドらによって紀元前四世紀頃に光学の系統的な本が書かれる。すでにこの頃「反射の法則」が知られていた。
  • 「反射の法則」・・・光の入射角と反射角が等しい
次に、屈折の法則は一六二一年、ウイルブロード・スネル(一五八〇~一六二六)により実験的に発見される。
  • 「屈折の法則(スネルの法則)」・・・入射角の正弦と屈折角の正弦との比は、媒媒質Iと媒質IIが決まれば一定である。
光の直進は、ピエール・デュ・フェルマ(一六〇一~一六六五)により発見される。(フェルマの原理)
  • 「フェルマの原理(最小時間の原理)」・・・自然は常に最短の道を歩む。
この原理により、反射や屈折の法則を導く事ができる。
また、「回折」に関してはフランシスコ・グリマンディ(一六一八~一六六三)により言及されロバート・フック(一六三五~一七〇三)により観測された。

ロバート・フックは、光の波動論を最初に提唱した、そしてホイヘンスは、それを発展拡張する。

光の波動説に関する仕事は、ホイヘンスの数ある業績の中でも、最も重要なものと位置づけられています。
ホイヘンスは一六七八年、四八歳のときに、光の波動説の基本原理として、波の伝播に関する仮説を提唱します。

この基本原理が「ホイヘンスの原理」である。彼はこれにより、光の直進、反射、屈折を説明する。またホイヘンスの原理は後にオーグスティン・ジーン・フレンネル(一七八八~一八二七)によって波動論的な立場から整理される。
  • 「ホイヘンスの原理」・・・ある時刻の波面上でのすべての点が次のステップの波源になって、それぞれ二次波を出し、これらの二次波の重なりによって次の瞬間の波面が作られる。
ホイヘンスは複屈折にも自分の原理を応用した。
複屈折は一六六九年にエラスムス・バルトリナス(一六二五~一六九八)が方解石を通して見ると向うの物が二つに見えることにより発見しました。複屈折は「物理的に等方的でない媒質」に光を入射させたとき、「二つの屈折光線が生じる現象」である。

ホイヘンスは一六七七年、非等方性の結晶では、ホイヘンスの原理に従う素元波の形の「基本的な球面波」に加えて、「もうひとつ楕円波」が発生するという仮定を用いて、複屈折の説明に成功しました。

これは、「光の伝播速度が方向により異なる」ことを仮定することと同義で、つまり「偏光」(光波の振動がある方向だけに起こる光)を発見した事になる。
彼の複屈折の研究は一九世紀にフレンネルアラゴー(一七八六~一八五三)による偏光の発見、横波説の提唱につながる。

色については、一六六六年(奇跡の二年間)二三歳のニュートンがプリズムにより光のスペクトルを取り出したことに始まる。この時ホイヘンスは三六歳でちょうどパリに移り住んだ頃であった。
この実験によりニュートンは「光の放射(粒子)説」を提唱し、力学的な原理により光の性質を説明しようと努力した。そして一七〇四年に六一歳のニュートンは『光学』を出版する。
『光学』は『プリンキピア』とならぶニュートンの不朽の名著だが、ラテン語で書かれ専門家向けの『プリンキピア』と違い一般読者を意識して書かれた。そのため、広範囲な読者を獲得する事になる。

一八世紀を通して、『光学』はほとんど専制的ともいえる権威によって、光の研究分野を 支配します。『光学』では、光の本質について粒子説のみが正しいとされ、光のさまざまは性質が力学的原理に基づいて論じられています。そういうわけで、ホ イヘンスたちの提唱した光の波動説は、その後、一世紀にわたって中断することになります。

一九世紀になると、光の波動説を支持する実験結果がいくつか出てきて光の波動説が一般に受け入れられる。
その最初のものは、トーマス・ヤング(一七七三~一八二九)による「干渉実験」である。彼は、2つの小さな穴を通る光の干渉縞を観測した。干渉は伝わる物が波動でなければ、起こらない現象で、この実験により光の波動説はゆるぎない物となる。

