平成24年2月5日(日)
尾出山933.0m、山田山825m、大久保の頭750m、高原山754.0m
相変わらずの寒波続きで、山はどこもかしこも雪が見えないところは無い。先週の父不見山でさえ、この方面の山とは思えないほどの積雪があり、登れる山も随分限られてしまった。のんびりと陽だまりハイク、と行きたいところだが、雪の少ない低山で、今まであまり登っていなかった安蘇山塊の栃木県側の山を今回は登ろうと考えた。正直な話、この方面は直線距離では家から近いのだが、登山口へは大きく迂回しなければ行けないところから、足が遠のいていた。1,000mに満たない山に登るのにそこまでしても…まあ、高い山が登れなくなった時用(歳をとってから)に取ってあるとも言える。
地図やネットの情報で見ると、石裂山とか尾出山とかなら、そこそこ岩場なんかもあって楽しめそうだ。ということで、そんな山の中では一番気になっていた尾出山に向かうことにした。熊鷹山から直線距離では5km程しかないが、登山口までは60km以上ある。土曜の夜に鹿沼市(旧粟野町)の登山口である永野地区へ向かう。ここは蕎麦で有名な所だ。
奥の深い永野川沿いの永野地区を最奥の川久保集落に向かう。寺沢林道入口の寺沢橋に夜11時に到着。橋の脇に5,6台は停められる駐車スペースがある。この辺りは集落になっているので、橋の向こうにも直ぐ先にも民家が何軒かあった。尾出山はこの寺沢林道を奥に入り、終点の二股から登るのだが、ここから林道を車で中間地点の高原山登り口までは入れるらしい。しかし、雪もありそうなラフロードを無理して入るのは遠慮して、今回はこの寺沢橋の駐車スペースから登る事にして、早速シュラフに潜る、こうこうとした月の明かりが車内を明るくしている。標高が低いこともあり、冬用のシュラフで快適に眠れそうだ。アラームは6時半にセットした。
6時半に目が覚める。寒いので少しぐずぐずしてからシュラフから出る。今日は昼頃から曇ってくるということだが、今は晴れているようだ。駐車スペースの向かいは一段高い畑になっていて、うっすらと雪が積もっている。ここは深い谷間なので朝は底冷えがするのか、車の窓は霜で真っ白だった。支度をして、カロリーメイトを食べ7時14分に出発。今日は低山ということもあって、年季ものの青い冬用ヤッケ(さかいやオリジナルのエントラント製というレトロなものだが、デザインが昔っぽくて気に入っている30年前のもの!)を着ていく。大事に着てきた?ので少しも古そうではないのだが…。
寺沢橋を渡って左右に民家を過ぎ、くの字に永野川沿いを折れて未舗装の林道を奥へと歩いていく。この林道は、雪も無く思った程路面の状態は悪くないので、普通の車でも途中までなら充分入れるだろう。しかし、林道周辺の杉の植林が恐ろしく傾斜のきつい所までも関心するくらい良く手入れされているのを見ると、林業関係者が車道脇スペースも非常に少ないこの林道を、作業のために頻繁に利用している事の証しである訳で、仕事の邪魔をしないという配慮から、奥への車の乗り入れは遠慮した方が良いように思った。
林道は高原山への分岐(帰りはここに降りる予定)を過ぎると、ますます両側の山稜斜面は急になり深い谷底になってくる。藪の無い斜面は急峻で露岩が目立ち、向かう尾出山は岩の多い山という雰囲気の序奏の様だ。路面は大分荒れてきて、普通の車はもう無理なラフロード状態となり、林道には雪が残っている。8時15分に東尾根コースと沢コースの分岐に着く。雪のあるこの時期は岩稜コースより、古くからの沢コースの方が良いだろうと?沢コースに入る。しかし、沢は完全に水流が凍結して白い氷の流れになって固まっていた。
