THE READING JOURNAL

読書日誌と雑文

「荒野に消える声 満蒙開拓青少年義勇軍」

2008-09-30 | Weblog
「日本残酷物語 現代編2 不幸な若者たち」

第二章 離郷者のむれ 荒野に消える声 満蒙開拓青少年義勇軍

茨城県水戸市の西方にある内原駅。常磐線の上り下りの列車が着くたびに、瞳をかがやかし、頬を紅潮させた少年たちがおびただしく吐き出されてくる。昭和十二年(一九三七)十二月、「青少年開拓民実施要領及び理由書」が拓務省で決定されたことによってこの地に満蒙開拓義勇軍内原訓練所が設置されて以来、内原は少年たちにとって一種の「聖地」となった。

昭和八、九年、満州開拓民の移住計画がまだ試験期間であったころ、すでに在郷軍人を中心とした成人開拓民のほかに、青少年を入植させようとする運動がすすめられた。そして、加藤完治氏の指導の下で十七、八歳の日本人少年が「大和村北進寮」を建てたこれが満蒙開拓少年義勇軍の始まりである。その後加藤完治氏が主宰する国民高等学校内内村農場で訓練を受けた青少年が満州に送られた。

内村訓練所での訓練生活は二か月であった。訓練も作業も軍隊のように厳しいもので、中には訓練の辛さに堪えかね退所を申し出るものや無断で逃げ出す者もいた。
(以後、青少年を率いて満州に渡った佐藤省三の話。)
2か月の訓練時間が終わると彼らは、満州の嫩江大訓練所に向かった。しかしその嫩江大訓練所は、建物も非常にお粗末なものであった。

内地で胸をおどらせ、夢にまで見た北満第一の訓練所のこのありさまに、気負い立ってきた幹部も若い隊員たちも気負けして、胸にポッカリと大きな穴があいてしまった感じであった。

彼らは、貧しい食事と激しい労働と戦い、満州の開拓に乗り出した。しかしその土地は蒙古草原で、樹木らしいものもなくアルカリ乾燥地帯の人間の定住には最悪の条件であった。彼らは三ヶ年の訓練生活をヘって第一次大崗義勇軍開拓団に移行しこの草原を開拓していった。しかし昭和二十年になると、団員のほとんどは軍隊にとられてしまった。残ったわずかの団員では営農経営は行えず、団員は団本部に集結した。そのような状態で八月十三日をむかえ、県公署から避難命令が伝達される。
団員は財産を満人に与え、集結を予定されていた瀧山開拓団にひきあげた。ここから定められたチチハルまで逃避行を行う。瀧山には婦女子を合わせて四百人近い人たちが集まっていた。

この集団の新京への逃避行ほど悲惨なものはなかった。「先へ行って下さい」とかぼそい声で泥寧の上にすわりこんで、置き去りにされた老夫婦。ゆるい一つの丘陵をこえるとき一行がふりかえって手をふると、二人もこたえて手をあげるのが見えた。幼稚園の生徒の遊戯のように円陣をつくらせてお菓子をあたえ、うれしがってはしゃいでいるその真中に手榴弾を投げ込んで殺した、二十余人の幼児の霊魂。精神異常をきたした母親に「死んで、死んで・・・・」と首をしめられた赤ん坊。「ラクにして下さい。殺して下さい」と必死に嘆願して注射で絶命していった老人たーーー暴虐な自分たちの国家がおかしたかずかずの支出勘定は、すべてこういう人々が償いをしたのである。

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「茨城と親鸞」 今井雅晴 著

50.桜川 - 若い武士に信仰を説く 51.爪かき阿弥陀堂 - 常陸国府の外港、高浜 52.鹿島・なめかた - 広域に数多くの門弟 53.細文字阿弥陀仏画像 - 怪しい光、湖底に仏像

平安時代の歌人として知られる紀貫之(きのつらゆき)は、桜川市を流れる桜川の春の情景を次のように歌っている(『後撰和歌集』)。

つねよりも春べになれば桜川
    波の花こそ間なくよすらめ

謡曲「桜川」でも知られた桜川は、桜川市の東北の山中にある鏡ケ池から発して、つくば市を通り、霞ケ浦に注ぐ。

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「花ことば物語」 鈴木美智子 著

花言葉物語・春の花ばな さくら、れんげ、チューリップ、たんぽぽ、ぼたん、かたくり、やまぶき、みやこわすれ、ばら

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【9月のまとめ】 
読み終わった本は2冊。 

「前田建設ファンタジー営業部」 前田建設工業株式会社著(読了08)
「フリーズする脳」 築山 節 著(読了08)