また、光の「回折」現象については、一八一八年にフレネルがホイヘンスの「素元波の概念」とヤングの「干渉の原理」を用い波動説の立場で説明した論文を発表した。

一八八二年にグスタフ・ロベルト・キルヒホフ(一八二四~一八八七)が波動方程式を解いて、ホイヘンスの原理に理論的な根拠を与える。

一九世紀後半に光は電磁波であることがマックスウェルの電磁理論により示され、二十世紀になると量子論により、光は波動性と粒子性の両方の性質を兼ね備えることが明らかとなった。

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「中学1年 英語の文型ワーク」

パターン7 This(That) is not ~. / It is ~. パターン8 What で始まる疑問文(1)

第1グループ、1サイクル

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「英会話・絶対音読 入門編」 國弘正雄 編 

Lesson 6 Gestures Talk TRACK 16 ジェスチャーの方が言葉よりも便利な場面があります。 TRACK 17 世界で一番使われているジェスチャーは何ですか?

サイクル1回目
  1. テキストを見ながらリピーティング(5回)
  2. 音読(15回)
  3. テキストを見ないリピーティング(5回)
  4. シャドーイング(5回)

「安積開拓の悲劇」

2006-02-15 | Weblog
「日本残酷物語 第四部 保障なき社会」

第2章 ほろびゆくもの  士族のゆくえ 安積開拓の悲劇 

今日のところは、明治初頭に不平士族対策のために行なわれた安積開拓(あさか)について。

明治七年から、十年にかけて不平士族による反乱があいついで起こった。明治政府は士族授産のため、福島県の中央にある安積地方の開拓を明治11年から始める。しかし、安積地方は、

もともと極端な水不足の地域であったから、何千町歩という地域が明治の初頭までほとんど放置されていたのである。

といったところだった。
明治十一年から明治十四年にかけて、各地の士族がそこに移住してきた。みな下級士族で

官吏や軍人・教師になることすらできなかった微禄者と、一部の久留米士族のように郷里で反乱を企て政治犯に問われて入獄していた者などが含まれていた。

しかし、土地は痩せていて、ほとんど収穫らしい収穫はえられなかった。

移住のときは持参した若干の金と政府の補助金や旧藩主からの慰労金等があって、何とか糊口をぬらすことができたが、移住してから四、五年もたつと、彼らの生活はようやく窮乏を告げるようになってきた。

そのため、彼らは高利貸しから金を借りざるを得ず、結局、開墾した土地の八十ー九十パーセントは高利貸地主の手に渡ってしまった。

開拓地を失った者は、故郷に帰ったり、台湾に渡ったり、また夜逃げしたりする者もあった。
そして、ある者はアメリカに渡っていった。

二町五反の自作農を夢見て、十年に余る苦労に報えられたものは、おのれの拓いた土地の 小作人となることであった。開拓地の青年たちは、前途に希望のない開拓村の生活に甘んじることができなかった。雪だるま式にふくれてゆく負債を、開拓地の 生活で返済することはまったく絶望的であったから、渡米して負債を返済し、失った土地を買いもどすために、たくさんの青年がアメリカに渡ったのであ る。・・・・中略・・・・大蔵坦原の久留米士族四十戸のうちから、じつに二十八人もの人々がアメリカに渡っている。そのうち十一人が金を蓄えて帰国し、残 りはアメリカで物故者となっている。


Happy Valentaine!

2006-02-14 | Weblog
今日は、バレンタインデー♪

一応、2つチョコもらった。
  1. ママ
  2. ママ友
んっで!去年は、どうだったかと言うと?・・・3個

あれ?・・・保険屋のオバちゃんに忘れられてる~~

これで4月14日(ブラックデー)にラーメン食べに行かなくっても良くなった!

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「中学1年 英語の文型ワーク」

パターン6 Is this(that) ~?と答えの文

第1グループ、1サイクル

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「英会話・絶対音読 入門編」 國弘正雄 編 

Lesson 5 The United Kingdom TRACK 15 この有名な歌は、どこで生まれたでしょう?

"Greensleeves" ,  "Home, Sweet Home" , "Auld Lang Syne"(蛍の光) , "Danny Boy"の曲のはじめが載っている。どれも、聞いた事がある曲だ!

サイクル1回目
  1. テキストを見ながらリピーティング(5回)
  2. 音読(15回)
  3. テキストを見ないリピーティング(5回)
  4. シャドーイング(5回)