この沢コースを2月に登ったテントミータカさんがびびったという高巻きは、どんなとこかいな、と沢の左岸を登っていく。幾らも登らないうちに、脛まで埋まる落ち葉の急な斜面になる。凍った沢の流れがどんどん下になって見え、もう20m下に白く凍った滝を見下ろすようなると、そのトラバースが始まる。ルートは落葉に埋まっている。所々には雪がある。ほぼ水平にトラバースを始めると、直ぐにやや沢側にせりだす様な感じになった。傾斜が一気に急になって斜度は30度くらいで、下はスパッと切れ、せりだした斜面の上は急な岩屑斜面。行く手には手がかりもほとんど無く、ロープも無い。足元は落葉に埋まって見えない。下を見下ろすと遥か下に鈍く凍った滝が光って足元はスパッと切れている。これか…。先に進んでいくが、どうにも足場は確保できないし、手がかりも無いので進むのを躊躇してしまう。落ちれば…いや、これを落ちたらオシマイになりそうだ。でも、ここまで来たら引き返すのも難しい。
見ると、3m先に頼りないトラロープが渡してある。そこまでの間は足場も悪く、手がかりも、ちょっと出た岩角か、折れそうな細い木があるばかり。怖い。これは本当にびびる。落葉を足でどけながら足場を確保しようとしたら、その下には雪が凍っていた。ヤバイ。今いるここが一番高い感じで、足がかり手がかりも非常に厳しい。お念仏でも唱えたくなる。ゆっくりゆっくりと、この綱渡りみたいな3m程は近頃に無く緊張した。古びたトラロープに届いてからも、まだ20mくらいは同じ様なトラバースが続いた。これを通り過ぎたらどっと疲れを感じた。恐怖のトラバースを過ぎると、間もなく沢筋を離れ杉の植林された平凡な斜面になって9時8分に尾出峠(嶽ノ越)に着いた。
尾出峠は薄暗い杉林の鞍部で、尾出山へはナラや栗の木が生えるこの周辺の山では典型的な雑木林だ。反対側の高原山方面も、直ぐ先から同じ様な雑木の斜面が広がっている。狩猟鳥獣捕獲禁止区域(シカを除く)と書かれた赤い看板が立っている。『尾出山ニ至』と書かれた小さな板がその下に付けられているが、なんとなくカタカナで書かれているとレトロな感じ、相当年配の人が付けたものだろう。尾出山へは、しばらくは広めの尾根だったが、次第に急になると岩も混じるヤセ尾根になる。突き立った様に尾出山が行く手に見えていたが、ますます急になってくると見えなくなった。北西方面に木々越しの眺めが開け、丸岩岳から氷室山に繋がるなだらかな稜線の向こうに真っ白な日光白根や錫ヶ岳、太平山や黒檜岳などが見えている。
岩に木の根が絡まる尾出山上部の登りは、雪もあり、北側に巻く部分が凍結していやらしい。上りはそんなに気にならなかったが、下りは一層いやらしいところで、結構神経を使った。滑ったら、一気に下まで真っ逆さまだろう。岩を巻いたりする痩せた尾根も最後は平凡な雑木の小山に登り着き、傾斜が緩むと、木々で眺めも無い山頂だった。山頂は15㎝ほどの積雪があるが、石祠と『勝道上人修行第二宿堂』の文字が刻まれた高さ50cm程の石碑の前は雪が融けて土が露出していた。直ぐ先に二等三角点がぽつんとあった。尾出山山頂に9時43分に着いた。寺沢橋から2時間半も掛かったのだが、林道が1時間ちょっとで、林道登山口から1時間半というところ…沢の高巻きや、雪が凍った岩稜状の登りで慎重になった分時間が掛かった。
『栃木100名山61座 尾出山』の標識と、栃木の山紀行さんの名板、それに焼杉板に尾出山と彫られた山名板が、それぞれに離れて木の枝に付けられていた。色んなものがあって結構賑やかな山頂だった。少し先まで行ってみたが、樹林の中で残念ながら眺めはどこからも良くない。石祠の前の雪が無い所でしばし休憩して、オムやきそばパンを食べる。静かで誰も居ない。ぼく的には大変好ましい雰囲気。遠くの方で時折鉄砲の音が聞こえるのを除けば…。
