今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

赤火岳・ぶどう岳・四方原山

2005年11月29日 | 山登りの記録 2005
平成17年11月25日(金)

 昨年、蟻ヶ峰という山を知った。もとはといえば、平成15年秋に奥秩父の小川山に登った時に、中腹の弘法岩付近から見た上信国境稜線に台形の見事な山容の山を見たことがきっかけだった。その山の名前を知ったのは、去年五郎山と長峰に登った後だ。五郎山から見たこの台形の山に、ますます惹かれる物があった。この方面にあって、遠くから目立つこの山が、一般には全く知られていないのはどういうことなのか?登ることが出来るのだろうか。いろいろ調べて、それが蟻ヶ峰(別名高天原山・ショナミの頭・神立山といくつもの名前を持つ)という山で、登山対象として忘れ去られている山域の山の一つであることが分かった。去年の今頃のことだ。
 
 そして、蟻ヶ峰を登頂しようと考え、その計画を練っているうちに、蟻ヶ峰の更に北に大蛇倉山という名前も山容も見事な山を見つけ、この2山の同時登頂を目指した。結果的には、意外に簡単に2山とも登ることが出来たのだった。蟻ヶ峰は思い込んだ程の山では無かったが、大蛇倉山は本当に素晴らしい山だった。蟻ヶ峰と大蛇倉山の後、これらの山の更に北、御座山の向かいの上信国境には赤火岳という峻峰があることも知った。大蛇倉山の山頂からも、赤火岳は鋭角の山頂をその上信国境稜線上にそびえ立てているのを見ると、いつかこの山の頂に立ちたいと思うようになったのだ。

 昨年暮れに御座山に登った際、向かいの稜線に至近距離で赤火岳を見て、この山の写真を撮った。詳細に研究すると、頂上部には黒木があるが、大蛇倉や蟻ヶ峰と同じで、長野県側はダケカンバが点在するものの、基本的には落葉松の植林帯らしかった。この山と御座山との間には、林道が奥まで伸びていて御座山と稜線続きの弥次の平(別名・会社平)まで登っている。アプローチにそれを利用できそうだ。撮影した西面からだと、山頂の南側の沢が比較的緩く穏やかな雰囲気で、さきほどの林道がその出合付近のかなり上部をかすめていることが、25,000図で見て取れた。果たしてこの林道が実際にどういう状況であるかは分からないが、充分利用できそうだ。また、林道の入り口付近には北相木村の「長者の森」という野外施設があって、少なくともこの辺りからしばらく先までは車で入れそうだった。
残念ながら去年はこの山に登る機会を持てずに終わった。

 昨年蟻ヶ峰や大蛇倉に登ろうと思ったときには、ネットでもほとんど資料が無く、現地の情報は白紙状態だった。全く手探りでの山登りだったわけだ。その後、上野信弥著「関東ぐるっと一周…」という本にこれらの山の少ない情報を見いだした。また、今年になって上毛新聞社から上梓された横田昭二著「わたしが登ったぐんま300山」には蟻ヶ峰(高天原山)と大蛇倉山のガイドが載っていた。とはいえ、やはりこの山域の情報は少なく、赤火岳に関しては、上野氏のものが1987年と古い記録であり、また上野氏は御座山から縦走してこの山を越えているから、単独でこの山を登ろうとしたルートの情報は結局今だに皆無なのだった。
藪が比較的少ない山域とはいえ、やはり登るのに適した時期は、草が枯れ、葉が落ちた晩秋と思われた。11月の終わりか、12月初めがベストだろう。

