THE READING JOURNAL

読書日誌と雑文

レンジ帰ってくる

2008-03-31 | Weblog
昨日、レンタカーで旅行から帰って来たばかりですが、今日、レンジローバーが帰ってきた。
午前中休みを取って、車を引き取りに行く。

車屋さんのおじさんは忙しいようで、工場の方へとりに行ってくださいとの事でした。代車の軽自動車で工場へ向かう。
途中、高速道路のガソリンスタンドでガソリンを入れる。そういえば明日から暫定税率分やすくなるんだなぁ~と思った。(残念)
工場ではメカニックのおじさんが待っててくれた。なかなか症状が再現しないで時間がかかってしまったとの事。
なんでも、やっと症状が出た時に、調べたら点火系の信号が来てなかったようで、結局ディストリビューター等を取り換えたそうです。
「これで大丈夫だと思いますが、しばらく乗ってみてください」との事だった。
(ちなみに、支払は大丈夫だったらとの事で、いくらかまだわからない。)

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【3月のまとめ】 
読み終わった本は1冊。 


「親鸞をよむ」 山折 哲雄著 (読了08)


カフェによってお帰り

2008-03-30 | Weblog
レンタカーを19時までにかえすため、今日は9時半にお山の家を出発。
まず向かう先は、ママが雑誌で見つけた「こころや」というカフェ。
(カーナビって、電話番号で目的地設定できるんだね)
走ってゆくとちょうどよくお昼に「こころや」に着いた。

カフェと言ってもここは、農産物などの直売所の奥にあって、あまりカフェっぽくはない。どうやらNPO法人の就労支援事業でもあるらしい。
まずお兄ちゃんは、入口で売っていた焼きイモを買おうとしたが、まだ焼けてなかった。農産物などを見てカフェコーナーに入る。
ここのメニューは、「ドライカレー」、「気まぐれランチ」が500円。スイーツが300円であって、かなり安い。
ボクがドライカレー、ママと下の子で「気まぐれランチ」、いろいろ食べてお腹がいっぱいのお兄ちゃんは「焼き芋だけでいい」と言う事だったが、一応「スイーツ」を頼んだ。ドライカレーは黒米を使ったご飯に野菜がいっぱいで味もなかなか美味しかった。気まぐれランチも、量もそこそこあり大変おいしかったという事。
お昼は食べ終わったが、まだ焼きイモが焼きあがらない。子どもたちを外で遊ばせたり、直売品を買ったりしてしばし待った。やっと焼きあがったようなのでお兄ちゃん用の焼きイモを買って車に乗って帰った。
帰りは途中から雨が降ってきた。予定より少し早く着いたのでそのまま家の近くのショッピングモールまで買い物に行った。
19時ちょっと前にレンタカーを返した。


花見山

2008-03-29 | Weblog
今日は、今回の目的の「花見山」へ行った。
なんでも、花木農家の人が個人で作った公園なのだそうだ、いろいろな花が植えられていて梅の季節から5月中旬まで観光客でにぎわうらしい。
シーズンインなのか、今日から駅からのシャトルバスも運行されるらしい。

さて、行ったことがないので様子もわからない。まだ桜のシーズンでもないから近くまで行くことにした。借りたシエンタには、ちゃんとカーナビまでついているので、目的地に入れてみる。すると最初は、常識的に高速道路を使ったコース・・・・節約のため、一般道優先にする。次は、なんか山越えするコース、これはチョット大変。別ルートを選ぶと今度はごく普通だと思われるコースが出てきた。
自分の車にカーナビがあった事はないが、10年くらい前に友達の車にあったカーナビは、そんなに使えそうな感じではなかった。でも今回カーナビの指示に従って運転すると、道などもよいコースを選ぶし通り過ぎるとすぐに検索するし、最近のカーナビは使えるなぁ~という印象だった。
駐車場がわからず、ちょっとうろうろしたが無事に臨時駐車場に着いた。駐車場は思ったよりも車が多く停まっている、桜のシーズンだとメチャゴミになる感じがした。

