THE READING JOURNAL

読書日誌と雑文

「無禄移住のむれ」

2006-01-31 | Weblog
「日本残酷物語 第四部 保障なき社会」

第2章 ほろびゆくもの  士族のゆくえ 無禄移住のむれ 

ここより「士族のゆくえ」がはじまる。
明治維新によって幕藩体制が崩壊した、それに伴い多くの旧幕臣や佐幕派の人たちは窮乏することになる。

伏見戦争後江戸城をあけわたした幕府が、天領四百万石(あるいは八百万石ともいわれる)を没収され、駿河(するが)、遠江(とうとうみ)、三河(みかわ)七十万石の一藩と化するにおよんで、江戸在住の幕臣とその家族は、どこへゆくか最後的運命に逢着した。

選択肢は以下の3つ
  1. 朝臣となって明治政府に仕える
  2. 新駿河城主に従って封地に移る
  3. 暇乞いをして農商に転ずる
三千石以上の者のほとんどは1、の道を選んだ。しかし、中・下級の武士の多くは新封地に移った。
駿河での禄高は大幅に削られた。

たとえば元高二百五十石(実収八七・五石)の者の新実収は四・五石に、旧四十俵(実十四俵)の者は新三・六俵、旧二十俵(実七俵)の者は新二・七俵となるのであり、その減俸のはなはだしさは、ほとんど飢えて死ねというに近い。

そして、戊辰戦争で敗れた東北諸藩の敗亡流離もはなはだしかった。

最後まで戦った会津藩は完膚なきまでに地にまみれた。新政府は反抗した東北諸藩に「朝敵」の汚名を着せ、藩全体を罪人あつかいにし、その封録を激減する処置をとった。

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「部首のはなし 2」 阿辻 哲次 著 (読了06)

8画 あお 9画 なめしがわ、 おとへん、 おおがい、 かぜがまえ 10画 かみかんむり・かみがしら 11画 とり・とりへん、 ろ・しお、 しか 12画 きび、 くろ 13画 かなえ

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「狭き門」 ジッド著

5

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【一月のまとめ】 今月から月ごとにまとめてみようと思う。

読み終わった本は、以下の4冊。

「Enjoy Your Visit」 Motoko Kuroda著 (読了06)
「ガイドブックにない フランスぶらぶら案内」 稲葉宏爾 著(読了06)
「星の王子さま」 サン=テグジュペリ 著 (読了06)
「部首のはなし 2」 阿辻 哲次 著 (読了06)


漢字の色

2006-01-30 | Weblog
「部首のはなし 2」 阿辻 哲次 著

6画 ふでづくり、 ふね・ふねへん、 いろ、 ち、 ぎょうがまえ・ゆきがまえ7画 たに・たにへん、 あか、 みへん、 くるま・くるまへん、 さと・さとへん、 おみ

著者は漢字の専門家なので、ときどき 「漢字の成り立ちにはエッチな話がたくさんあるだろ?」と聞かれるらしい。そんな時に話すのが「色」であるそうだ。

この男女の性的交渉をそのまま描いたのが「色」である。これは前屈みになってひざをつ いた女性の後ろから男性がおおいかぶさっているさまをかたどった字で、「後背位」という体位(ラーゲ)、俗にいう「バック」でまじわるさまを描いた文字で ある。篆書(てんしょ)の「色」という字形をみるとそれがよくわかる。ちなみに子供むけの漢字辞典でこの字の成り立ちがどう説明されているかと調べたら、 ある本には「男の人と女の人が仲良くしている形」と書かれていた。

ちなみに、前著の『部首のはなし』には、「也」という漢字についての話があって、話としてはそっちの方が面白かった。(気になる人は、読んでみてください。)



「取」の意味!