 11月は、この秋が天候不順で山に登れないことが多かったこともあり、「山登り固め打ち」?のごとく、連続して山に登った。さて、時期も巡っていよいよ念願の赤火岳決行となったのだった。全く道のない薮山だから、実際のところどのくらい時間が掛かるかは登ってみなければ分からない。去年の蟻ヶ峰・大蛇倉は思いの外条件が良くて、蟻ヶ峰を越えて大蛇倉まで、登りはじめてから3時間で到達してしまったが、赤火岳はアプローチが短いといっても短時間で登れるという保証も何もない。とはいえ、多分赤火岳だけで一日つぶれるとも思えないから、この近くでまだ登っていない、ぶどう岳と四方原山も予定に入れておいた。ぶどう岳はぶどう峠から1時間以内、四方原山も登山口から1時間少しで登れる山だ。特に四方原山は多くの山岳紀行に登場していて、一度は登っておきたい山。あの川崎さんの「雪山・薮山」にも登場している一等三角点の山なのだった。佐久では御座山・茂来山に次いで有名な山と言って良いだろう。

 一応今回は県境沿いの山であり、朝出ても充分登れる山だが、早起きして家を出発するのが厭なので、前夜10時に家を出た。12時半に北相木村の「長者の森」の駐車場に着いた。この施設は基本的にはキャンプ場だが、10月一杯で年内は閉鎖されている。
 ここに来る途中のぶどう峠で、カモシカの若獣に出くわした。シカは珍しくもないが、カモシカは近頃昔ほど見なくなった。車のライトに目がくらんだのか、逃げようともしないで、車の前や横をうろうろ歩いていた(どこか悪いのだろうか?と思うくらい)。それにしても、ぶどう峠を夜間走行すると、間違いなく野生動物に出くわすのだった。多くはシカで、これはもう増えすぎていて珍しくもない。どこもかしこもシカだらけだ。今回も帰りはシカに2回も出くわした。最初はメス2頭・オス1頭の3頭がガードレールを乗り越えて、車の前を横切った。次は道路の真ん中に立っていたメスが突然こちらに向かってきて、危うくぶつかりそうになり、最後はあわててガードレールを乗り越え闇に消えていった。全く気が抜けない峠越えなのだった。それだけ交通量が少ないと言うことだろう。
 オートキャンプ場の駐車場にちゃっかり車を停めて、シュラフにくるまった。今回は道のない薮山だから、行動は完全に明るくなってからで、6時半起床の7時出発とした。

 アラームが鳴る前に目が覚めた。携帯で時間を確認すると、あと5分でアラームが鳴る時間だったからもう起きても良い。山の中でパーンという鉄砲の音が聞こえた。猟期に入っているので、今日のような薮山に登るときは注意していないと撃たれてしまう危険もある。目立つ服装で登らなくてはならない。赤い横縞のラグジャーと赤いザックだから大丈夫かな?銃猟についてとやかく言う気はない。それも趣味の世界だし、きちんと法を順守しているハンターにやましい所もないのだろう。ただ、生命を純然たる遊びでおもちゃにするという行為には個人的には賛成しない。少なくともルールやマナーは守って貰いたいものだ。ぼくは同じ理由で釣りも余り好きではない。
 冷たいおむすびを食べて、支度をして、取りあえず林道を行けるところまで行ってみることにした。一度外に出ると、快晴で気持ちの良い一日になりそうだった。長野県側の山には少し黒っぽい雲も見えたが、天気が悪くなる様子はない。車は霜で真っ白、フリーザーにでも入れたような有様だから、今朝は相当冷え込んだのだろう。
 「長者の森」から500㍍程で舗装は終わり、ラフロードになった。舗装が終わる所に堰堤があって、道は相木川の左岸に移る。舗装路が終わる辺りに車が一台停まり、ハンターが支度をしていた。ラフロードは更に1㌔程続いて遮断機があり、車で入れるのはそこまでだった。車を遮断機の少し手前の待避帯に停めて歩き出した6:52。

