THE READING JOURNAL

読書日誌と雑文

「北へ落ちる人々」

2006-02-10 | Weblog
「日本残酷物語 第四部 保障なき社会」

第2章 ほろびゆくもの  士族のゆくえ 北へ落ちる人々 

戊辰戦争で奥羽連合に加わった各藩は大幅な減封をされたため多くの家臣が路頭に迷う事になった。
ここでは、そのような士族のうち、集団で北海道に渡った人たちの記録、及び屯田兵について書かれている。
士族移民団では、会津藩の東(とう)藤太の記録。亘理(わたり)藩の士族移民団の記録。

明治初期に北海道に渡った士族移民団は、なんの援助もなく、まだただの原野だった土地を開墾するしか方法がなかった。
しかも、割り振られた土地は、北海道の現状を知らない役人の机上の仕事であり、条件のよい土地に変えてもらうように嘆願書を出しても容易には受けいられなかった。

当路の者に「朝敵のくせに何をいうか」というような気持ちがなかったとはいえない。

彼らは、並外れた試練の後やっと安住の地を得るのであった。

彼ら士族移民団に比べると明治七年に設けられ、三十六年に廃止された屯田兵は、適地が選定され、家屋、器具、什器まで用意され、仕度量、旅費、運賃、宿泊 料、三ヵ年分の米噌を保障され、種子、農機具の支給、懇切丁寧な指導など有利な条件であったが、それなりに大きな苦しみを味わった。

屯田兵は後には北海道開拓の先駆としての役割が多くなり、身分を選ばなくなったが、最初は国防的な色彩が強く、士族に限られたいた。明治の変革によって失職した士族授産に重点が置かれていた。

屯田兵は家族もちでなければならなかった、戸主は厳しい教練があり家族も野良で仕事をしなければならなかった。すべてが喇叭の合図ではじまり、自由などまったくなかった。
教練は厳しく、また、下士官は横暴ですくに暴力に及んだ。

とくに騎兵・工兵等の特科隊の訓練は猛烈だった。給与された、人もろくろく見たことのない野飼の馬を飼いならし乗りならすまで、馬をはじめて扱うこのと多い兵たちは幾度か死線をさまよった。工兵隊も渡河演習や架橋演習で死に目に会わされた。

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「英会話・絶対音読 入門編」 國弘正雄 編 

Lesson 2 Welcome to Aboard TRACK 4 さあ、機内にアナウンスが聞こえてきました。 TRACK 5 入国カードにちゃんと記入できますか。 TRACK 6 さあ、シドニーに到着です。

サイクル1回目
  1. テキストを見ながらリピーティング(5回)
  2. 音読(15回)
  3. テキストを見ないリピーティング(5回)
  4. シャドーイング(5回)
シャドーイングって難しいな~~~