2006-01-29 | Weblog
「部首のはなし 2」 阿辻 哲次 著

4画 てへん、 ぶん、 とます、 あくび・けんづくり、 がつへ ん・いちたへん・かばねへん、 るまた・はこづくり、 みず・さんずい・したみず、 つめ・そうにょう・つめかんむり 5画 かわら、 た・たへん、 や まいだれ、 しろ、 しめすへん、 あな・あなかんむり 6画 ほとき・ほとぎへん、 あみがしら・よこめ、 みみ・みみへん、 ふでづくり

今日の部分では、まず「てへん」の部分でちょっと脱線して「取」の語源にふれている。

二画の部首となっている《又》は人の右手をかたどった象形文字であって、「取」はその 《又》と《耳》からなる会意文字である。「取」とは戦争で討ちとった敵の兵士の耳を切り取ることを意味する漢字であった。戦争のあとの論功行賞では切り 取った耳の数が重視されたからそんなことをしたのだが、それはさておき、ここでの《又》は相手の耳をつかむための右手を表しているのだから、「取」は 《手》と《耳》を並べた形で表されてもよかったのである。

「取」って耳をつかんでたのか!と思った。

次に「法」がなんで水に関係あるのか?(さんずいの所)

「法」はもともと「灋」という非常に難しい形で書かれ、《水》と《去》と《廌》を組み あわせた会意文字だった。《廌》はヒツジに似た動物で、古代の神聖裁判に使われた神獣である。この廌(タイと読む)にはまことに神秘的な能力があって、裁 判の場でウソをついている人間をツノでつくという。この廌の行動が判決で、廌につかれて敗訴した人間が川に流されたという。

川に流されたんだ~ 「ほう」とか思った。

去年、台湾に行った時には、まるで気がつかなかったけど、最近、中国や台湾の街のいたるところで、「の」という平仮名が目に付くのだそうだ!(しろのところ)

いまの中国や台湾の街角では、看板やポスターに「の」という文字が氾濫している。ちょっとした繁華街を歩けば「の」を使った看板やポスターはたちどころに見つかるし、・・・・・後略・・・・
「の」以外のひらがなを見かけることはまずないのし、いったいなぜ「の」だけが使われるのか、そしてこの「の」を中国の人々はいったいなんと発音している のかと不思議に思ってシンポジウムのとき現地の学者にたずねたところ、「『の』は『的』よりもはるかに書きやすいので、特に若い人は好んで『の』を使う。 ただし音読するときには『的』の発音に置きかえて読んでいる」とのことだった。
「私の鉛筆」を中国語で「我的鉛筆」というようい、「的」には日本語の「~の」にあたる使い方がある。

なかなか、中国に行く機会は無いので残念だけど、そういうことらしい。


『部首のはなし 2』

2006-01-28 | Weblog
「部首のはなし 2」 もっと漢字を解剖する
阿辻 哲次 著 中央公論新社(中公新書1831) 2006年 720円+税

1画 たてぼう/はねばう、 てん 2画 にんにょう、 かんにょう、 かたな・りっとう、 つつみがまえ、 かこがまえ/かくしがまえ、 3画 すんづくり、 ゆみ・ゆみへん、 4画 とだれ・とかんむり

『部首のはなし』の続刊。前作が非常に面白い本だったので買ってみた。
ようするに漢字に関する話がいろいろと載っている。

まず、「てん」の所に載ってる話。
「主」という漢字は上のテンが炎の象形文字で下が油皿でもともとローソクの灯心が燃える事をしめしていた。のような話が続いたのち

この部に入っている「丼」はおもしろい漢字である。「丼」という漢字は中国にもあるの だが、中国では「井」の異字体として使われ、米飯の上に種々の具を載せた食品を意味することは絶対にない。「井」という漢字は井桁(いげた)を組みあわせ た形であって、「丼」はその井桁のなかに水を汲(く)むためのつるべを置いた形であるから、「井」も「丼」もどちらも「井戸」という意味を表すだけであ る。
日本でこれを「どんぶり」という料理名に使うのは、井戸につるべを投げこんだら「ドンブリ」という音がすることに由来するもので、いわば擬音語をそのまま名詞に転用したわけだ。

次に、つつみがまえの項の「匁(もんめ)」という漢字。
これは、日本人が作った漢字(国字)で重さの単位(3.75g)。
子供の遊びの「はないちもんめ」は漢字で書くと「花一匁」であり、花は昔は目方で売られていたのだそうだ。しかし、いくら花でも一匁(3.75g)では軽すぎる。

「たんすながもち どの子がほしい」からはじまる遊戯「花一匁」は、一説によれば、か つて「口減らし」がおこなわれた貧しい農村から子供を買い集めるとき「花」(女児)一人につき金一匁が支払われたという悲しい事実があったという。また別 の節では、遊郭で「花」(遊女)を買うときの相場が金一匁だったともいわれる。