「仏の山地蔵尊」

2008-09-29 | Weblog
「茨城と親鸞」 今井雅晴 著

46.加志能為神社 - 鹿島明神分霊迎える 47.袈裟掛けの待つ - 伐採跡に記念碑建立 48.道場淵 - 涸沼川の難所、氾濫も 49.仏の山地蔵尊 - 悪者転じて修行者に

笠間市と茂木町の境に仏頂山という山がある。この仏頂山にはこんな話が残っている。

昔、この山に悪者が住んでいた。・・・・中略・・・
悪者は仏頂山を通る旅人の衣装をはぎ、財物を奪い取ることを日常の仕事にしていた。
ところが、その悪者には一人の娘があった。娘は穏やかで優しい性格、父が悪いことをするのを憂いていさめるが、父は悪事をやめようとはしなかった。
そこで娘は自分の死をもってやめさせようと、ある夕方ひそかに旅人に扮(ふん)して山路を歩いた。
父である悪者はそうとも知らず、これで今夜はいっぱい酒が飲めると喜び、物陰から躍り出て娘を切り殺し、衣装と荷物を奪い取った。
家に帰ってみると、娘はいない。奪った品々も娘の物であることに気付き、さすがの悪者も胸がつぶれて、駆け戻って切り殺した遺体をみると、やはりそれは最愛の自分の娘であった。悪者は悲嘆し、後悔したけれども及ばなかった。
ここで悪者は決心して自ら髻(もとどり)を切り、稲田の親鸞のもとを訪れた。そしてこのようなことになった事情を話して自分の悪行をざんげし、救済を求めた。親鸞は悪者の発心を哀れんで弟子の一人にくわえた。


『ロンドンで本を読む』

2008-09-28 | Weblog
「ロンドンで本を読む」最高の書評による読書案内
丸谷才一 
編・著 光文社 (知恵の森文庫) 2007年 876円+税 (ブックOFF 105円)

イギリス書評の藝と風格について 丸谷才一

この本は、イギリスの書評の翻訳を集めたものである。まずは丸谷才一によるイギリスの書評についての文章。
丸谷によるとイギリスでの書評は、独特な重みがあり日本とは比べ物にならない風格がある。
イギリスでの書評の起源がいつかということは難しいが、十九世紀前半には書評家という職業が生まれている。当時は単行本の情報が重要で読者も増えたころである。そこでそれを評論する機関が必要であった。その評論をすることが当時の雑誌の役割であり、書評は雑誌の主な要素であった。このような伝統がイギリスの雑誌の中には今も生きていて、「エコノミスト」のような経済雑誌でも「パンチ」のような漫画雑誌でも読むに値する書評欄がある。
書評の役割は、
  1. 本の内容の紹介
  2. 本の評価
  3. 新刊本をきっかけにした評論
である。
まず、読者は書評を読むだけでその本が何について書かれているかわからなければならない。書評を読むだけで本を読まなくてもいちおうなんとか社会に伍してゆけることが必要である(1)。それからこの本を読むべきか読まないで済ますべきかの判断の材料とならなくてはならない(2)。

しかし紹介とか評価とかよりももっと次元の高い機能もある。それは対象である新刊本をきっかけにして見識と趣味を披露し、知性を刺戟し、あわよくば生きる力を更新することである。つまり批評性。

これが(3)である。イギリスの書評欄は字数も多く、新刊本をきっかけとして一つの評論を書ける。この批評性がイギリスの書評の価値を高めていて、それにより書評はいつまでも価値をもつものになっている。


「制服のなかの魂 かなしき警官」

2008-09-27 | Weblog
「日本残酷物語 現代編2 不幸な若者たち」

第二章 離郷者のむれ 制服のなかの魂 かなしき警官

今日の部分は、警官の話。

警察官には、どんな人たちがなっているのであろうか。伊藤博文は「巡査ハ農家ノ次三男ヲ以テ補充スヘシ」と、訓令したといわれている。地方の貧しい農家の次三男は、あらゆる困苦欠乏にたえることができるし、絶対服従の精神をたたきこむのに適した環境に育ったものと見られていたからであろう。その伝統は、今なお警察に残っているように思われる。というのは、警察の首脳者が意識すると否とにかかわらず、筆者がであった数百名の巡査は、出身階層のほとんどが、農家であった。

