THE READING JOURNAL

読書日誌と雑文

本州先っぽ岬めぐり

2009-11-30 | Weblog
「本州先っぽ岬めぐり」

読売新聞 2009.11.30

今日の新聞に面白い記事が載っていた。なんでも本州の東西南北のすべての端(四端)を訪ねる旅がひそかに注目を集めているそうだ。(オンライン版の記事はココ

本州四端とは、すなわち
東 ・・・・・ 岩手県 宮古市   魹ヶ崎
西 ・・・・・ 山口県 下関市   毘沙ノ鼻
南 ・・・・・ 和歌山 県串本町 潮岬
北 ・・・・・ 青森県 大間町   大間崎
である。

この四端に行って、四市町村が発行する訪問証明書のコピーか四端を訪れた事を証明できる本人が写っている写真を下関市役所に申請すれば、「本州四端踏破証明書」が無料で発行され、記念の携帯ストラップももらえるそうだ。(詳しくは、ココ参照)

四端が適当にバラケテいるところが面白く、首都圏から見るとわりと均等に端っこにある。
行くにはそれなりに大変なところばかりだけど、行って行けない事もない。お兄ちゃんなんかと行ってみようか?と思って聞いてみた。

「にいにい、こんなのがあるんだけど?」
「ふ~~~~ん」

(興味、無さそうだった)


お漏らしっ子

2009-11-29 | Weblog
ママが、幼稚園から依頼された衣装作りで忙しいので、今日は子どもたちを連れて、近くのショッピングモールまで行った。
体調が悪いみたいで、行かないって言っていた下の子も、「マックを食べに行こう」と言ったら、行く気になったみたい。

ショッピングモールに着いたら、すでに11時を回っていた。混む前にと思って、先にご飯を食べる。子どもたちはマクドナルドのハンバーガー、ボクはオム焼きそば。
その後、クリスマスプレゼント下見のためトイザらスへ。(お兄ちゃんは、ポケモンバトリオのメモリーキーを買ってた)

いつまでもトイザらスに居るわけにもいかないので、次に本屋さんへ。お兄ちゃんはなんだか立ち読み、下の子とボクはパズルをして遊ぶ。しばらくして、ちょっとおトイレに行きたくなったので、下の子をお兄ちゃんにまかせておトイレに行った。
おトイレから出てくると、なんとお兄ちゃんが立ってた。

「パパ、パパ、早く早く、ノンノンがお漏らししちゃった!」

なんと!そして、そこにお兄ちゃんがいるという事は・・・・ノンノンは一人か!!

お兄ちゃんと走る、走る、走る・・・・・・・・
本屋さんについてみると、下の子は、仁王立ちしたまま泣くこともできず、石のように固まっていた。

とりあえず、下の子を抱えておトイレに行く。おむつ用に用意されているビニール袋にパンツを収納。(おしっこはもうないらしい。)
冷たいけどズボンはそのままはかせて、車まで急ぐ。車に常備してある服に着替えさせた(シャツと靴まで濡れていた)。車にあるポケットティッシュをつかんで、サンダルをはかせて、今度は本屋さんに、床のオシッコを拭いて一件落着。所要時間(15分)。ティッシュはおトイレに捨てた。

体調が悪いのか、お漏らしまでしてしまって、下の子は気落ち気味。気分一新のために、おやつを食べに行った。お兄ちゃんと下の子とアイスを食べる(ボクはタコ焼き)。お漏らしで気落ちした下の子も元気になった。

「まだ、おなかすいてる」

と言うので、今度は駄菓子屋さんに行って駄菓子を買い、通路のソファーに座って食べた。下の子は、だいぶ元気になってお兄ちゃんと追いかけっこしていた。
その後、少しゲームをしてから帰った。

帰ってから、お漏らしをしたらお尻ペンペンと約束してあるそうで、ママに怒られて泣いていた。


「天橋立図」

2009-11-28 | Weblog
今日の夜、なんとなく「美の巨人たち」を見る。

今日の一枚は、国宝、雪舟作「天橋立図」である。この絵は、見れば見るほど謎の多い絵なのだそうだ。
まず落款が無い。落款は無いが、この絵を描けるのは雪舟だけで間違いはないとのことである。次にこの絵は、大小さまざまな紙を張り合わせてあり、重ね目がズレている部分も多い。この事から、この絵は、下絵である可能性が高いとのことである。

絵は、寺社仏閣の名前がこまごまと記され、現地をよほど探索したらしく、細かい部分までそっくりに描かれている。さらに、この絵を俯瞰する場所は無く、それは上空はるか500mの地点になってしまう。
雪舟はわざわざこの絵を上空から描いたように書いた。(そんな事が簡単にできるんだ!)