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【購入図書】06

「部首のはなし 2」 もっと漢字を解剖する
阿辻 哲次 著 中央公論新社(中公新書1831) 2006年 720円+税


おとこどうし~

2006-01-27 | Weblog
今日は深夜シフトでした。風邪なので、朝9時にシフトが明けたらすぐ家に帰って寝た。

夕方、幼稚園から帰ってきた。お兄ちゃんと一緒に赤ちゃんをあやしてみる。
ママがコッチをみたので、赤ちゃんの手を上げて、
「おとこどうし~」
って言ってみた。
おはなしするようになったら、これを仕込もうっと思った。

新十津川村

2006-01-26 | Weblog
「日本残酷物語 第四部 保障なき社会」

第2章 ほろびゆくもの  流亡の村 十津川くずれ 


「十津川くずれ」後半部。
明治二十二年(一八八九)に起こった大水害の罹災者救済のために行なった、北海道移住計画 すなわち新十津川村の開墾の話。

この大水害での家や耕地を失った多くの人たちの救援には、東京の十津川出身者が協力した。

九月上旬には北海道移民こそもっとも適切な解決策であるとの結論をうち出し、前田正之 と中島源二郎が官庁その他をまわって調査にあたり、さらに九月十二日には奈良県五条にきて、西村浩平をはじめ十津川村有志と会合し、ついに北海道移住を決 定し、そこに新十津川村をつくることによって救済の道を見出そうとした。

もともと十津川は勤王の志があつく、お互いの意志が共通している土地柄であった、そのため、この計画は十分な検討がなされないままその方向に進んでいった。

こうして、十月十八日に移民団が北海道をめざして出発した。
人々は着の身着のままで持ち物さえろくに無かった、しかも神戸まではまったくの徒歩での移動であった。

これを見た人たちは、生涯のうちでこれほど気の毒な人々のむれを見たことがないといった。
「子どもたちはな、おかァ家へいのう家へいのういうて泣くのを手をひきながら、もうあそこには家あらへんいうてな、子どもをあやしあやしあるいていなはる のや、一人の子に坊やなんぼやいうてきいたら、この子はまだ六つだんねいうて、その母親がいいなはったが、ほんまにいたわしうてな。弟の修治とおない年や ないか思うて、わてはつれていた修治の着ていた綿入りはんちゃをぬがして、その子に着せてやりました。そしたら、そのおふくろが涙ながして、おうけにおう けにいうて、手えあわして、これあったら北海道へいってもこごえ死することないいうて喜びましたのん、おぼえていますが・・・・・・」

これまで深い山のなかで山稼ぎの仕事をしていた人々には、広大な北海道の原野を開拓していく仕事はどうにも勝手が違うものであり、開拓事業もいくらも進ま なかった。故郷に帰ることを望んだ帰郷希望者と、そこに踏みとどまろうとした人々の間で争いも生じ新村の統一は崩れていった。

新十津川は十津川郷民によってひらかれたのであるが、農業になれないこれらの人々は、どうしても土に密着することができなかった。そしてしだいに琉璃する にいたった。一部は郷里にもかえったが、多くは郷里にかえることを恥じた。十津川郷士として敗北の姿を郷里にさらしたくなかったのであろう。そうしてじつ に移住者の六割が新十津川をはなれて道内各地を流浪した、この人々を「十津川衆」といった。
新村に踏みとどまった者もしだいに原野(開拓地)をすてて市街地にあつまった。これらの人々の生活はいちおう安定し、新十津川はここを中心に発展してくる が、十津川郷民がすてた開拓地へは日本海沿岸から移住した農民がかわって入植した。現在なお原野の最初からの位置に家をもつ十津川郷民は、わずかに十戸に すぎない。


「十津川くずれ」

2006-01-25 | Weblog
「日本残酷物語 第四部 保障なき社会」

第2章 ほろびゆくもの  流亡の村 十津川くずれ (途中)