ここでは、何人もの巡査の証言が書かれている。


「制服のなかの魂 自衛隊の明暗」

2008-09-26 | Weblog
「日本残酷物語 現代編2 不幸な若者たち」

第二章 離郷者のむれ 制服のなかの魂 自衛隊の明暗 


ここから「制服のなかの魂」が始まる。まず自衛隊について。

「おまえみたいな骨のくさったような人間は、むかしは軍隊というものがあって、そこで精神をやき直されたもんじゃった。しかし、いまは自衛隊がその昔の軍隊にかわっておるちゅうで、おまえはそこにいけ、おまえのずんだれた(だらしない)精神を自衛隊でやきなおしてもらうんじゃ」

と言われ自衛隊に送られた青年はその後1年もたたずに帰郷した。それから彼の生活はあれはてていく。

ここでは、この手記のほかに、この本の出版当時(昭和35年)の自衛隊の様子について書かれている。

除隊した青年のなかには、ただ自衛隊の機構や性格に適合しないばかりでなく、どんな機構や社会にも適合しないような、少数の敗北者があることはたしかであるが、一般の若い隊員たちの表情は明るく、その生活は合理的、その思想は楽天的である。外の社会では、その存在の是非が議論され、戦争の脅威をはらむものとして暗い疑惑のふちどりをもっている自衛隊だが、そのなかにいる若い隊員の大部分は、こうしたことと何のかかわりもなく生活し、異口同音のように「明るく楽しい」といっている。


「地底の若者たち 幸福な青年の物語」

2008-09-25 | Weblog
「日本残酷物語 現代編2 不幸な若者たち」

第二章 離郷者のむれ 地底の若者たち 幸福な青年の物語 


不幸な青年の物語」につづいてここでは、幸福な青年の物語が語られている。

不幸な青年の物語は、炭鉱において珍しいものではない。

彼らの心理を特徴づける最大のものは、かれらが家庭にたよらず、家庭を信じていないということである。それは日本人の中位の層がおもてむきの言動はともかく、強い家族主義の気分をもっているのと、ひどく対照的である。かれらは家庭を花咲く沃野だと絶対に思わない。かえって労働とおなじく苦痛の泉とみる。そこにふつうの小市民性にわざわいされた日本の庶民との差がある。しかし、まれにはそれに強く愛着している者もある。前者が不幸な若者とよばれるなら、後者は幸福な若者である。しかし、この幸福な若者のしあわせとはどんなものだろうか。その結末をつぎの抗夫の話のなかに読んでみよう。


「地底の若者たち 不幸な青年の物語」

2008-09-24 | Weblog
「日本残酷物語 現代編2 不幸な若者たち」

第二章 離郷者のむれ 地底の若者たち 不幸な青年の物語(一)、不幸な青年の物語(二)不幸な青年の物語(三) 

ここでは、炭鉱で働く不幸な青年の物語が3篇の書かれている。

炭抗夫はその一人一人が「物語を背負っている」といわれる。
・・・・・中略・・・・・
まだ三十にとどかない青年でも身の上話をさせれば、少年になるかならないうちにはじまった労働と放浪の長い物語をつづけて倦むことがない。それをゆっくりと聞いてくれる者はだれもいない。親兄弟も恋人も妻も、そっぽを向いてしまう。「そんな話は聞きあきた。だれでもおんなじさ」しかし、いったん話し出したら、かれらは壁に向かってでもいいから語りつくそうとする。そして、おしまいにはきっと「私がどうしてこうなったのか、どんなに考えてみても分かりませんよ、だれも分からないですよ。おそらく一生考えても分からないでしょうね」という独白でおわるのである。

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「星の王子さま The Little Prince」 サン=テグジュペリ 著

Chapter VI、Chapter VII

For millions of years, flowers have grown thorns. And yet, for millions of years, sheep have eaten flowers. How can you say that it isn't important to try to understand why flowers keep growing thorns that don't ever protect them?