そして、何よりもクライマックスは、この絵の一番下に描かれている二つの島。それは、どう考えてもこの構図では見えるはずの無い島である。
そう、この絵の一番下だけは、実は天橋立側から海を見た構図を左右逆転して描いている。(そう言われて絵を見ると、確かに一番下だけ別の絵だ!)
天橋立は神が天と行き来する橋。この島々は神が宿る島。雪舟は現代人が想像もできないような大きな構想をこの絵(下絵)に込めている。


「空の墓の不幸な征服、十字軍」

2009-11-26 | Weblog
「子供たちに語るヨーロッパ史」 ジャック・ル・ゴフ 著

子どもたちに語るヨーロッパ スペインのムスリムがヨーロッパを去り、トルコ人が到来、空の墓の不幸な征服、十字軍、ヨーロッパで迫害されたユダヤ人、流浪の民も

一四九二年、イベリア半島のキリスト教徒は、プルトガルにつづいてスペインからムスリムを追い出す。また、東方ヨーロッパでは、トルコ人が十五世紀から十六世紀にいビザンツ帝国を滅ぼした。

十一世紀、ローマ教会は、キリスト教徒の発祥地パレスチナ、とりわけエルサレムを征服すべくキリスト教徒を送りだした。この遠征は十字の旗印の下でおこなわれたので、十字軍と言う。

十字軍のよって西ヨーロッパの人びとのあいだに軍事的拡張という危険な精神が芽生え、ムスリムには反動として聖戦(ジハード)という対抗感情をはぐくみました。キリスト教徒によびさました信仰と勇気の感情がどのようなものであったとしても、十字軍あ招いた不幸の影響は、いまなお感じられます。

宗教と風習において独自の民族であるユダヤ人は、古代から存続していた。一世紀と二世紀のローマ人によるエルサレム破壊以降、無数の小さな共同体になってキリスト教徒によって多くは都市に閉じ込められながら生活していた。キリスト教会はユダヤ教を非難したが、およそ千年の間はまずまず平和に共存していた。

ところが、キリスト教徒のユダヤ人に対する感情は、十字軍の精神、そしてキリスト教徒には禁じられていた利息付き貸付を行うことがゆるされたため高利貸しとみなされたユダヤ人にたいする、しだいに強まるいらだちによって、じょじょに憎悪に変わりました。自発的であれ組織てきであれ、あらゆる種類の迫害、ついには集団虐殺にいたる迫害が、十二世紀以後、ヨーロッパのユダヤ人を襲いました。

それは、第二次世界大戦中のナチによる民族大虐殺に行きつく。

どうように、十五世紀にインドからやってきた流浪の民ロマもナチによって虐殺された。


「シャルルマーニュは最初のヨーロッパ人?」

2009-11-25 | Weblog
「子供たちに語るヨーロッパ史」 ジャック・ル・ゴフ 著

子どもたちに語るヨーロッパ シャルルマーニュは最初のヨーロッパ人?、フランスとドイツのペア――団結か敵対か、ヨーロッパ文化の謎――全土から集まった知識人と反イコノクラスム、八世紀のあるヨーロッパ人の死、新しいヨーロッパ人の波、旅する北方民族、ノルマン人

八世紀から九世紀のフランク族のカロリング王朝は、ガリア、ゲルマニア、イタリアを統一支配し、そこに住むキリスト教徒の大部分を統合しました。

やがてカロリング王朝は分裂し滅びたが、ヨーロッパに重要な遺産を残した。

八〇〇年、シャルルマーニュはローマで、教皇の手で載冠されました。彼によって初めて、南は地中海から北は北海まで、東はエルベ河から西は大西洋までひとつの西ヨーロッパとする政治的な空間が現れました。

帝国がシャルルマーニュの孫たちに分割されると、イタリア、フランス(西フランク王国)、ドイツ(東フランク王国)という新しいヨーロッパが生まれた。フランスとドイツは後にヨーロッパの中心をなす対となる。