今日のところは、明治二十二年(一八八九)におこった十津川の大水害について。

十津川は、流域に平地らしい平地もなく谷は深く刻まれている。
奈良県十津川郷は、この川の水源地帯にいろがるわびしい山村であった。
もともとこの一帯は農耕で生活してゆけるところではなかったが、山の木は豊富な降水量のためよく茂り、杣師(そまし)や樽丸師(たるまるし)などの山稼ぎのものが暮らしていた。
しかし、ここの人々はたんなる杣ではなくもとは「十津川五十本槍」
(後に千本槍)といわれ郷士として待遇された、江戸時代には天領となり無年貢地として周囲の村の羨望を集めたが、その生活は低かった。
明治二十二年(一八八九)この一体に未曾有の大水害が襲った。
八月十七日に降り出した雨は十八日、十九日と降り続き、

夜十二時ごろに凄壮をきわめた雷鳴のとどろきと稲妻がこの山谷を圧した。そしてこの日の夕方ごろから言語に絶するような山くずれがおこってくるのである。

この山崩(やまぐえ)のため、上流の各所で新湖ができた。この新湖は今日のダムくらいの大きさがあった。

豪雨と山崩のあと、20日の朝になると雨もやみ空が明るくなってきた。そして、急に川の流れが減ってしまった。人々は不思議がっていると、

坂本の背後のずっと高所にある簾の者がやってきて、川水のなくなったのは上流の塩野に大きな湖ができたためであるから、その堤がきれたらどんなことになるかわからない、と避難をすすめてきた。村人はおどろいて避難をはじめた。

そののち、このような新湖がつぎつぎに決壊し、濁流が殺到して谷底の家はほとんど濁流にさらわれてしまった。

この知らせが五条の郡役所に届いてから、復旧作業が始まった。
まず、道路整備のため奈良県は黒桑師(くろくわし)ー土木作業の人夫ーを送り支援した。
橋が落ちて対岸との連絡が取れなくなったところでは、矢文を使った。また、同じように矢を使い対岸まで針金をはり、モッコをくくって対岸の人に引かせた。-ヤエンといい昭和初めまで使われた。
新湖では堰堤(えんてい)が丈夫なところでは、筏をつかい、堰堤の弱いところは、陸軍が火薬により爆破した。



三陸地方の津波

2006-01-24 | Weblog
「日本残酷物語 第四部 保障なき社会」

第2章 ほろびゆくもの  流亡の村 雪崩する谷

「雪崩する谷」の後半。
前半の高時川の谷奥の村々の話に続いて、ここでは五箇山の雪崩の話。そして、ダムで移転を迫られた人々の流浪に触れた後、三陸地方の津波の話になる。

今でこそ簡単にゆける五箇山(ごかやま)であるが、昭和の初めまではその降雪量もあり僻地中の僻地であった。
ここでは、石田外茂一(ともいち)著『五箇山民俗覚書』から、氏が昭和二十年四月に五箇山地方の小学校に赴任時の様子を長い引用で語られている。

豪雪地帯の五箇山では雪崩の一種の「アワ」が最も恐ろしい自然の驚異であった。(アワについては、昨日の記事参照)

アワが出そうな晩だなと誰かがいおうものなら、その一声で、今まで炉辺で花咲いていたダジャレもプッツリと切れてみなだまりこくってしまう。皆の心の中にはただ一つの同じ恐怖がつきまとうーーーー今にもアワがおそってきてこの家がフッ飛んでしまうかもしれない。

五箇山のような場所では、家を建てるだけの平地があり、また飲料水があるところは、谷の入口しかなかった。しかし、そこはアワの頻発地帯でもあった。

アワにあった後に、三年たち五年たち七年たちすると、の人たちはアワのあった家屋 の跡へおもむろに建て出していく。それは垂直にそぎ立った山をいただき、猫の額ほどの狭小な土地で生涯を送らねばならぬ人たちでなければ経験することがで きないふくざつな感情風景であり、見る者の胸をしめつける光景である。

ダムの建設によって立ち退きを迫られた人々も流浪していった。彼らは一旦は保証金を手にしたが、その金は狡猾なものに詐取され、また、都会の汚れた空気は 彼らの肺をおかした。昭和10年ころにダム建設のために立ち退いた富山県有峰(ありみね)の人々の悲しい末路が新聞の三面に載ったのは、昭和十四年である という。

山間のに雪崩の驚異があるように、海には高潮や津波の恐怖があった。そして最も被害が大きかったのが三陸海岸である。
三陸海岸は、谷が海にせまるリアス式海岸であり、湾口はV字に狭まっている。海からの津波は、V字の湾口のためその高さをまして押し寄せる。
三陸海岸では、たびたび津波の被害をこうむるが、ここでは、明治二十九年(一八九六)の津波とその後の昭和八年(一九三三)の津波の様子について語られている。