『花ことば物語』

2008-09-23 | Weblog
「花ことば物語」
鈴木美智子 著 保育社(カラーブックス) 平成4年 700円 (ブックOFF 105円)

はじめに、花言葉物語・春の花ばな なのはな、すずらん、パンジー、さくらそう、すみれ

ブックOFFで見つけた本、懐かしのカラーブックスである。この本は、四季の花の花言葉にやや時代がかった写真とその花にまつわるお話をつけて綴ってある。

パンジー *もの想い*
しおらしいすみれの花が、三つの色になったときのお話です。
ある日、天使たちが春の野に降り立ち、美しいすみれの花を見つけました。そして、そっとささやきました。
「世界の人々に、本当の愛の心を伝えておくれ。私たちのおもかげをお前たちにうつしてあげるから。」
天使たちは、花に三回キッスして、天に戻っていきました。それ以来、すみれが三色になったといわれています。
人を愛すること、これほどむずかしく、これほど満たされることはありません。愛されたいと思うより、人を愛する心を持ち続けたいですね。


「貧しき立志伝 飯場のくらし」

2008-09-22 | Weblog
「日本残酷物語 現代編2 不幸な若者たち」

第二章 離郷者のむれ 貧しき立志伝 飯場のくらし 

ダム建設のような山間の大規模土木事業では、その近くに飯場がつくられる。ここでは飯場での暮らしが描かれている。

かつてこの谷間には、さまざまな機械がもちこまれ、昼夜わかなぬ騒音が山ひだにこだました。疾走するトラックが土ほこりを巻きあげ、無遠慮な警笛をふきならした。事務所や、社宅のような飯場がならび、ヘルメットをかぶった人夫たちが忙しく働いた。居酒屋、飯屋、理髪屋がたち、谷間は独立したダム工事の飯場村であった。事務所、機械整備工、トラックの運転手、土工、そのほか各地から集まった人夫たちは、この飯場村で三年ちかい歳月をおくった。

飯場は、ひとりの女性もいない殺風景なところだった、ここに集まる人夫の多くは、貧しい農家の次三男で帰る故郷もなかった。飯場は酒や賭け事、ケンカなどの日常でだった。

「まじめに働こう、ここで自分の生活をかためようと思えば、できないことはない。これは本人の意志ひとつです。ただ、人間は出発でつまずくと、やる気を失ってしまう。それに、次三男が多いから、どうせ俺は余計者だという気持が、なにか起こったとき、悪い作用をしている。それから、かけごと。飯場生活にはかけごとがつきもんだが、かけごとに深いりすると、駄目になる。苦労して働いた金を、二時間か三時間でなくしてしまうんだから、がっかりする。運転もうまいし、仕事にも熱心だけど、しだいにやる気がなくなるのは、かけごとではないかと思う」


運動会

2008-09-21 | Weblog
今日は、お兄ちゃんの運動会があった。
朝、運動会の準備をしていると、ママ方のおじいちゃんとおばあちゃんが来る。さっそくお土産の鳩サブレを下の子が食べていた。
お兄ちゃんが学校に行った後、テーブルと椅子を持って運動会に行った。
運動会は、紅白だけでなくなぜか緑もあって、お兄ちゃんは緑組。
開会式の後、体操をして競技開始。
最近の運動会はみんな写真やビデオを撮るためか?あらかじめ子供からお手紙(プリント)が渡されて、自分の子が競技の何番目で何コースを走るかわかるようになっている。ダンスもあるんだけど、ダンスの最後に10人ぐらいづつ別れて、写真ポーズタイムももうけてある。そしてポーズの場所も書いてある。(先生は大変だぁ~)ついでに、子どもからのメッセージも書いてあって、お兄ちゃんは「おこらないでね おかあさん あと おべんとうは からあげ」と書いていた。

さて、最初にお兄ちゃんが走ったのは、途中でカードを取ってカードに書かれている野菜の旗のところに行ってからゴールするというもの。見ていたら、スタートから完全に出遅れ、しかもカードの野菜もゴールから遠いものを拾って、見事にペケだった。
他の学年の競技の合間に、お兄ちゃんのところまで行って、「スタートは遅れちゃダメよ」と言っておいた。
次はいよいよ普通の徒競走。下の子を背負って、写真を撮りにゴール地点へ向かった。カメラアグルを決めてピントも合わせて待っていると、いよいよお兄ちゃんの番。「お兄ちゃん走るよ」と言ったらおんぶの下の子が見たがって揺れたため、写真は撮れず、走っているお兄ちゃんもよく見えず。ただ、なんとなく後ろの方を走っていたような?