シャルルマーニュと廷臣たちはヨーロッパ全体に、共通の文化の雛形をのこした。それはヨーロッパの最初の「ルネッサンス」である。キリスト教と、再発見された古代ローマの文化が結びつけられた。これが元になる物が西ヨーロッパである。
また、シャルルマーニュは、ローマ・カトリックの西ヨーロッパを、ギリシャ正教の東ヨーロッパから分離することに力を尽くす。そのためギリシャ正教で起こった芸術における聖像破壊(イコノクラスム)と無縁であった。これが、ヨーロッパ美術と人間中心主義(ユマニスム)に重要な役割を果たした。

この後九世紀から十世紀にかけて新たな移民(ゲルマン人、スラヴ系民族)がローマ教会のヨーロッパにやってきた。そして、主要なスラヴ民族がギリシャ正教のヨーロッパに加わった。


「西ヨーロッパの分割」

2009-11-24 | Weblog
「子供たちに語るヨーロッパ史」 ジャック・ル・ゴフ 著

子どもたちに語るヨーロッパ 西ヨーロッパの分割――衝突しながら成功した移住、侵略者か旅する者か、混血の住民たち、パンとワイン、肉とビール、異民族が国民国家のヨーロッパをつくった、キリスト教への改宗がヨーロッパ行きのパスポート

古代から中世へと移行する四世紀から五世紀に、ヨーロッパ人のキリスト教ととして統合することで互いに結び付けると同時にヨーロッパ人を分割した。新しい民族が定住し、新しい国をつくることで、ローマ帝国に統合されていた民族が分離することになる。
フランス人の祖先であるガリア人の住んでいる土地に北方ヨーロッパ、中央ヨーロッパからドイツ人の祖先であるゲルマン人侵略してきた。
しかし、異民族がローマ帝国内に集団移住した後もローマ化した文化は残存し、移住者はその多くを取り入れる。

新来者はいかにローマの文化を取り入れ、キリスト教に改宗したとしても、政治的に分かれていた。

すべての「異民族」はキリスト教に改宗しました。中世ヨーロッパにおいてローマ教会への改宗は、その民族がひとつの国になり、文明化されたことのしるしでした。


白河の関

2009-11-23 | Weblog
今日、お山のうちから帰る。
帰り道にいつも同じところに寄るのも何なので、今日は、「ふれあいの森公園」によって、芝ソリコースで遊ぶことになった。ここは前に一回きた事がある(ココ参照)。

着いた時、すでにお昼だったので、近くのカツ屋さんでお昼を食べてから、芝ソリコースへ行った。センターハウスでソリ(100円/1時間)を借りて、コースへ。
前回はそれなりに賑わっていたが今回は誰もいない。(後でひと家族現れた)大きなソリコースの芝は張り替えられていた。
前回はやっとこさっとこ、滑っていた下の子も、今回はわりと楽しげに滑っていた。1時間楽しく遊ぶ。

その後、しばらくするとまた下の子が飽きちゃって、不機嫌になる。じゃどこかに寄ろうという事になって、ちょっと寄り道して「白河関の森公園」に行った。この公園は「白河の関」に隣接する公園である。冬に一回この前の道を通ったことがあり、その時よさそうな公園であった記憶がある(ココ参照)。
ちょっと横道にそれて、公園に到着。いってみると楽しそうな遊具があって、子どもたちは、面白そうに遊んだ。この施設は、食堂やお土産屋さんもあるみたいである。
結局白河の関にはいかなかったが、しばらくココで遊んでから帰った。


ストーブとピカソ

2009-11-22 | Weblog
朝、起きたら今日は比較的に暖かく、小さいストーブだけで何とかなった。

今日の午前中に燃料屋さんが来て、ストーブの相談をすることになっている。ご飯を食べて、ちょっと散らかってるオモチャを片づけて待っていると、燃料屋さんが来た。

事前にカタログは貰っていたので、ストーブ自体はだいたい分かっているが、問題は、外付けの灯油タンクとか工事とかの話し。(なぜか、今のストーブは外付けタンクではなかった)
話をしてみると、工事は全然大したものではないようである。外付けの灯油タンクも下に置くよりは、ベランダに小さいタンク(100L)を置いた方がよいとのことである。
値段も、ストーブ本体は20%ほどひけるようで、タンクと工事費を含めてストーブの定価程度ということなので、思っていたより安かった。

お昼を食べた後、家にいてもなんとなく寒いので、何処かに行こうということになる。
まだ、下の子が五色沼を全部歩った事が無いということで、五色沼に行くことになる。

「美術館でピカソをやってるんだっけ?パパはそっちに行ってみたら」とママが言う。
どうも
  1. 五色沼の下の駐車場でみんなを下す
  2. 美術館でピカソを見る
  3. 上の駐車場でみんなを拾う
ということらしい。
ありていに言えば「車回しておいて」と言うことなのだが、ここではお互いの利益が一致したので、そういう事になった。