車からおりて強風の中、花見山へ向かう。あたりは花木農家も多く花見山以外も花でいっぱいであった。花見山の入口でパンフレットを貰う。花見山入口は、なにやら 巨大な石灯籠などがいっぱいあってけっこう怪しい雰囲気だった。
さてパンフレットによると花見山には、30分コース、45分コース、60分コースと三つコースがある。お兄ちゃんはパンフレットの地図を持って意気揚々と、
「ボク60分コースに決めた」
などと言って登り始めた。
(60分コースだと何時間かかるのかと思ったが、子どもの足でも60分であった。)
下の子も、一緒に歩いているおばあちゃん達に「えらいねぇ」なんて言われて、がんばって歩いた。
最初のころは、咲いている花もあるが、まだつぼみの物が多く、ちょっと来るのが早すぎたかかな?という感じであった。途中の東屋でおにぎりで昼食を食べる。食後さらに登って行くと、白梅紅梅などなどが満開になっていた。これはなかなか見ごたえがあった。梅を見ながら山を降りた。


チャイナブルー

2008-03-28 | Weblog
今日はお山のお家へ行く日。
レンジローバーがまだ修理中なので、レンタカーを手配しておいた。
どうせ借りるならと、ママ号候補の一つであるシエンタを借りてみた。

会社の帰りに「トヨタレンタカー」による。あらかじめ予約しておいたシエンタを借りた。家に帰ってから荷物をつみこみ、ちょっと遅くなったけど出発!
さて、借りたシエンタですが、女性仕様の車なので、なんだかドライビングポジションがいま一つ決まらない。まあそれは良いとしても、シートが妙に柔らかく、お尻が沈み込み感じでなんだか、お尻が痛い。長距離はちょっとつらいかな?という感じだった。

12時頃やっとお山のお家へ着く。お風呂に入り、買ってきたライチリキュールとブルーキュラソーを取り出す。それから、先日マイミクの波平さんの日記に載っていたチャイナブルーを作った。

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【購入図書】08


「Monmmo モンモ」 滝桜幻影
2008 春号 No.15 シー・エス・シー 680円


誕生日

2008-03-27 | Weblog
今日は、43回目の誕生日。

なのでわりと早めに家に帰った。
今 下の子が風邪をひいているので、「ケーキは後でね」と言う事だった。
家に帰ると、ママは買い物にも行けなかったようで、ボクが帰ってから買い物に行っていた。

さて、夕飯のメニューは、お赤飯と唐揚げとサラダ。・・・そしてロールケーキ。
「あれ、ケーキは後じゃなかったの?」と言ったら、
「どうしても、ロウソクに火をつけたいんだって」
そして、5本ばかり何処かにしまってあったローソクを立てて、火をつけて、ふ~とした。
風邪で食欲がなかった下の子も、ロールケーキは別らしく、ムシャムシャと食べていた。

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「振動の学び方」 佐藤 勇一 

第3章 多自由度系の振動 3.4 多自由度系の振動


「わざわいの国土 東京の水害」

2008-03-26 | Weblog
「日本残酷物語 現代編1 引き裂かれた時代」

第三章 風と水の記録  わざわいの国土 東京の水害

江戸時代より東京の洪水防止は、緊急にして永遠の課題であった。
江戸時代には、江戸を洪水から守るために、東京湾にそそいでいた利根川の川筋を六十年がかりで銚子へと向かうように変えた。これにより七十年間大きな水害は起こらなかった。しかし、これは水害がおこる地域を北へ押しやるだけであった。

明治以降、水害防除の科学技術も発達したが、度重なる大水害に見舞われた。

水害に関するかぎり、まだまだ戦後の荒廃はつづいているのである。

以降、この本の初版S35年当時の東京の治水の状況について。


「わざわいの国土 伊勢湾台風」

2008-03-25 | Weblog
「日本残酷物語 現代編1 引き裂かれた時代」

第三章 風と水の記録 
わざわいの国土 伊勢湾台風

ここより第三章 風と水の記録が始まる。今日の所は伊勢湾台風について。

昭和三十四年九月二十六日、名古屋市をおそった伊勢湾台風は、同市の西およそ三十キロメートルという最悪のコースを通り、瞬間最大風速毎秒四五・七メートルを記録した。このため伊勢湾の奥部に発生した高潮は名古屋港の検潮所で五・三一メートルという未曽有の水位になり、既住の最高潮位四・三八メートルに備えてつくられていた海岸堤防、河川堤防、埋立地の護岸ではこれをとうてい防ぎきれず、各所に決壊または越水をゆるし、そのため全市域面積の約半分にあたる百二十平方キロメートルにわたって浸水した。