 空気は刺すほどに冷たいが、風もなく、歩いているうちに身体は寒くなくなった。一応25,000図で確認しながら歩いている。落葉松の植林やダケカンバが混じる山の斜面は、すっかり葉が落ちて冬の装いだ。日陰には先日の寒波で降った雪がうっすらと残っていて、今朝の寒さに、枯れ草は霜で真っ白だ。木の下は笹が意外に密藪を作っているので、取り付く山の状態も案じられた。
 しばらくは普通の車も通れるような林道だった。右手に今歩いているよりも新しい林道が別れ、御座山方面に上っていたがそのまま真っ直ぐの道を行く。相木川よりもかなり高い所を行くようになり、左手に高く赤火岳とおぼしき山が見え始めた。山の斜面はかなりの急傾斜で、予想に反して落葉松よりもダケカンバや黒木が多そうだ。進むにつれて路面は荒れてきた。のり面が崩落して道の半分ほどを崩れた岩が埋めていたり、ガードレールが地滑りでゆがんでいたりした。状況からして、もうこの林道は既に廃道になっているらしかった。
 歩き出してから30分程すると、右手に御座山に続く尾根の一部と、稜線を横切る高圧鉄塔が見えた。この高圧線は群馬県から県境を越え、御座山の肩をかすめて南相木方面に繋がっている。はじめて御座山に登った頃には無かった、山の景観を台無しにする物体だった。今、遠くから御座山を見るときには、この山を越えている高圧線がどうしたって景観の目障りになるのだ。遠くから御座山を識別するのには役立つ?だろうけど…。ここに限らず、ここ20年くらいの間に、あちこちの山の中に随分高圧鉄塔が増えたように思う。これも必要以上に電気を消費するという、現代人の生活の反映なのだろうか。

 道はむしろ赤火岳から遠ざかって西に向かっている。地図で確認するが、このまま一旦進んで、この先でまた赤火岳に近づくようだった。しばらく行くとまた道は二分したが、左の道は相木川の右岸をからめて下っていくようなので、ここは直進した。直進した道は少しずつまた赤火岳に近づいてきた。この先で三たび道は二分した。直進は行く手に高く見える会社平(弥次の平)に向かって登っているから、左に回り込む道を進んだ。地図にはこの辺りに実線と破線の2つの道が記入されている。今までの様子では、地図に記載されている道は必ずしも実態とは一致しない様だから、山の様子で判断したわけだ。しかし、左の道は少し行くと方角が随分違って赤火岳の北側に向かうようになってきた。道の感じも大分荒れている。また、先ほどの地点まで引き返し、直進する林道を進んだ。この林道も道の真ん中に立ち枯れた草が多く、とっくに使われていないようだ。路面も大分崩壊が進んでいる。更に進むと、ここでまた道が分かれている。直進はいよいよ会社平方面に上る道だから、左の道を行く。もう直ぐそこに赤火岳が大きく、最初に予定していた取り付き地点は近そうだった。左手に大きくカーブして尾根を回り込む道は、真ん中がえぐれていて、歩いていくことさえ支障がありそうな、完全に崩壊した林道だった。カーブミラーがある先で、広場状の場所に出た。向かいの斜面は伐採された後で笹原になっていた。左側が赤火岳の斜面だった。多分ここが計画の時に「取り付き」と決めた地点だろうと見当を付け、右手に緩く登っている沢に入る7:49。

 沢と言っても水はなく、伐採された跡地のような荒れた岩ごろの斜面で、何となく踏み跡があった。細いダケカンバや落葉松が所々に生えている斜面を登っていく。念のため、登り口のダケカンバに赤テープを付けた。直ぐに沢は二分する、ここにもテープを付けた。真ん中に特徴のある大きな岩頭がある。左の沢は赤火岳の頂上に向かって登っている、これは多分去年御座山に登る稜線から見た、頂上に直接突き上げている沢で、これを辿ると上部はかなり急峻で黒木に突き当たってしまうから困難だと思った沢だ。迷わず右の沢を進む。少し登ると左手に湾曲して、思った通り赤火岳と南の小さなコブの間に突き上げている様だった。さっき別れた沢との間は、シャクナゲなどが生えた岩稜で分けられている。この辺り、踏み跡と思ったのは全てシカ道のようだった。あちこちにシカの糞が山になっていた。今までの所、ビニテや赤テープ等の人が付けたものは一切無かった。
 見上げる稜線はしかし、意外に近そうだ。しばらくはこのまま岩ごろのダケカンバの幼樹が生えた斜面が続く様だが、上部で笹の緑が一面に広がっているのが懸念材料だ。それ程の急登もなく、間もなく笹の斜面に移る近くまで来た。振り返ると御座山がもう頂上部まで見えていた。左手はシャクナゲの密藪がある岩稜だから、この先がもし猛烈な笹薮でも逃げられない。笹に近づくにつれ、今までと違ってダケカンバの幼樹は、それ自体が密藪の様になってきた。周囲はよく見えなくなったが、幸いなことに人一人入り込めるような隙間が笹の所まで一直線で続いていた。それはまるで道のようだったが、もちろん偶然のもので道ではない。