お兄ちゃんの午前中の最後の出番は、ダンス。今年の1・2年生のダンスは、「ポニョ」だった。
カメラを持って「写真ポーズ」の方へ行くと、すでにそこはカメラを手にした人でいっぱい。仕方なく横から撮ることにした。
ダンスは「ボーニョ、ポニョ、ポニョ・・・・・・」と、普通にはじまって、普通に終わった。

ダンスの後、ポツポツと雨が落ちてきたので、傘を取りに家に帰ったりしていたら、午前の競技が終わった。お兄ちゃんを迎えに行く。
「どう?一番になれた?」と聞いたら、、
「うんとね、最初のも、次のも、5番だった」とのことである。

お弁当をみんなで食べた後、また雨が落ちてきたのでおじいちゃんとおばあちゃんは家に帰った。しばらくして、ダッコしていた下の子が眠ってしまったので、あとはママに任せてボクも家に帰る。そして、下の子と一緒に寝てしまった。
その後、下の子が泣いたので目を覚ます。「ママは?」と言うので、一緒にまた小学校へ向かった。小学校についたらちょうど、閉会式がやっていた。


食べ放題

2008-09-20 | Weblog
この前、ソリ遊びをして「おおきくなった」下の子(ココ参照)は、その以来、ちゃんと「おしっこ」って言えるようになったそうである。
そこで今日は、前々から約束してあった「オムツが取れた」時のご褒美!アイスを食べに行くことになった。
アイスクリーム屋さんに行こうか、パフェを食べれるところに行こうか相談していたら、お兄ちゃんの強い意見で、なぜか「食べ放題」の店に行くことになった。
(下の子もお兄ちゃんの「ジュースも飲み放題だよ」の言葉を聞いて大賛成である。)

11時開店とともに店内に入る。時間制限は90分とのこと。この店はお兄ちゃんは何度か入ったが下の子は初めてである。
食べ放題というと焼肉とかが多いのだが、この店は、イタリアン。作り置きのスパゲッティーがうまいわけもなく、大人にはいま一つなのだが、子供には天国らしい。
まず、ジュースを持って来て、ウィンナーとかをちょこっと食べたのち、お兄ちゃんも下の子もソフトクリームを持ってきた。このソフトクリームはトッピングがイロイロおいてあって、自分で好きなように作れる。これがお兄ちゃんの狙いである。
それから、フルーツを食べ、ジュースをブレンドして楽しみ、杏仁豆腐を持ってきたり、ちょこっとパンをつまんだり、途中でトイレに行ったり、帰って来てから今度はアイスを食べたり、えんえん90分食べてお兄ちゃんも下の子もお腹がいっぱいになった。

店を出てから、少し本屋さんによって家に帰ると下の子は、もう眠ってしまった。ボクも一緒に寝ようかと思ったが、お兄ちゃんがどこかに行きたいと言ったので、一緒にブックOFFに行った。

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【購入図書】08

「ロンドンで本を読む」最高の書評による読書案内
丸谷才一 
編・著 光文社 (知恵の森文庫) 2007年 876円+税 (ブックOFF 105円)

「薬草入門」
久保道徳、福田真三、勝城忠久 著 保育社(カラーブックス) 昭和55年 700円 (ブックOFF 105円)

「花ことば入門」
鈴木美智子 著 保育社(カラーブックス) 平成4年 700円 (ブックOFF 105円)


「貧しき立志伝 測手物語」

2008-09-19 | Weblog
「日本残酷物語 現代編2 不幸な若者たち」

第二章 離郷者のむれ 貧しき立志伝 測手物語 

現在の国土地理院は、もとの名を地理調査所といった、そして、その前身は旧陸軍参謀本部陸地測量部である。
精度の高い地図が短時日のうちに作られたのは、旧陸軍の軍事的な意図が背景にあった。

この地図は、日本中に網目のように置かれている三角点の一つ一つに経緯儀をすえ、隣接する三角点とを測量することにより行われるが、この三角点の多くは山の中にある。
そこでまず観測点の整備を行い、三角点まわりの枝を払い、標石の上にやぐらを立てて測標を作る。このような作業は大変な難作業であるが、このような作業を行う「測手」といわれる人々がいた。
この測手は、ふだんは山仕事や農業などの自分の稼業をしているて、測量の時だけ役所から招集がかかり呼び集められた。

仕事中はむろん賃金が支払われるが、仕事がすんで家に帰ると、もはや一文の手当金も出ない。保険や退職金などあるわけでない。それでも召集がかかると、また忽然と山の測量点に集まるのだ。このように、あたかも「山窩」の一種のごとき不思議な人々が、現在でも約八十人ほど国土地理院の名簿に登録されているときけば、驚かぬ人はいないだろう。
(この本は昭和35年初版)