この浸水は、特に南部の海抜以下の地域では二か月以上にわたった。この地域は地価が安い事もあり中小の工場や工場従業員の住宅が多かった。大工場の施設はたいした被害がでなかったが、工員が集まらずに長期間作業を停止せねばならなかった工場も多かった。

名古屋の南部では千八百五十人もの死者をだしたが、それは大台風などの経験がなく緊急避難が遅れたこと、都市計画の甘さ、災害救助の遅れなどが原因であった。突然の堤防決壊により多くの人がずぶぬれになりながら屋根の上に逃れたが、救助の手も届かないまま水・食糧もなく、飢えと寒さの数日がつづいた。

台風の夜、両親を失った姉妹三人が屋根の上にすがりついていたが、三日目についに力つきてズルズルと屋根から落ち、三人とも死んでいった。この世への執着を断念して父母のもとへ行こうとしたのかわからないが、近くの屋根から見ていた近所の人もどうすることもできなかった。

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「ロリータ
」ウラジーミル・ナボコフ 著

第一部 4,5,6,7,8,9

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「振動の学び方」 佐藤 勇一 

第3章 多自由度系の振動 3.3 動吸振器


『ロリータ』

2008-03-24 | Weblog
「ロリータ
ウラジーミル・ナボコフ 著 若島 正 訳 新潮社 2005年 2800円+税

序、第一部 1,2,3

ちょっと前に、読売新聞で
若島 正 著 『ロリータ、ロリータ、ロリータ』の書評を読んだ。これがなかなかおもしろそうである。
気になっていたら、今度は雑誌『英語青年』の4月号で『ロリータ』の特集をやっていた。

ナボコフのこの本は、言うまでもなくロリータ・コンプレックスの語源となった本である。少女愛というスキャンダラスな内容というばかりでなく、文学的にもかなり重要な作品であるらしい。
2005年に若島正による新訳が発表され、ただいま脚光を浴びてるところにようだ。

私たちはたちまちのうちに、狂おしく、不器用で、破廉恥で、悩ましい恋に落ちた。絶望的な恋、と付け加えておくほうがいいのは、お互いを我が物にしたいという熱情は、相手の魂と肉体をひとかれらも残らず吸収し、同化して、初めて癒されるのかもしれなかったからだ。


「むしばまれる労働 水俣病」

2008-03-23 | Weblog
「日本残酷物語 現代編1 引き裂かれた時代」

第二章 労働者のふるさと 
むしばまれる労働 水俣病

昭和二十八年ごろから、不知火(しらぬい)海(九州本土と天草諸島にかこまれた内海)にのぞむ熊本県水俣(みなまた)湾の湯堂(ゆど)、茂道(もど)、出月(でづき)、月の浦などの漁業に、中枢神経をおかされて狂い死にする原因不明の奇病が発生した。

今日の所は、水俣病について。
この奇病について昭和三十一年に「水俣病対策委員会」が設けられ、県も熊本大学医学部に原因の追及を依頼した。そして熊本大学医学部を中心として「水俣病総合研究班」が組織された。その中間報告として、「水俣湾内でとれる魚貝類にふくまれるある種の有機水銀が有力である」と発表し、浄化装置なしに種々の有毒物質をふくむ汚水を流出する新日本窒素水俣工場による湾内汚染が指摘された。

このため市内の鮮魚小売組合がまず、「水俣の漁民が獲った魚はぜったいに売らない」と声明をだしたが、この声明は漁民たちの生活を扼殺する力をもっていた。漁場を失い、続発する患者をかかえた漁民たちは、新日窒に補償要求をたびたび出したが、工場側は熊大説を否定、水俣病と工場廃液は関係ないとして漁民たちを無視しつづけた。