 笹の海に到着した8:14。そこはもう稜線までほんの一息の所らしく、上の樹林を透かして青空が見えていた。笹は確かに身の丈をはるかに越えるほど深かったが、幸いここに来てシカ道が幾つもあった。笹の海入り口の倒木に赤テープを付けた。シカだっていつも決まった道を通るのだろう、その方が歩きやすいに違いないのだから。しかし、人と違って、あちこち少しずつ寄り道をしているような踏み跡だが、確実に稜線に向かっていた。このシカ道が無かったら、身の丈を遙かに超える笹の海としばらく格闘しなければならなかったろう。
 コメツガにイヌブナとダケカンバが混じる稜線にあっけなく到着した8:21。下降地点を間違えないように、倒木に赤テープを付けた。しかし、この先のコブが頂上と思ったのは間違いで、頂上は樹林に覆われた小さなコブを越えた先、一旦少し下ってから一気に急登したピークのようだった。県境の稜線は笹藪がひどく、シカ道があるにはあったが、今度は本当に薮漕ぎのエリアになった。赤テープなども蟻ヶ峰や大蛇倉あたりのうるさいほどあった所に比べて、稜線に出た地点から赤火岳頂上までの間に2つしか確認できなかった。その赤テープ自体もかなり古くて目立たなかった。この山は本当に人が入らない山なのだ。正真正銘の秘峰だろう。樹林のコブから一旦笹の深い鞍部に下ると、薮越しに群馬県側が透かして見えた。
 ウソの群れがやってきて、ひとしきりフィーフイーと笛を吹いていった。なんて静かなのだろう…鳥たちが去ってしまうと風の音もしない。がさごそ、笹をかき分けてシカ道を進む。この時点では、まだ行く手に薮越しに高く見えるピークが赤火岳に間違いないか確信が持てなかった。地図を何度も見て、地形からあれが赤火岳に違いないよなあ、とは思っていたが。その先で、薮の群馬側が少し切れて、向かうピークの東面が見えた。東面は特徴のある岩稜が長く下に下っていた。これで、この山が間違いなく赤火岳だと確認できたのだった。25,000図を見ると、赤火岳の東側には長く岩記号が記載されていたからだ(去年大蛇倉山から撮った写真にも、赤火岳の東面岩稜が写っていた)。身の丈を遙かに超える笹藪の中で、思わずにっこりするのだった。いよいよ、この登りを詰めれば待望の赤火岳山頂だ。