五色沼の下の駐車場でみんなを下して、「諸橋近代美術館」へ行った。ここは、ダリのコレクションで有名な美術館である。今回は、ピカソを2枚買ったようで、それを公開している。
新たに所蔵されたのは、<貧しき食事>(1904年)、<画家>(1964年)である。<貧しき食事>は、版画で、これは何かで見たことがあるような気がした。<画家>の方は、老年の作でピカソらしい絵である。
その他、ダリ関係の企画展と常設展を見る。

さて、絵を見終わったがまだまだ迎えに行く時間にならない。美術館の喫茶店で暇をつぶす。しかし、さすがに、ずっと居るわけにもいかない。五色沼の上の駐車場には、物産館があるので、そこで暇をつぶそうと思って、早めに上の駐車場に向かった。

ところが、行ってみると物産館が閉まってる。(シーズンオフだから?)
しかたなく、車の中にいると、思ったより早く、ママ達が到着した。
(下の子がオシッコをしたいので物産館のトイレに行こうとしたが、しまってて入れない。どうやらそのへんで・・・・・・。)

さてそろそろおやつの時間だけど、物産館が閉まっているので、しかたなく近くのレストランに入った。


露出狂か?

2009-11-21 | Weblog
今日は、お兄ちゃんのスポーツクラブの後にお山の家に行った。

まずは、お兄ちゃんのスポーツクラブに行く。ママはお山の家に行く準備で忙しいので、お兄ちゃんと下の子を連れていった。
今日のスポーツクラブで行ったのは、「トレイルランニング」であった。

初めにどんな競技かの説明があった。説明では箱根で行われた50キロレースの映像を見せてくれた。なんだか、山登りを走ってやっているような感じである。

その後、近くの公園まで走って行った。ボクも下の子をダッコしてついていく。
しばらく走った後、またグランドに戻った。グランドでは、ワッカやコーンや縄梯子などを使って、コースを作って練習をする。
ボクは下の子と横で見ていたのだが、ふと下の子をみたら、チンチンを出してニコニコしていた。

「のんのん、チンチン出しちゃだめじゃん」
「へへへへ・・・・」

(露出狂か?お前は!!)

スポーツクラブが終わってから、車に乗ってお山のうちに出発。
今回の目的は、今年の春に壊れたストーブの見積もりを取ることである。寒くならないうちに直さないとと思っていたが、結構寒くなってしまった。

夕方、お山のうちに着いた。大きなストーブが壊れているので、小さなストーブだけで暖房する。今日は冷え込んでいるらしく何時間つけていても10℃より室温が上がらなかった。
みんなで早く寝た。


20周年

2009-11-20 | Weblog
今年で勤続20年なんだそうで、今日祈念式典に呼ばれた。

久しぶりに背広を着て出勤。よく見るとスラックスにプチプチとムシが食った穴が開いていた。
お昼前に、会場に行く。同期の人が8人集まっていた。今日来なかった人もいるが、20年で半分くらいになったかんじである。
賞状をもらって、記念撮影をする。それから、会食となった。

片側に偉い人が並び、もう一方にボクたちが並ぶ。会話はなかなか弾まない。
正面にこの中で一番偉い人が座っている。ボクが入った時に同じ部署にいたので、知らないわけでもない。

「20年て事だけど、○○君なんて、もっと前からいたような気がするんだけどね」と話しかけてきたので、
「いや~、20年です!」と、話の腰を折っておいた。
食事をして、コーヒーを飲んで解散となる。

なんだか、背広だと仕事がはかどらない。

(ちなみに、記念品はカタログから選べということになったそうで、カタログを貰った。)

「新しい神、キリスト」

2009-11-19 | Weblog
「子供たちに語るヨーロッパ史」 ジャック・ル・ゴフ 著

子どもたちに語るヨーロッパ 新しい神、キリスト、新しいヨーロッパ、キリスト教、東と離れ、やがて分裂する。ラテン語とギリシャ語の二つのヨーロッパ、目に見えない今日の境界線

ローマ人は多くの神々を崇拝していたが、そこにオリエントから、心と内面の感情に訴える神々がたくさん入ってきた。とくにキリスト教の神が多くの男女をつぎつぎと魅了した。皇帝たちは、キリスト教徒を迫害したのち、四世紀にはキリスト教をローマ帝国の宗教と公認した。