そして漁民たちの激しい抗議行動などをへて、

三十四年もおしつまった十二月下旬、会社側は排水浄化装置を完成し、不知火沿岸三十六漁協にたいして、漁業補償一時金三千五百万円、立上がり融資六千五百万円をだすことにしたが、漁業補償金のうちから一千万円は、十一月初の「漁民乱入」で会社が受けた損害補償金として差引き返済させ、
「過去の水俣工場の排水が水俣病に関係があったことがわかっても、いっさいの追加保障要求はしない」
という契約をとりかわいした。さらに水俣病互助会五十九世帯には、死者にたいする弔慰金三十二万円、患者成人年間十万円、未成人者三万円を発病時にさかのぼって支払うことを契約した。けれどもこれらの会員は、この補償金を受けとった理由で生活保護をうち切られている。

水俣病発生いらい漁業をやめたままの零細漁民はこれ以上、転落のしようのないまで追い詰められてしまう。

水俣病の患者は三十五年六月現在で八十四名、うち死亡者三十三名。追いつめられた漁民たちは、この半年ばかり新患者の発生をみず、また工場に浄化装置ができたこともあって、汚染されたままの水俣湾で、暗黙のうちにまた密漁を復活しており、自分たちの家庭でたべるばかりでなく、行商人などの手をへていずれかへ消化されるものもあるという。そのためかどうか、三十五年六月に、水俣病が最初に発生した月の浦にはまた新患がでた。水俣病のおそろしさにおびえながら、漁師たちは死の海にいまも船をのり出してゆく。
生きるために毒魚を食う。それは生きのびるかも知れない可能性をもとめて生きることなのだ。


「むしばまれる労働 ベンゾールの恐怖」

2008-03-22 | Weblog
「日本残酷物語 現代編1 引き裂かれた時代」

第二章 労働者のふるさと  むしばまれる労働 ベンゾールの恐怖

山本英子さんがビニルサンダルをつくる町工場につとめはじめたのは、昭和三十三年二月。五ヵ月ほどたった七月はじめから何となく体がだるくなったが、それほど気にとめず、仕事をつづけていた。ところが六月二十三日夕方、仕事中に突然大量の鼻血が出て、近くの耳鼻科で治療を受けた。翌日夕方ふたたび鼻血が出はじめ、またその医者に手当てをしてもらったがいっこうに止まらず、大学病院に送られた。いろいろな手当で鼻血はとまったが、ひどい貧血で血液検査の結果赤血球は正常値の半分、白血球は六分の一しかない。いろいろな手当てを受けたが日一日と体は弱る一方で、入院十日後にはとうとうそのはかない十七歳の一生を終ってしまった。

ここより、「むしばまれる労働」が始まる。はじめはベンゾール中毒について。
この事件が発端になり労働基準局は研究機関と連絡を取って、勤務先のベンゾール濃度を調べた。工場と言っても何の設備もない長屋の一軒である。作業場のベンゾール濃度は恕限値の三ー十倍もあり、作業員全員がベンゾールの影響を受けていた。
当時、女性用のサンダルなどの履物のビニルを接着するのにベンゾールを溶剤としたゴム糊が使用されていた。ベンゾールは溶剤として優れているが、その毒性もまた非常に高いものだった。
このベンゾール中毒の対策として3つの事が実施された。
  1. 「ゴム糊」の改良・・・糊の溶剤をベンゾールから毒性の少ない溶剤に切り替える。
  2. 局部排気・・・工場の作業場に排気システムを取り付ける。
  3. 定期健診・・・定期的に中毒健診を行う
こうして工場などの健康管理の体制は整ってきたが、最後に取り残されたのは内職者だった。

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【購入図書】08 (amazon)

「ロリータ

ウラジーミル・ナボコフ 著 若島 正 訳 新潮社 2005年 2800円+税

「英語青年」 特集『ロリータ』
2008 4月号 研究社 1200円


「恵信尼にきく」

2008-03-21 | Weblog
「親鸞をよむ」 山折 哲雄著 (読了08)

第七章 恵信尼にきく --日本思想史の背後にかくされていた「あま ゑしん」の素顔ーー 、あとがき


ここでは、親鸞の妻である 恵信尼の書いた『恵信尼文書』を読み解く。
まず、著者は
恵信尼の尼は、宗教者としての尼ではなく、単に未亡人という意味での”あま”であると想定している。

また、『恵信尼文書』の中で、今まであまり注目をされていなかった「無量寿経の音読仮名書三葉半」に注目し、同時期に親鸞が編纂した和讃と関連についても触れている。


にぃにー メンメ!