津波というものは地震の発生から二、三十分遅れてくるため、の古老の経験による知恵が被害に大きな差をだす。

たとえは明治二十九年、昭和八年の再度全滅した姉吉(宮古市)と鵜住居村両石(釜石市)で比較してみると、昭和八年の死者は両石では二、三名にすぎな いのに、姉吉では救われた人がわずか二、三名であったのでもよくわかる。この生命の災害の差は、両石には明治二十九年の津波を経験した古老がなお数人い て、その退避指導にあたったこと、姉吉は明治二十九年に全部死亡し、津波の経験者が皆無で、二十九年の津波当時の無知識ぶりをふたたび発揮しているのであ る。

以後、明治二十九年と昭和八年の津波をともに経験した越喜来(おつきらい)(気仙郡三陸村)の佐々木精一氏の経験が語られている。


「雪崩する谷」

2006-01-23 | Weblog
「日本残酷物語 第四部 保障なき社会」

第2章 ほろびゆくもの  流亡の村 雪崩する谷 (途中)

ここから「流亡の村」がはじまる。前の「さびれゆく町村」が交通の発達等によって衰退していった町村を扱ったが、ここでは、自然災害によって退転離散する村々をあつかう。

・・・前略・・・こうした衰退とは別のかたちのもう一つの流亡があった。それは町の衰亡とは ちがって、多くの僻地にふりかかる自然災害によるものであったが、こうした退転離散する村の歴史こそは、世間の目のとどかぬ場所でおこった隠れた悲劇 であり、そこに政府の真剣な保証を期待する何物もなかった。

はじめに、琵琶湖の北にある高時川の谷奥の村々についての話。
高時川の流域は、川に沿って平地らしい平地もなく人々はわずかな川岸や山の中腹の傾斜地にすんでいた。
このような場所なので、水害に弱く、またここは豪雪地帯であり雪崩の巣でもあった。

このような所が一旦水害に襲われると、田畑人家などいっぺんにながされた。また、交通が遮断され下流の人々と連絡の付けようが無かった。そのため、文字を書いた板、つまり流し木にを流したのである。
ここでは、明治二十八年と九年の水害について書かれている。この時の水害により多くの人が政府のすすめにより北海道に渡った。

そして、冬になるとアワ、ノマと呼ばれる雪崩の恐怖があった。

アワというのは冬のさ中に多く出る。静かな、物音の一つしないような夜など、山の頂の 木の枝にたまっている雪がこぼれおちる。根雪の固く凍った上に新しい雪のふんわりと積もっているようなところでは、この小さな雪のかたまりが斜面からころ がってゆくにつれて大きなかたまりになり、新雪をまいて中は大きな空洞になって、どっと谷底へぶつかってくる。その途中の木もなにもヘシ折ってしまうのが ふつうであった。

ノマは春さきに出る。春になって大地があたたまってくると、雪は太陽に照らされている表面ばかりでなく、大地に接したところからもとけていく。それまで大地にしがみついていた雪が、重みのためにすこしずつずれてゆき、ついに雪崩をおこすのである。

しかし、こうした雪崩の恐怖がなくても、雪ぶかい年は交通が完全に遮断され囲炉裏の火を唯一の頼りにしながら暗い穴倉で過ごさなければならなかった。
雪ぶかい村の家々が雪にとざされ完全に孤立してしまう様子を示す話が載っている。少し長いが抜き出しておく。