小さな石祠を覗くと、中に小さなお不動さん?がいた。10時20分に山頂を後に下る。下りの岩稜帯は、実に気の抜けないトコロだった。なので意外に時間もかかり、11時1分に尾出峠に降りる。尾出峠(嶽ノ越)からは、もう全く気を遣うようなところも無い。いわゆる安蘇山塊特有の雰囲気の良い雑木林の稜線で、少し急な上りを登り上げると、直ぐに山田山と書かれたM大の青プレートがある小山に登り着く。ここも樹林で眺めは良くないが、木々越しで北東に永野川左岸の谷倉山が形良く、その向こうにギザギザの石裂山が見える。緩く下って、少し登ると大久保の頭。ここは平坦で雪原にナラが茂り、西に丸岩岳が近い。大久保の頭から急な下りを一旦下って、先にこんもりと盛り上がった高原山を今度は登り返す。
今日は気温もやや高めなのか、最近どこの山でも一日中寒い思いをしたが、汗をかくようになって、ヤッケを脱いだ。12時10分に高原山山頂に着く。ここも木々に囲まれ大した眺めは無いが、ちょっと東に降りるとそこから辿ってきた緩い稜線の向こうに尾出山が見えた。高原山山頂にも栃木の山紀行さんと焼杉板の山名板があり。屋根が消失している石祠が一つと、半分埋まった三等三角点があった。ここで湯を沸かし、カップ蕎麦を食べてのんびり休んだ。
12時55分に高原山を下り、直ぐに送電鉄塔が建つ小鞍部に降りる。石裂山が、ここからはカニのハサミの様な格好で見えていた。『新栃木線185号に至る』と書かれた黄色い東電の標柱から送電巡視路を下る。ジグザグにひと下りすると、また鉄塔に出て沢状の窪を巡視路で降り、作業道に降り立った。少し下ると寺沢林道に合流する。きれいに手入れされた杉の植林を感心しながら林道を引き返し、2時10分に寺沢橋に戻ってきた。登り出してから一日中誰にも会わなかった。この林道入口周辺には人家も疎らにあるが、人にも会わなかった。静かな一日だった。
帰りは『前日光つつじの湯』に寄って行こうと思っていたが、冬季休業中で入れず。鹿沼と宇都宮の間辺りにある『ホテルニューサンピア栃木・鹿沼温泉華ゆらり』という日帰り温泉まで大回りして入浴した。日曜で人も多かったが、塩素臭も無くなかなか良い温泉だった。良く温まって帰路に着いた。
静かな山を満喫したが、それにしても、高巻きのトラバースは怖かった…ひえっ。
尾出山933.0m、山田山825m、大久保の頭750m、高原山754.0m
相変わらずの寒波続きで、山はどこもかしこも雪が見えないところは無い。先週の父不見山でさえ、この方面の山とは思えないほどの積雪があり、登れる山も随分限られてしまった。のんびりと陽だまりハイク、と行きたいところだが、雪の少ない低山で、今まであまり登っていなかった安蘇山塊の栃木県側の山を今回は登ろうと考えた。正直な話、この方面は直線距離では家から近いのだが、登山口へは大きく迂回しなければ行けないところから、足が遠のいていた。1,000mに満たない山に登るのにそこまでしても…まあ、高い山が登れなくなった時用(歳をとってから)に取ってあるとも言える。
地図やネットの情報で見ると、石裂山とか尾出山とかなら、そこそこ岩場なんかもあって楽しめそうだ。ということで、そんな山の中では一番気になっていた尾出山に向かうことにした。熊鷹山から直線距離では5km程しかないが、登山口までは60km以上ある。土曜の夜に鹿沼市(旧粟野町)の登山口である永野地区へ向かう。ここは蕎麦で有名な所だ。