 赤火岳の最後の登りは急峻だ。鞍部を過ぎると笹藪は大分薄くなったが、今度は次から次から倒木を乗り越えていかなければならなくなった。根こそぎ倒れたて、といった感じの倒木が進路の邪魔をした。折角のシカ道も、倒木でとぎれると、また捜すのに苦労をした。特に稜線の群馬側の薮は強烈だった。笹は全て群馬側に倒れていて絡みつき、いくら手でかき分けても引き倒される程の密薮だ。どうにかここを切り抜け、長野県側のいくらか薮の薄い斜面に逃げる。露岩にシャクナゲやコメツガの根が絡みついた西側斜面に回り込んで、そのまま頂上めがけてよじ登った。樹木を透かして南に高く、特徴のあるカナトコ型の大蛇倉山がシルエットになって見えた。ああ、懐かしいなあ…。それにしても風格のある山容だ。
 最後は、苔むした斜面の木の根をたよりに、ツツジ等の薮がそこだけ無い畳三畳ほどのぽこっと盛り上がった空間に飛び出した。ビロードの様な苔のカーペットの真ん中に三等三角点がぽつんとあるだけの、そこが1,821㍍の赤火岳の山頂だった9:01。
 ついにここに来たかという喜びはあったが、予想に反して御座山方面がかろうじて木の間から見えているだけで、周囲はぐるっと樹林に囲まれて展望は乏しかった。ふーっとため息が出たが、登ってみれば2時間で到着した訳で、予定通りというところだろうか?何よりも残念なのは、上野氏の著作に出ていた「赤火岳山頂での記念写真」で見た様な、展望の良い山頂では無かったことだった。20年近くが経過し、ここは樹木が伸びてしまったのだろう。山頂の名板は無く、東側のダケカンバの木に錆びて判読不明なブリキの小さいプレートが一つあるきりだった。これはその形から、昔薮山に行くとどこにでもあったあのM大ワンゲルの青プレートらしかった。錆びて原型は留めていなかったけれど…20年以上は経っているだろう。
 一年暖めていた(別に、そんなにこの山ばかりにこだわってはいなかったけれど…)山の山頂にしては少し物足りないものがあった。今は周囲の灌木が葉を落としてやや明るいものの、葉が茂る季節は日も差さない薄暗い山頂であるのだろう。こんなにぽこっと出べそのように盛り上がった山頂というのも余り知らない。びっしりと生えた苔のカーペットの真ん中に、ぽちっと出っ張った三角点の頭が赤ペンキで塗られていたから、なおさら出べそのようだった。御座山と北八ツ方面の所だけ、窓のように木が無くて展望があった。朝出るときにおむすびを一つ食べたきりだったので、チーズ蒸しパンとチョコレート・揚げおかきを食べて水を飲んだ。
 ああ、この山頂には一年間にどのくらいの人が立つのかなあ…赤火岳という名前自体あまり知られていないし、余程の物好きか仕事でこの山を登る必要がある数人が立つだけだろうな。ぼくもそうだけど、名前の無い山に登ろうとは、普通余り考えない。名前と一概に言うけれど、名前はとても大事なものだ、他のものと区別する重要な分類の手段なのだから。名前のない山に登ろうとする人は普通いないのだ(登るために、わざわざ名前を勝手に付けたりしてから登った昔の人たちを見ても分かるだろう)。赤火岳や蟻ヶ峰や大蛇倉山が、地図にその名の記載されていない山だから、名前を知らないから、誰も登らないのだろうと思うのだ。そして、どっちにしても、人知れずひっそりと眠る藪山のままで良いような気がするのだった。
 何もない、ほとんど展望もない山頂だから、そう何時までいても仕方がなかった。下りは忠実に引き返した。でも鞍部の倒木のところでシカ道をはずれて、がんじがらめの笹としばらく戦ったのだが。ほんの数㍍先の所に進むのに、10分以上費やした(だからシカ道だって、あればありがたい)。小ピークを越えて、自分が付けたテープがあるから、問題なく下降点も分かった。行きに付けた4カ所のテープも全て回収できた。
 林道に降りると登れた満足感で一杯だった。車に引き返し、次のぶどう岳に向かった。

 ぶどう峠まで一旦上ってから、さてどこから登ろうか地図と照らし合わせた。ぶどう岳は直ぐ上の山で、最短で直登すれば500㍍も無さそうだった。峠付近は切り通しで登り口が無く、相木側に少し戻って最初のカーブの防護フェンス際を直登することにし、道路脇のスペースに車を停めた。11:50斜面に取り付くが、登ってみると、もの凄い急登だった。転んだら、下まで転がり落ちていきそうだ。下草はほとんど無い落葉松の植林帯だが、所々に笹が固まって薮を作っている。最短距離で稜線を目指し、一汗かいて県境稜線に辿り着いた。県境稜線には薄い踏み跡があった。
 ぶどう峠からだと、3つ目のコブがぶどう岳の山頂だ。辿り着いた所は峠から一つ目のコブと二つ目のコブの間だった。ここから斜めに踏み跡を登って頂上手前の岩頭のあるピーク(二つ目のコブ)に立った。このピークは見晴らしが良く、赤火岳山頂で展望が無かったのを帳消しにしてくれた。群馬県側が開けて西上州から両神山方面まで、上信国境から奥秩父まで、そして直ぐそこの御座山から四方原山方面まで、ほぼ360度の大展望だった。ぶどう岳山頂に向かうと一旦踏み跡は長野県側の落葉松林側を巻いて直ぐに着いた12:21。ここは群馬県側がダケカンバやミズナラ・リョウブ等の雑木類、長野県側は落葉松の植林にぐるりと囲まれていたから、葉が落ちてしまった今でも展望は良くなかった。ひとしきり山頂の写真を撮って、展望のある岩峰に戻った。ここで四周の展望をゆっくりと楽しみ、パンやおかしを食べ、誰もいない静かで穏やかな晴天の下でくつろいだ。
 13:08見晴らしのいい岩頭を後に下り、13:20車の所まで戻ってきた。