測量は樺太や北海道さらには満州などでも行われ、地図測量にまつわる悲話には枚挙にいとまない。ここでは、何人かの測手の話が語られている。


「貧しき立志伝 貧しき秀才たち」

2008-09-18 | Weblog
「日本残酷物語 現代編2 不幸な若者たち」

第二章 離郷者のむれ 貧しき立志伝 貧しき秀才たち 

田舎の貧しい秀才たちは、その好学心と野心から続々と都会へ出て行った。出ていく大半は東京であり、新聞配達、給仕、玄関番、処世、車ひき、職工などをしながら夜学に通った。
ここでは、そのような当時の苦学生の様子をある苦学生の回想から語られている。

彼の周囲には彼とおなじように田舎から出てきた若者が無数にいた。そしてそのほとんどが家出であった。それはなんらかの地位をうるまでは故郷にかえれない人々であった。彼らは盆がきても正月がきても家へかえらない。病気になっても帰郷しない。そして多くの野心をひめた青年たちがあいついで死んでいった。また新聞店などにいる先輩の配達人は、たいてい競争に途中で敗北し、のぞみをすてた人々であった。彼らは酒をのみ女郎を買うばかりでなく、そんな自堕落な生活に若い者をひきずりこもうとした。彼もまたそういう誘惑をたえずうけた。

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「前田建設ファンタジー営業部」 前田建設工業株式会社著(読了08)

PART 9 積算はいかが、PART 10 ファイルProject01を提出せよ、エピローグ、あとがき 

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「星の王子さま The Little Prince」 サン=テグジュペリ 著

Chapter I I I 、Chapter IV、Chapter V



「貧しき立志伝 逓信講習所」

2008-09-17 | Weblog
「日本残酷物語 現代編2 不幸な若者たち」

第二章 離郷者のむれ 貧しき立志伝 逓信講習所 

貧しい村から、外の世界へ出て行った青年たちの職業は、
  1. 農閑期を利用して働く土方、人夫、手伝いなどの肉体労働
  2. 大工、左官、石工などの技術を伴うもの
  3. 職工、商店の小僧、官公庁に努めて定住するもの
であった。この中で第三のグループは、金持ちの子弟が上級学校に行き社会の上層部に就職する場合もあるが、その大多数は定住の有利な位置づけを得るために、青春をかけなければならなかった。
村には貧しいながらも秀才が少なくなかった。このような子供が金がかからず勉強できる施設として戦前には、陸軍幼年学校、陸軍士官学校、海軍兵学校、鉄道教習所、逓信教習所などがあった。このうち陸軍士官学校と海軍兵学校へは中学へ入らな場ならなかったが、その他は小学校を卒業すれば試験を受けることができた。貧しい農村には中学へゆける学資もなかった。

鉄道教習所や逓信教習所をでたものは、さらに勉強したければ同一系統の上級学校へも進めるし、別の方向に進む場合もただ小学校をでただけよりは有利だった。そこに集まるのは村々の貧しい秀才たちであった。

ここでは、島から出てきて逓信教習所に通ったある子供の話が載っている。

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「前田建設ファンタジー営業部」 前田建設工業株式会社著

PART 8 ジャッキアップ超特急


「古き村に芽ぶく 和泉の国の青春」

2008-09-16 | Weblog
「日本残酷物語 現代編2 不幸な若者たち」

第一章 田舎の若者たち 古き村に芽ぶく 和泉の国の青春 

大阪に近い摂河泉のある青年の話。
この地方は早くから職業が分化して農業によらず食える仕事があった。
子どもも十ばかりになれば、小銭をもうける仕事もすくなくなく、女の子は7,8歳になると子守に出され、十三、四歳になると工場で働くようになった。そして工場に勤める女の子はたいてい若い者に狙われた。夜業が終わると夜9時になる。そういうところを若い男が待ち受けていた。また男たちは若くして遊郭に通った。

あまりに早く性行為を知ったこの地帯の少年たちは、本能と理性の調和がとれなくて、みな苦しんだ。

未熟な者が早く大人の世界の、それも男女の性生活を知るということは、生命の強靭な者ならともかく、前途に何の明るさも持てない若者たちでは、みずからを処するすべを見失うことになって、そのあげく生命を絶つ者がこの野にはきわめて多かった。

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「星の王子さま The Little Prince」 サン=テグジュペリ 著

For Leon Werth, Chapter I I