奥の深い永野川沿いの永野地区を最奥の川久保集落に向かう。寺沢林道入口の寺沢橋に夜11時に到着。橋の脇に5,6台は停められる駐車スペースがある。この辺りは集落になっているので、橋の向こうにも直ぐ先にも民家が何軒かあった。尾出山はこの寺沢林道を奥に入り、終点の二股から登るのだが、ここから林道を車で中間地点の高原山登り口までは入れるらしい。しかし、雪もありそうなラフロードを無理して入るのは遠慮して、今回はこの寺沢橋の駐車スペースから登る事にして、早速シュラフに潜る、こうこうとした月の明かりが車内を明るくしている。標高が低いこともあり、冬用のシュラフで快適に眠れそうだ。アラームは6時半にセットした。
6時半に目が覚める。寒いので少しぐずぐずしてからシュラフから出る。今日は昼頃から曇ってくるということだが、今は晴れているようだ。駐車スペースの向かいは一段高い畑になっていて、うっすらと雪が積もっている。ここは深い谷間なので朝は底冷えがするのか、車の窓は霜で真っ白だった。支度をして、カロリーメイトを食べ7時14分に出発。今日は低山ということもあって、年季ものの青い冬用ヤッケ(さかいやオリジナルのエントラント製というレトロなものだが、デザインが昔っぽくて気に入っている30年前のもの!)を着ていく。大事に着てきた?ので少しも古そうではないのだが…。
寺沢橋を渡って左右に民家を過ぎ、くの字に永野川沿いを折れて未舗装の林道を奥へと歩いていく。この林道は、雪も無く思った程路面の状態は悪くないので、普通の車でも途中までなら充分入れるだろう。しかし、林道周辺の杉の植林が恐ろしく傾斜のきつい所までも関心するくらい良く手入れされているのを見ると、林業関係者が車道脇スペースも非常に少ないこの林道を、作業のために頻繁に利用している事の証しである訳で、仕事の邪魔をしないという配慮から、奥への車の乗り入れは遠慮した方が良いように思った。
林道は高原山への分岐(帰りはここに降りる予定)を過ぎると、ますます両側の山稜斜面は急になり深い谷底になってくる。藪の無い斜面は急峻で露岩が目立ち、向かう尾出山は岩の多い山という雰囲気の序奏の様だ。路面は大分荒れてきて、普通の車はもう無理なラフロード状態となり、林道には雪が残っている。8時15分に東尾根コースと沢コースの分岐に着く。雪のあるこの時期は岩稜コースより、古くからの沢コースの方が良いだろうと?沢コースに入る。しかし、沢は完全に水流が凍結して白い氷の流れになって固まっていた。
この沢コースを2月に登ったテントミータカさんがびびったという高巻きは、どんなとこかいな、と沢の左岸を登っていく。幾らも登らないうちに、脛まで埋まる落ち葉の急な斜面になる。凍った沢の流れがどんどん下になって見え、もう20m下に白く凍った滝を見下ろすようなると、そのトラバースが始まる。ルートは落葉に埋まっている。所々には雪がある。ほぼ水平にトラバースを始めると、直ぐにやや沢側にせりだす様な感じになった。傾斜が一気に急になって斜度は30度くらいで、下はスパッと切れ、せりだした斜面の上は急な岩屑斜面。行く手には手がかりもほとんど無く、ロープも無い。足元は落葉に埋まって見えない。下を見下ろすと遥か下に鈍く凍った滝が光って足元はスパッと切れている。これか…。先に進んでいくが、どうにも足場は確保できないし、手がかりも無いので進むのを躊躇してしまう。落ちれば…いや、これを落ちたらオシマイになりそうだ。でも、ここまで来たら引き返すのも難しい。