 さて、時間はまだ充分あるから、予定通り四方原山に向かう。白岩集落まで下って、御座山と四方原山の標識がある所から林道に入り、登山口がやや判りづらかったが、沢コースの入り口に着いた。四方原山はここからトワタリ沢沿いに詰めて山頂に達する道と、この先の東山林道の終点まで上って、そこから入る道があるようだ。林道を最後まで上った所からだと、10分で稜線に達して山頂には直ぐ着いてしまうようだ。これでは面白くないから、トワタリ沢を詰めて登ることにした。

 13:50トワタリ沢沿いの道に入る。沢は水量も少なく、優しい穏やかな流れで気持ちがいい。沢の水をペットボトルに満たし、あまり人が歩かないのか、不明瞭な道を辿っていった。赤いビニテがあるから迷いはしないが、薮っぽい道は登るにつれて怪しげになってくる。沢の両側は落葉松の植林が広がる斜面で、下草は笹が茂っている。開けた斜面から上流になると、薄暗い少し陰鬱な雰囲気の荒れた沢になる。水流がなくなり、狭い溝の様な登りになると、間伐された落葉松が道の上に横倒しになったままの、とても登山道とは呼べないような踏み跡になった。そのままやがて落葉松林の枯れ草の急斜面で終わり、後はその急斜面を登って頂上に繋がる分岐に着いた。ここには白岩と四方原山を指す標識があった。
 稜線は平坦な落葉松林で、ミズナラや白樺が所々にあった。もうこの時季は、午後この時間になると、影が長く伸びて夕方のような雰囲気だった。人気のない平らな林はひどく寂しげな印象を与えた。樹林越しに午後の陽で逆光に浮かび上がった御座山が大きい、登ってきた赤火岳や遠くに大蛇倉山、先ほど登ったばかりの枯れ色のぶどう岳が見えた。尾根つながりの栂峠から新三郎の岩峰が近かった。直ぐ下の方の林道から、チェーンソウの音がかすかに響いている。
 標識に導かれるまま、平坦な稜線をしばらく歩いて、14:47に背の高い落葉松に囲まれたカヤトの原の様な四方原山の山頂に着いた。大きなお触れ書きの様な山名看板と、隷書体で書かれた看板等を背に、一等三角点標石がどんと中央にあった。晩秋の青空にちぎれ雲を飛ばせた背景を前に、やや朱が差してきた陽に照らされた落葉松の残り葉がしみじみと美しかった。なぜか若山牧水の様な気分に浸る旅情を誘う光景なのだった。
 15:05四方原山頂を後にした。ますますシルエットになった御座山は向かいに高く、北の方には落葉松林を透かして茂来山への山並みが穏やかだった。たんたんと来た道を引き返し、下降点からは薄暗くなってきた沢を下って15:50登山口に戻ってきた。

 今日は念願の赤火岳に登り、その上ぶどう岳と長く気になっていた四方原山にも登ることができた。体力的には余裕で、疲れない山歩きだったが晩秋の渋い山々を満喫できた満足感は大きかった。
 帰りは南相木村の「滝見の湯」に寄って帰路についた。滝見の湯はいつ来ても人も少なく、広くてきれいだからとても気に入っている。その上ここの露天風呂から見上げる峰雄山はダイナミックな岩山で何とも良いロケーションだ。残念なことは、初めて来たときには囲いがもっと低くて、直ぐ下の「犬ころの滝」がよく見えたのに…。滝の見えない湯になったことだろうか。あの峰雄山にもいつか登りたいと、露天風呂から見上げて思うのだった。