2008-03-20 | Weblog
今日は春分の日でお休み。朝、ママ方のおじいちゃんおばあちゃんが、お彼岸のお墓参りに行く途中にウチに寄った。(ちょうどウチが田舎との中間くらいにある)
お兄ちゃんには、「オセロ」、下の子には、「アンパンマンのジグゾーパズル」を買ってきた。それから、お兄ちゃんが小さいころに、置いていったというブロックも持ってきた。

下の子は、「自分のモノ」として買ってもらったオモチャなので大喜び。ブロックも自分のモノと思ったらしく、お兄ちゃんがブロックで遊ぼうとすると、怒ってお兄ちゃんをたたいたりしていた。

そのうち、お兄ちゃんはオセロを出して、おじいちゃんと対戦、すると何を思ったのか、下の子がすくっと立ってブロックの前で仁王立ちした。
ブロックを指さして、怒った顔をして、

「ノンノン!」
「にぃにー メンメ!」

「ノンノン!」
「にぃにー メンメ!」

と繰り返していた。
どうやら、これは「ノンノン」(自分)のだから「にぃにー」は「メンメ」(使っちゃダメ!)と言う練習をしているようだった。

一服した後、おじいちゃんとおばあちゃんはお墓参りに出かけた。
お兄ちゃんも何か買ってもらおうと一緒に出かけた。
でも、下の子は風邪をひいたのかちょっとお熱があったので連れて行ってもらえず・・・・泣いていた。


「親鸞をよむ」

2008-03-19 | Weblog
「親鸞をよむ」 山折 哲雄著

第六章 親鸞をよむ --日本思想史のもっとも戦慄すべき瞬間ーー

一般に日本では、親鸞といえば、まず『歎異抄』である。だれもが親鸞を論じる時『歎異抄』の言葉を挙げる。著者もこの『歎異抄』の魅力にとりつかれた一人であった。しかし、『歎異抄』のみから親鸞を論ずる事の誤りに気づき、親鸞のもう一つの重要な著作『教行信証』の研究を始めた。

親鸞の著作としての
『教行信証』の特徴はこれが『歎異抄』と違い、親鸞が著したものであるという事である。つまり、『教行信証』の中にこそ、親鸞の本当の肉声が詰まっていると著者は言っている。

では、この
『教行信証』には何が書かれているだろうか?

この作品に展開されている重大テーマはただ一つ、父殺しの罪を犯した悪人ははたして宗教的に救われるか、という問題だった。

『涅槃経(ねはんきょう)』や『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』にはアジャセ王子の父殺しの物語が説かれている。この悪人救済の条件の有無は古来より仏教の重要命題であった。

そのおびただしい論争のなかからかれらによってすくいあげられたのが、『大無量寿経』にあらわれる厳しい規定だった。父殺しの罪を犯したアジャセは無条件に救われるのではない、という除外規定がそれである。

唯除五逆誹謗正法
(ただ、五逆罪を犯した者と仏法をそしる者は、除く)

五逆とは、父殺し、母殺し、聖者殺し、および仏のからだを傷つけ、教団を破壊する者をいう。阿弥陀如来の救済力は、「五逆」と「誹謗正法(ひぼうしょうほう)」の罪を犯した者の身には及ばないということだ。

親鸞は、この除外規定は真か偽か、阿弥陀如来の救済力は有限か無限か、人間の根元悪は阿弥陀如来への信によって乗り越えられるのか乗り越えられないのかを深く考察して
『教行信証』を書いた。
そしてその最後の解答が末尾に登場する。

父殺しが救われるためには、「善知識」と「懺悔(ざんげ)」の二条件が決定的に重要である、というのがそれだ。「善知識」とは善き教師、そしてその師について自己の罪を深く反省することが「懺悔」である。

これが、親鸞の「悪人正機(あくにんしょうき)」の核心であると著者は言っている。
ここで、問題なのが、この
『教行信証』で示されている「悪人正機」説が『歎異抄』で展開されているものと、根本的な認識において乖離しているという事である。
『歎異抄』で展開されている「悪人正機」説は、以下の三つの事柄から成っている。第一に有名な「善人をもて往生をとふ、いわんや悪人をや」に表わされている「悪人往生」の問題。つまり悪人こそが阿弥陀如来によって救われる第一走者であるという事。第二には、殺人をはじめとして我々が作りつづける罪のすべては、「宿業」によるという、善悪=宿業説。そして第三に、毎日魚をとったり、鳥や獣をとったりする者でも、如来の本願によって救われるという事である。
著者はこの『歎異抄』に書かれている「悪人正機」説が人々の心を揺さぶり続けてきたことを認めながらも