見ると、3m先に頼りないトラロープが渡してある。そこまでの間は足場も悪く、手がかりも、ちょっと出た岩角か、折れそうな細い木があるばかり。怖い。これは本当にびびる。落葉を足でどけながら足場を確保しようとしたら、その下には雪が凍っていた。ヤバイ。今いるここが一番高い感じで、足がかり手がかりも非常に厳しい。お念仏でも唱えたくなる。ゆっくりゆっくりと、この綱渡りみたいな3m程は近頃に無く緊張した。古びたトラロープに届いてからも、まだ20mくらいは同じ様なトラバースが続いた。これを通り過ぎたらどっと疲れを感じた。恐怖のトラバースを過ぎると、間もなく沢筋を離れ杉の植林された平凡な斜面になって9時8分に尾出峠(嶽ノ越)に着いた。
尾出峠は薄暗い杉林の鞍部で、尾出山へはナラや栗の木が生えるこの周辺の山では典型的な雑木林だ。反対側の高原山方面も、直ぐ先から同じ様な雑木の斜面が広がっている。狩猟鳥獣捕獲禁止区域(シカを除く)と書かれた赤い看板が立っている。『尾出山ニ至』と書かれた小さな板がその下に付けられているが、なんとなくカタカナで書かれているとレトロな感じ、相当年配の人が付けたものだろう。尾出山へは、しばらくは広めの尾根だったが、次第に急になると岩も混じるヤセ尾根になる。突き立った様に尾出山が行く手に見えていたが、ますます急になってくると見えなくなった。北西方面に木々越しの眺めが開け、丸岩岳から氷室山に繋がるなだらかな稜線の向こうに真っ白な日光白根や錫ヶ岳、太平山や黒檜岳などが見えている。
岩に木の根が絡まる尾出山上部の登りは、雪もあり、北側に巻く部分が凍結していやらしい。上りはそんなに気にならなかったが、下りは一層いやらしいところで、結構神経を使った。滑ったら、一気に下まで真っ逆さまだろう。岩を巻いたりする痩せた尾根も最後は平凡な雑木の小山に登り着き、傾斜が緩むと、木々で眺めも無い山頂だった。山頂は15㎝ほどの積雪があるが、石祠と『勝道上人修行第二宿堂』の文字が刻まれた高さ50cm程の石碑の前は雪が融けて土が露出していた。直ぐ先に二等三角点がぽつんとあった。尾出山山頂に9時43分に着いた。寺沢橋から2時間半も掛かったのだが、林道が1時間ちょっとで、林道登山口から1時間半というところ…沢の高巻きや、雪が凍った岩稜状の登りで慎重になった分時間が掛かった。
『栃木100名山61座 尾出山』の標識と、栃木の山紀行さんの名板、それに焼杉板に尾出山と彫られた山名板が、それぞれに離れて木の枝に付けられていた。色んなものがあって結構賑やかな山頂だった。少し先まで行ってみたが、樹林の中で残念ながら眺めはどこからも良くない。石祠の前の雪が無い所でしばし休憩して、オムやきそばパンを食べる。静かで誰も居ない。ぼく的には大変好ましい雰囲気。遠くの方で時折鉄砲の音が聞こえるのを除けば…。
小さな石祠を覗くと、中に小さなお不動さん?がいた。10時20分に山頂を後に下る。下りの岩稜帯は、実に気の抜けないトコロだった。なので意外に時間もかかり、11時1分に尾出峠に降りる。尾出峠(嶽ノ越)からは、もう全く気を遣うようなところも無い。いわゆる安蘇山塊特有の雰囲気の良い雑木林の稜線で、少し急な上りを登り上げると、直ぐに山田山と書かれたM大の青プレートがある小山に登り着く。ここも樹林で眺めは良くないが、木々越しで北東に永野川左岸の谷倉山が形良く、その向こうにギザギザの石裂山が見える。緩く下って、少し登ると大久保の頭。ここは平坦で雪原にナラが茂り、西に丸岩岳が近い。大久保の頭から急な下りを一旦下って、先にこんもりと盛り上がった高原山を今度は登り返す。
今日は気温もやや高めなのか、最近どこの山でも一日中寒い思いをしたが、汗をかくようになって、ヤッケを脱いだ。12時10分に高原山山頂に着く。ここも木々に囲まれ大した眺めは無いが、ちょっと東に降りるとそこから辿ってきた緩い稜線の向こうに尾出山が見えた。高原山山頂にも栃木の山紀行さんと焼杉板の山名板があり。屋根が消失している石祠が一つと、半分埋まった三等三角点があった。ここで湯を沸かし、カップ蕎麦を食べてのんびり休んだ。