田戸から東へはいった谷奥の奥川並へある秋の夕暮一人の旅人が訪れた。とある家へ一夜の宿を請うと、亭主は外へ出て空を仰ぎ見ていたが、「にずい(重苦し い)空だから、あんたはとまらないで一時も早く里の方へでるがよい」と叱るようにいった。しかし旅人は日が暮れてから山中の細道があるけるものではないか ら、せめて一夜をとめてほしいという。亭主はこんどは台所の方に向かいて女房に「食うものはあるか」ときいた。「食うものはない」と夕飯の支度をしながら 女房がいった。「目のまえで夕飯の支度をしながら、食うものはないなどとよくいえたものだ」と旅人の心はおだやかではなかった。そして食うものはなくても いいから泊めてほしいとたのむと、亭主はものもいわず、座敷に上がっていろりの側へ坐った。旅人もだまっていろりのそばへ坐った。夕飯時になっても家の者 は旅人に食事をすすめなかった。タ旅人は茶ばかり飲んでいた。
夜ふけに外へ小便に出ていった女房が戻ってきて「雪になった」と一言いった。亭主は「とうとうきたか」と重苦しい声で言った。旅人はいろりのそばでねた。
そのあくる日、旅人が外へ出ようとすると「そこから外へは出られぬ」と亭主が叱るようにいった。その凄い目つきに旅人は一瞬ギョッとして殺されるのではあ るまいかと思ったが、理由は別にあった。戸外は完全に雪で埋って、戸をあけても出られるようなものではなかった。家の者は土間から天井裏の破風(はふ)に 梯子をかけて、そこから外へ出ていった。雪はすでに軒を埋めつくしていたのである。旅人は仕方なく又いろりのそばに坐った。そして雪がすこしとけたら出て ゆこうと思った。が、雪は降るばかりでとける事はなかった。暗い穴蔵のような中で、それから四月近くまでの間すごした。食う口が一つふえて、その家の暮ら しはまったく陰惨をきわめた。できるだけ腹をへらさぬようにするためには動かぬ事が第一で、家の者たちは、いろりのほとりにごろごろ寝たまま今日もくる日 も春をまっていた。いまさらながら亭主が旅人をとめようとしなかったわけがわかったのである。

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「狭き門」 ジッド著

4

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「ネイティブなら子どものときに身につける 英会話なるほどフレーズ100」スティーブン・ソレイシィ、ロビン・ソレイシィ 著 

Stage4 PRETEEN 65. Maybe it's..... 66. Everyone does it. 67. not that..... 68. What .... ?

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「CD版 「超基本」を一日30分!」 尾崎哲夫 著 

41. 分詞①、 42. 分詞②


アウトブット力を磨くノート

2006-01-22 | Weblog
「できる人の英単語帳&ノート術」
アスコム(NHK 英語でしゃべらナイト 別冊シリーズ4) 2005年 980円

他人の本棚とか手帳とかなんとなく見てみたいもんで、そういう本は結構でているのですが?いつも立ち読みですませます。

この本は、イロイロな人の「英単語帳や英語ノート」を公開している。
普段だったら買わないんだけど?最初にある「アウトブット力を磨くノート」をみて、使えそうな感じがしたので、買ってみた!

英語を指導していてよく思うのですが、英文を読むとすぐ理解できるのですが、実際にそ れを書いてみよう、言ってみよう、つまりアウトプットしようとすると、できなくなってしまう人が多いようです。そんあアウトプット力を鍛えるために、私が おすすめしているのが、「アウトブット力を磨くノート」です。

自分の関心のある事を、辞書などを参考に左に日本語で右に英語で書いてみる。といったものです。(普通の英単語帳とどう違う?ってことは言わないようにネ!)

でも、この本読んでみると!みんな勉強してるな~って思いました!
カードとかノートとか作るだけでも大変なのにね~

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「ネイティブなら子どものときに身につける 英会話なるほどフレーズ100」スティーブン・ソレイシィ、ロビン・ソレイシィ 著 

Stage4 PRETEEN 61. Do you mean this? 62. That's not what I meant. I'll get it. 64. I think I ..... .

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「CD版 「超基本」を一日30分!」 尾崎哲夫 著 

38. 受動態① 39. 受動態② 40. 受動態③


ロディアのノートカバー

2006-01-21 | Weblog
「店員さんがすすめる 良品ステーショナリー」
「シリーズ知・静・具」編集部 編 LOCO MOTION PUBLISING 2005年 1500円+税

本屋さんをうろついていた時に見つけた「文房具」の本。
いろいろと、よさそうなものが載っていたので、買ってしまった。
文房具屋さんの店員さんが選んだ良品を紹介する本。