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4 コメント

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ぶどう峠から赤火岳 (津久井 照夫)
2008-10-25 20:21:48
赤火岳と聞いて読まさせていただきました。自分は群馬県境を単独で歩いています。
西上州の山でもこの周辺の山々は登山の対象外らしく
上野信弥さんの本が唯一でした。氏には上野村の天丸山近くの大山の山頂で行き会った事が有りました。
この周辺で残っているルートが赤火岳から三国山までなので何とか歩きたいと思っています。
赤火岳は2003年4月29日にぶどう峠から赤火岳を20分下った所までピストンしました。
熊棚が一面にある斜面や背丈ほどの熊笹を中を抜けると岩の尾根、苔むした尾根を登って赤火岳でした。
大蛇倉へルートを長野県側から登りたいと思っていますが、今年中に行こうか思案中です。
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大分人が入るようになりました (あさぎまだら)
2008-10-25 23:10:41
はじめまして。群馬の方ですね。
ぼくが赤火岳や大蛇倉山・蟻ヶ峰に登った頃はまだ静かだったこの付近も、最近はツアーで登る団体もいるようです。
「新ハイキング」の投稿記事や、横田氏の「わたしが登った群馬300山」で紹介されたことで、登ろうとする人が増えたようです。

長野県側から大蛇倉山は、南相木ダムからか、ぼくが辿った三国峠から蟻ヶ峰経由が考えられますね。
赤火岳周辺と違って、大蛇倉以西は薮も少なく歩きやすい稜線です。南相木ダム側からは「群馬山岳移動通信」の重鎮さんがHPに載せておられます。
いずれにしても、赤火岳よりはメジャーで登りやすいようです。大蛇倉は素晴らしい展望があっていい山ですね。遠目にも特徴あるカナトコ型の姿形をしていて名山だと思います。
登ったら、ぜひまたおいで下さい。感想をお聞きしたいです。
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自宅から群馬県境一筆書 (津久井 照夫)
2012-05-01 21:22:25
4月28日から29日に所属している新ハイキングの例会山行で御座山・弥次ノ平・長者の森泊、ぶどう峠から赤火岳・弥次ノ平・石仏・茶屋ノ平の山行に参加しました。単独行では車の回収等で大変なので他力本願は好きでは無いのですが・・・。平成15年4月29日にぶどう峠から赤火岳まで登ったときは熊棚が一杯有りましたが、今回は殆ど見られませんでした。笹藪も何となく元気が有りませんでした?
今回の山行で自宅からの踏跡が不完全ながら県境一周一筆書が出来ました。(尾瀬笠ケ岳~宝川温泉~谷川JPへ繋いだ。尾瀬から平ケ岳方面は自分の技量では無理で諦めました。ピークだけなら平ケ岳、大水上山、丹後山、巻機山などは登っていますが)
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県境一周おめでとうございます (あさぎまだら)
2012-05-02 00:52:12
津久井さんご無沙汰です。
県境一周されたということ、おめでとうございます。凄いですねえ!
尾瀬から平が岳までなら、残雪期なら途中1泊、往復で2泊あれば狙えるのでは?と思います。
以外に高低差もないので、技術的には天候さえ恵まれれば困難ではないと思います。
赤火岳周辺も最近は随分人が入っているようですね。笹藪も鹿に喰われて勢いがなくなっている所が多いですね。それだけ鹿が増えたということで、あまりほめられた事では無い様にも思います。
人が入らない手付かずの山が少なくなっていくのは複雑な気持ちもします。ぼく的には、人が登らない山に入り込んでいく、あのわくわくするような気分が好きなのです。藪山派も少数ながら増えてきたように感じている今日この頃です。
またご来訪下さい。
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