新しい精神的指導者たちがヨーロッパに出現しました。司教に指導された司祭や修道士です。司教のなかでのローマ司教が、首長である教皇(パパ)、すなわち父(ペール)になります。ヨーロッパの第二の姿、キリスト教です。

ローマ帝国の西側ではラテン語、東側ではギリシャ語が話されていたが、西が危機に陥ると皇帝の権力は東へと移る。コンスタンティヌス帝はアジアとの接点、コンスタンティノーブルに首都を築いた。
そして、帝国東部のキリスト教会は、「真正の」キリスト教、すなわち正教会を任じ、西方の教会は普遍的(「カトリック」)であることを主張しギリシャ正教会から離れようとし続ける。
そして、一〇五四年、二つの教会は断絶を宣言する。(教会分離・シスマ)
その後、西側のキリスト教会の頂点はローマに、東側のキリスト教会の頂点はコンスタンティノーブルとなる。

こうした根本的な宗教上の分断がヨーロッパに生じましたが、それはおそらくもっと全体的で、もっと根深い、西のヨーロッパ人と東のヨーロッパ人の相違に結びついています。歴史が下るにつれて別の差異も現れて、この分断をいっそう大きくしますが、どちらの側もキリスト教徒なのです。この対立は現在もあり、ヨーロッパの建設にとって大きな問題です。ひととのヨーロッパがあるのか、それとも西と東の二つのヨーロッパがあるのでしょうか。

この二つのヨーロッパの境界線は実際にはない、しかし、東ヨーロッパの国は、今日、明らかに経済は停滞し、風俗や気質もはっきりと異なっている。また、旧ユーゴスラビアでは、ローマ教会のスロヴァニア人・クロアチア人と正教会のセルビア人が激しく戦った。宗教的・文化的な断絶線が、敵と味方を分ける線となった。


「ギリシャ人がヨーロッパを発明した」

2009-11-18 | Weblog
「子供たちに語るヨーロッパ史」 ジャック・ル・ゴフ 著

子どもたちに語るヨーロッパ ギリシャ人がヨーロッパを発明した、神とともにアジアからきた王女、ヨーロッパを発掘しよう、ギリシャという基層。医者がヨーロッパ人とアジア人を診断する、民主主義者、人間中心主義者、数学者、肉体万歳!、ローマ市民はヨーロッパ人か、ラテン語を話す

ヨーロッパはギリシャ人の発明です。詩人のヘシオドス(紀元全八世紀末~七世紀初め)が最初にこの名を用い、紀元前五世紀に生きた「歴史の父」、有名なヘロトドスは、「ヨーロッパについては、その名がどこからとられたものかも、だれが名づけたかも明らかではない」と記しました。

ヨーロッパはギリシャ神話では、エウロペとなって現れる。

ヨーロッパの起源については、二つの特徴があります。ひとつはエウロペは愛されるに値する美しい女性であるということです。もうひとつは、これは神話であり、謎にみちた起源を説明するためにつくられた物語ですが、そのなかでエウロペは具体的な現実のヨーロッパにみずから変わるのを待っているということです。

ヨーロッパの文明は、考え方や行動のしかたの基礎にある共通の精神、同じ文明的共同体への帰属感のうえに成り立っています。それは何世紀もまえからヨーロッパ人、とくに教養人がいだいてきた、ヨーロッパ的意識というものが存在するという感情なのです。

このヨーロッパ的意識は、紀元前五世紀から四世紀の古代ギリシャに始まる。

ヒポクラテスは気候が持つ影響との関連で、荒々しいが自由を重んじるヨーロッパ人と、平和を愛し、戦争より技芸に興味をもつけれども、たやすく暴君や専制君主に従属してしまうアジア人とを対比しています。

ギリシャの遺産としてはなによりも、民主主義(民衆の統治という意味)、都市国家の市民の法の前の平等、および公務参加の平等への希求があります。

このギリシャの遺産は、ローマ人によって現在のヨーロッパ全土に広がった。

カラカラ帝は二一二年、帝国内のすべての自由民男子はローマ市民の身分と特権を有するとう布告を出します。「これはヨーロッパ領内における最初の統一的な市民権である」と言われてます。


『子供たちに語るヨーロッパ史』

2009-11-17 | Weblog
「子供たちに語るヨーロッパ史」
ジャック・ル・ゴフ 著 前田耕作 監訳 川崎万里 訳 筑摩書房(筑摩学芸文庫) 1100円+税 2009年