見開きで写真が載っていて、ページをめくると見開きで前の写真の文房具の説明が載っている。

気になったのは、黄色くって可愛いロディアのノート用のノートカバー!
近くの文房具屋さんにもあるけど、ペンさしが無かったので躊躇していたが、ココに載ってるのはペンさしがあるじゃん!
更に、ググッテみると、こんなHPを発見!!
(ここには、ロディアのもっともポピュラーなNo.11だけでなくイロンなサイズのノートカバーが載っていて、実は、縦長のNO.08用が気になったりしている。・・・・6000円・・・悩みは尽きない。)

もう一つ、気になったのが、万年筆の「ペリカーノJr.」!!
モンブラン マイスターシュテュックなどの名品と一緒に1260円のぺリカーノJr.が載っている。子供用の万年筆だけどかわゆい。

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「狭き門」 ジッド著

2、3


うなぎの蒲焼

2006-01-20 | Weblog
「献立帳」 辻嘉一 著

春夏秋冬 生気、二十六文字、業平、洗い洗いて、空也僧、丸炊き

「二十六文字」って所に、お土産のうなぎの蒲焼の美味しい食べ方あ載っていた。

折詰になって、御好意の蒲焼をもらったとき、どうしたら美味しく食べれるかと、よく聞かれます。
そのまま、お酒を両面にふりかけるか、またはお酒を浸(ひた)すかして、五分間おき、金網で静かにあぶり、あつあつにたれをかけて召し上がるに限ります。つまり、水分が飛んでしまっているので、お酒でうるおいを添えるわけです。

なるほど、昭和39年の記事だから「レンジでチンする」って訳にはいかないんだ~。

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【購入図書】06

「店員さんがすすめる 良品ステーショナリー」
「シリーズ知・静・具」編集部 編 LOCO MOTION PUBLISING 2005年 1500円+税


出生届

2006-01-19 | Weblog
深夜シフトだったので、朝帰る。

出生届は2週間以内に出さないといけないので、届けを出してきた。
ついでに、児童手当の申請と、保健センターに登録してきた。

それだけでも、忙しかったが、お兄ちゃんの方が幼稚園から帰ってきたから、調子がわるくなり熱を出したので、お医者さんにつれて行った。
(なんと、また点滴されてるし!)

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【購入図書】06

「フォニックス<発音>トレーニングBOOK」
ジュミック今井 著 明日香出版社 2005年 1500円+税

My presentation in the English class.

2006-01-18 | Weblog
にもちょっと書きましたが、英語研修で、順番にフリースピーチする時間があります。っで・・・・・今日がボクの番!

昨日・一昨日と寝不足になりながら準備したかいがあって、なんとか乗りきりました。これで、とりあえず一安心です。
(記録のために、原稿を一番したに、付けておきます。・・・・文法とか細かい事は言わないでネ!)

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「献立帳」 辻嘉一 著

春夏秋冬 ほんのり、ぬなわ

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星の王子さま

Now I will tell you about “The Little Prince” by Saint-Exupery.
This is one of the most famous books written in French.
And, we are now learning French. So I will tell about that.
I have four books.
This is Japanese one. I have read this book several times
This is English one. I bought it when I went to a college, I don’t remember that I finished it or not yet.
This is French one. I hope I will read it some day.
This is Chinese one. I bought it in Taiwan last March. I think I never read it.
“The Little Prince” has many scenes or tales.
For example,the picture of boa that swallowed an elephant, A tree of baobao, Strange people live in the strange planets, The little prince and the fox.. And so on.
 
Now I focus on the tale of the little prince and his rose
If you read it, you can easily know that tale of the rose is love story, and rose is a girlfriend of the little prince.
The tale of the rose is like that.
One day, a rose seed came from somewhere to his planet.
He lived in small planet.
Then the rose bloomed.
She was a very beautiful flower, but she was not kind.
He fell in love and took care of her.
But she bothered him.
At last, he decided to leave his planet and said good-bye to her.
The scene of leaving is beautiful.
At that moment, she first showed her kindness but she was still proud.
At last she said to him “Don’t linger like this. You have decided to go away. Now go!” because she didn’t want him to see her crying.
After that, the little prince traveled several planets and at last, reached the earth.
That tale is a topical love story.
 