わたしはいわなければならない。『歎異抄』における右のような議論は、親鸞の悪=悪人論の本質からすれば、まだそのほんの一部分だけをカバーしているにすぎないのだ、と。なぜならかれの主著である『教行信証』には、『歎異抄』においてはまったく見出すことのできない、悪と悪からの救済についての究極の問題が論じられているからである。

と言っている。


「カミについて考える親鸞」

2008-03-18 | Weblog
「親鸞をよむ」 山折 哲雄著

第五章 カミについて考える親鸞 --
神祇不拝ーー

親鸞の「神祇不拝」とは、神を祈ることを禁じたが必ずしも神を否定しているというものではないと著者は考えている。
ここでは、神について考える親鸞を『教行信証』や和讃によって考察している。
親鸞は、『教行信証』の最後に「真仏土(しんぶつど)」、「化身土(けしんど)」という二章をおいている。「真仏土」とは聖者のみが到達できる真実の仏土であり、「化身土」とは凡夫の赴く仮の仏土の事である。
そして、親鸞は浄土門の王道はこの化身土という第二浄土にあると考えている。化身土において自力往生から他力往生への転換が説かれている。しかし、ここで突如として神祇を礼拝するべきかという問題が提出されている。そして、ここでは鬼神や現世利益などを孔子の言葉まで引用して否定している。
著者は、親鸞の頭の中には阿弥陀仏か
神祇かのような二者択一的な考えは無く、阿弥陀仏や真仏土、化身土がある世界と一緒に鬼神や魔の住む世界がある世界を見ていたと考えている。その意味で神祇不拝は神祇否定では無いと言っている。
親鸞のこの神祇に関する考察は、晩年になるとさらに深められ76歳の時書かれた『浄土和讃』には「現世利益和讃」というものまで付け加えている。
さらに年をとり85歳の親鸞は「愚禿悲歎述懐(ぐとくひたんじゅっかい)和讃」においては、神祇不拝と神祇否定の間を揺れ動きながら自己を凝視している老親鸞の姿がある。

浄土真宗に帰すれども
真実の心(しん)はありがたし
虚仮不実(こけふじつ)のわが身にて
清浄(しんじょう)の心(しん)もさらになし (1)

浄土門の真実の教えに帰入したけれども、自分の心は外形と異なって、虚仮と不実という不信心の世界に足をとられ、汚れた思いにみなされている、というのである。

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「振動の学び方」 佐藤 勇一 

第3章 多自由度系の振動 3.2 2自由度系の強制振動


「弟子の目に映った親鸞」

2008-03-17 | Weblog
「親鸞をよむ」 山折 哲雄著

第四章 弟子の目に映った親鸞 --唯円と滝沢満之ーー

ここでは、唯円と滝沢満之を通して親鸞を見ている。
唯円は言うまでもなく有名な「歎異抄」の著者である。この「歎異」とは、同門の中に広がる異端の動きに嘆き悲しむという意味である。「歎異抄」は、前半十ヶ条が親鸞の言った言葉を通して親鸞の考えを示し、後半は八ヶ条が異端を断罪する告発状という構成になっている。異端の告発を師にかわり泣く泣く記する事を持って「嘆異抄」と名付けたのである。
しかし、親鸞自身の言葉を調べると親鸞自身は異端から遠ざかれと言っているがそれを糾弾するような事は一言も発していない。

何よりも異端追及ということの恐ろしさと空しさに気づいている人間の諦念がそこにはあったと思うのである。

親鸞の言葉は、異端排除するための「歎異」の方法とは断絶していると著者は言っている。

唯円は『歎異抄』という作品において、もしかすると師・親鸞の信心のあり方を裏切っているかもしれないのである。

後半は、
滝沢満之の生涯と悪人正機説について書かれている。

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「振動の学び方」 佐藤 勇一 

第3章 多自由度系の振動 3.1 2自由度系の自由振動