監訳者まえがき、子供たちに語るヨーロッパ 徒歩でヨーロッパからアジアへ、ヨーロッパは存在するか、ヨーロッパという家族、歴史が地理に生命を与える、最小の大陸、ヨーロッパとアジアの隣人たちー戦火と文化を交える、人の移動ー植民地化、征服、移民、ヨーロッパの東の端はどこか、ヨーロッパでは海は遠くない、ヨーロッパの大部分ははるか昔から開かれていた、どうしたらヨーロッパ人になれるか?、

読売新聞の書評欄にあった本。著者のジャック・ル・ゴフはヨロッパ中世史の碩学である。
この本は、前半が『子どもたちに語るヨーロッパ』、後半が『子どもたちに語る中世』からなっている。

「私は子どもたちのために『子どもたちに語るヨーロッパ』を書いたが、その中でヨーロッパ人たちの犯した過去の過ちや罪を隠さず、たがいっぽうヨーロッパだけでなく世界にとってすばらしい成功をなしとげ、比類ない貢献をなしとげたことも明らかにしたいのです」(『ル・ゴブ自伝』 Un vie pour l'histoireより)


地球は丸い!

2009-11-15 | Weblog
旅行2日目。
朝起きて、やっぱりお風呂に入る。朝食を食べてから「かんぽの宿」を出た。

最初に何だか、野菜だかを買うとか言って、ドッカの道の駅まで行く。
そこから何処へ行こうかということになったが、結局、銚子まで戻って「地球の丸く見える丘展望館」まで行くことになる。

どんどんと北上して銚子まで行く。「地球が丸く見える丘展望台」の駐車場に着いてみると、下の子が不機嫌。
「ボク 行かない!ここにいる!」
とか言ってる。
(平たく言うと、駐車場にあった自販機でジュースを買ってもらえなかったので、不機嫌になったらしい)

おじいちゃん達は先に行ってしまったので、ママと下の子を残し、お兄ちゃんを連れて入り口に急いだ。
入り口でおばあちゃんが券を買ってくれたのだが、肝心のママと下の子がまだ来ない。迎えに行こうとしたら、どう説得されたのか手をつないで来た。

さてみんなで展望台まで登る。車の中で「地球が回るく見えるって何?どんなの?」とか、お兄ちゃんは言っていたが、展望台に登って納得したようだった。(ぐるりと一周地平線が見える。)
天気も上々なので、見晴らしもイイ。あんなに行かないと言ってた下の子もはしゃいで走りまわる。記念写真を撮ったりした。
それからお土産屋さんを見る。

その後、お昼にみんなで、回転ずしに入った。(お兄ちゃんのリクエスト)
ワイワイとお寿司を食べ、ここでおじいちゃん一行と別れた。


九十九里

2009-11-14 | Weblog
一週間学年閉鎖のお兄ちゃんの宿題もだいたい片付いて、今日は、ママ方の一家を集めた「家族忘年会」に出かけた。(都合によりいつも11月)

昨年は、東京だったけど(ココ参照)今回は、九十九里だった。
9時過ぎにやっと家を出発した。千葉方面に向かったので、途中、お兄ちゃんのスタンプラリーをするために、「水郷県民の森」による。

ここは、大きな森とビジターセンターがある。森も散策でき面白そうなのだが、天気が悪く雨が降りそうなのでやめておいた。ビジターセンターに寄りスタンプを押す。ビジターセンターにはパソコンが置いてあって、クイズができる。お兄ちゃんはパソコンクイズを夢中でやっていた。それから幼児用の遊び部屋があって下の子も楽しく遊ぶ。展示コーナーには、木や森関係の展示があった。全国植樹祭も行われたらしく、天皇陛下の写真なども飾ってあった。
さて、ひとしきり遊んだので、車に乗って出発しようとしたら、突然の大雨。やっぱり森に向かわなくってよかった。

その後マックでお昼を食べていると、おじいちゃんからメールが届く。「銚子のウオッセで待ってる」との事だった。そこで進路をちょっと変更して銚子に向かった。
ウオッセで、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさんにおばさんそれから姪のお姉ちゃんに会う。
ウオッセは漁港によくある魚の直売センターみたいなところ、ここには行ったこと無いはずだけど、みんな似通っているので初めてのような気がしなかった。

ウオッセを後にして、やっと宿についた。今日の宿は「かんぽの宿 旭」である。浜辺ギリギリのところに建っていた。
お風呂に入り、夕食を食べ、またお風呂にはいった。