12時55分に高原山を下り、直ぐに送電鉄塔が建つ小鞍部に降りる。石裂山が、ここからはカニのハサミの様な格好で見えていた。『新栃木線185号に至る』と書かれた黄色い東電の標柱から送電巡視路を下る。ジグザグにひと下りすると、また鉄塔に出て沢状の窪を巡視路で降り、作業道に降り立った。少し下ると寺沢林道に合流する。きれいに手入れされた杉の植林を感心しながら林道を引き返し、2時10分に寺沢橋に戻ってきた。登り出してから一日中誰にも会わなかった。この林道入口周辺には人家も疎らにあるが、人にも会わなかった。静かな一日だった。
帰りは『前日光つつじの湯』に寄って行こうと思っていたが、冬季休業中で入れず。鹿沼と宇都宮の間辺りにある『ホテルニューサンピア栃木・鹿沼温泉華ゆらり』という日帰り温泉まで大回りして入浴した。日曜で人も多かったが、塩素臭も無くなかなか良い温泉だった。良く温まって帰路に着いた。
静かな山を満喫したが、それにしても、高巻きのトラバースは怖かった…ひえっ。
山田山ってほんとにその名前なんでしょうか?M大のメンバーの名前を付けたんではないかって烏ケ森さんが前に書いてましたね。
沢コースのトラバースは雪のある時は危険ですね。桐生からだったら,朝出てっても十分間に合いそうですが,前の日に行かれたんですね。
尾出山はこの周辺の山では面白い山なのですね。
特徴の無い平凡な山が多い安蘇山塊にあって、石裂山とこの尾出山は昔から気になっていました。(実際に登ったのは今回が初めてですが…尾出山はヤマケイのハイグレードハイキングにも載っていました)久々、怖い思いをしてしまいました。と書いていますが、実は面白かったのです。イヒヒ。
山田山は多分そうなんでしょう。群馬県内にもそれらしいプレートがあるようです。ぼくは見ていないのですが。
当時の学生の一種のしゃれなのでしょうね。
このプレートも随分古いものです。70年代かなあ。
桐生から尾出山は直線では直ぐです。でも、道路は山を大きく迂回しているので60㌔はあります。早起きは苦手なので、何時ものように前夜出て車中泊で登りました。
尾出山は面白かったので、今度は東の岩尾根に登ろうかなとか、思っています。雪があるときはおっしゃるとおり結構シビアな山です。
尾出山は楽しめる山で、すでに四方八方から登っています。低い山も今の時期はけっこう危険が伴いますね。私も08年3月に百川林道から北尾根に取付いた時に、尾根先端が凍結していて危険を感じたことがあります。
MWVに山田山とありますね。MWVのプレートのかかる山(地形図に山名のない山)には人名に山とか岳を付けたものが多いような気がします。その典型例は、男鹿岳西尾根の三角点1361.7峰のMWVプレートに「小立九郎岳」なんていうのもありました。MWVのリーダーの名をつけたのではと勝手に推測しています。
もう登りつくしていらっしゃるようですね。そうなんですか、山頂には余り楽しみも無いですが、登る過程で楽しめる山ですね。沢の高巻きはスリルあり過ぎです。面白いですけど。
ところで、M大のプレートでは、群馬県内にも吾妻方面の山に同じ様なものが幾つかあるということを聞いています。まあ、学生のあそびだったのでしょう。付けた人達ももういい歳になっているんじゃないかと思いますが…。
かつては人が余り入らない山で○○参上のごとく付けられていた青プレートですが、近頃はめっきり少なくなりました。現MWVはもうこの習慣を止めてしまったのですかね。活動が低調になったのも時代の流れの様です。
若い人が山に帰って来ていますから、またそのうち復活するかもしれません。