But I think there is another mean in the tale of the rose, and the rose means also his friends.
The little prince was written in New York not in France.
Those days, the world was in World War II, and Saint-Exupery escaped from France to USA, because the Nazis Germany occupied France.
Many his friends still lived in France.
One of his best friends was Leon Werth.
In the preface of “The Little Prince”, Saint-Exupery dedicated the book to him.
He was a Jew, and remained in France and maybe hided himself from Nazis.
The Key word is a “thorn.”  Thorn is a TOGE in Japanese.
The rose used to have thorns, and his rose had four thorns.
One day the little prince asked the man who saw him in Sahara.
“The thorns – what use are that?”
The man said.
“The thorns are of no use at all. “
This meaning is that if the rose has thorns, a wild animal can easily eat her.
Then the little prince got angry, and said
“They believe that their thorns are terrible weapons.”
The little prince or Saint-Exupery thought the thorns are useful.
I’m not sure what the thorns were meant.
But Leon Werth and other friends had the thorns and battled against the Nazis with their thorns.
I think Saint-Exupery thought the thorns were weak but he believed the thorns were still useful.
 
After the little prince reached on the earth, he saw a fox and he maid friends with the fox.
The fox said his secret to the little prince.
The secret was that “What is essential is invisible to the eye.”
This is a most famous phrase in “The little prince.”
And next the fox said “You are responsible for your rose.”
The end of the story, the little prince returned his planet.
He said that “I am responsible for her. And she is so weak! She is so naïve! She has four thorns, of no use at all, to protect herself against all the world.”
Saint-Exupery wrote “The Little Prince” in 1943, and soon he returned in a battlefield.
Because he responsible for his friends.
After one year, on July 31 in 1944, he went to battle with his plane and he never returned.

『献立帳』

2006-01-17 | Weblog
「献立帳」
 辻嘉一 著 光文社(知恵の森文庫) 2005年 667円+税
 (1967年/三日月書房の文庫化)

春夏秋冬 梅わん、とろろ、おむすび、うしお

本屋さんで本を眺めていると、すでに亡くなったはずの人の本が、最新刊で並んでいた!

あれ?っとおもって手に取ると、1967年の本の復刊文庫化である。
(そら、そうだわ! しかし、すごい古い本だな~)
で・・・買ってしまった本。

辻嘉一は、裏千家御用達の仕出し料理屋「辻留」の2代目。
記憶が正しければ、若い頃に美食家で有名な北大路魯山人の下で修行したはずである。

ようするに、茶懐石料理の第一人者である。

関東と関西での玉子焼きの違いについて書かれてある。

同じ名の玉子焼きが、関東と関西では、まるっきり正反対なほど違います。
関東では鶏卵を粗(あら)くとき、出し汁はごく少量にして調味に砂糖を用い、焼き色をつけながら四方型の鍋で、向う側から手前へと、たたみこむようにして 焼き上げます。関西では鶏卵を丁寧にとき、出し汁をたっぷり入れ、すいのうで漉(こ)して細やかなキメにし、焼き色をつけずに長方形の鍋で、手前から向う へと、巻き進みます。
こんな大きな相違がありながら、どちらも鶏卵の美味の長所をよく捉えており、甲乙はつけられません。

そんなに、違うんだね~。

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「ネイティブなら子どものときに身につける 英会話なるほどフレーズ100」スティーブン・ソレイシィ、ロビン・ソレイシィ 著 

Stage3 CHILD 57. That what-cha-ma-call-it. 58. My[体の部分] hurts. 59. I can't wait! 60. I knew it !

英語の表現が思いつかなくって「えーと、なんだっけ?」って時に、ネイティブは、"That what-cha-ma-call-it." って言うのだそうだ!
適切な単語が出てこないなんて、いつもの事だけど、その時どう言うのかって、結構難しい。・・・・でも、この表現は、ちょっとネイティブ表現すぎて、言うの恥ずかしいような?気がします。

それから、catch a cold については、

「今ひいている」なら I catch a cold. とはいわない。「風邪をひいている」の自然な言い方は、 I have a cold.。

なんだって! 知らなかった。

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「CD版 「超基本」を一日30分!」 尾崎哲夫 著 

36. 動名詞 37. 動名詞と不定詞

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【購入図書】06

「中・高校生のための 中国の歴史」
鈴木 亮・二谷貞夫・鬼頭明成 著 平凡社(平凡社ライブラリー OFFシリーズ) 2005年 1000円+税

「できる人の英単語帳&ノート術」
アスコム(NHK 英語でしゃべらナイト 別冊シリーズ4) 2005年 980円