今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

・十石山、金山岩

2011年07月22日 | 山登りの記録 2011

平成23年7月17日(日)、18日(月)
十石山2,524.8m、金山岩2,532m

 梅雨が明けて、まず志賀の山々を歩いた。今回は3連休、1日夏休みを入れて4連休とした。
しかし、まだ夏山本番のアルプス登山ではなく、足慣らしのアルプス級を考えた。今年は北アルプスの奥の方を一応予定している(あくまで予定ですが)。南アルプスに比べると、ぼくは北アルプスは全体の半分も登っていない。白馬連峰、後立山連峰や常念山脈等の長野県側の山はほぼ登っているが、穂高と立山・剣周辺を除く富山・岐阜側は、ほぼ手付かずの状態。だから、今年はこの方面をと思っているのだ。アルプスの中でも家から最も遠い山域に当たるので、なかなか行けないトコロなのだった。

 さて、そんな所から今回は乗鞍岳と焼岳との間にある(この表現が正しいか?)十石山に行くことにした。ここなら連休でも人は少ないだろう。乗鞍から十石山周辺は山スキーのエリアで、山スキーをする人たちには良く知られた山らしいが、無雪期は余り人の関心が向かないのか?(名前が地味とか、周辺の有名山岳に隠れてしまうとか?)雪の無い時期は忘れられた山のようだ。なにしろ、この山の唯一の登山口である白骨温泉からのルートに、エアリアでは「難路」と記載されている。このコメントだけで、行く人は少なくなるのだろう。ここを選んだもう一つの理由は、山頂付近にきれいな避難小屋があるということだった。この避難小屋は、本来山スキーのために造られたものらしい。登りが5時間弱、下り2~3時間、標高差1,100mと、日帰りでも充分楽チンのコースではあるが、アルプスの日の出の景色も見たいので、あえて避難小屋に泊まって一泊の予定とした。

 でも、一泊とした本当の理由は、十石山から乗鞍連峰へのピストンを考えたからだ。地理院の2万5千図によれば、乗鞍岳の一峰である硫黄岳と十石山との間には破線記号がある。硫黄岳からその先の烏帽子岳・四ツ岳・大丹生岳・猫岳あたりの山まで足が伸ばせないだろうか?(結果的にはこれは大変甘かった)そういう魂胆もあっての一泊の避難小屋泊まりなのだ。事前のネット情報では白骨温泉から十石山までは、笹薮に埋もれがちながらも、しっかりとした道があり、日帰りで楽に往復している様だ。しかし、乗鞍までの道は相当困難であるとの情報もあるが、とにかく行って自分の目で確かめてみよう。

 土曜は家でゆっくりと休養し、夕方6時に出発。安中のスーパーで食料を買い込み、ついでに夕飯を済ませる。碓氷峠を越え、軽井沢から佐久を回ってR142で旧和田村(現長和町)から扉峠回りで松本へ出て、上高地方面に向かう。途中にあった看板を気に留めずに沢渡まで来たら、そこから白骨温泉への道は土砂崩れで通行止めだという。乗鞍高原へ迂回してスーパー林道経由で行くようにとあった。そういえば、白骨という文字が書かれた看板がいくつかあったのはこのことか…。仕方なく、引き返して乗鞍高原へ回り、スーパー林道経由で白骨温泉に着いた。ところが、事前にネットで確認していた登山口がある不通のスーパー林道への道がなかなか分からなくてまごついてしまった。ようやく、旅館脇にその入口を見つけ、今は使われていない旧料金所を抜けて、中部電力白骨無線中継所脇の駐車スペースに着いた時は午前0時半になっていた。家を出てから買い物と夕食等で1時間のロスとしても、5時間半も掛かってしまったことになる。距離は200㌔程度、夜とはいえ随分掛かったものだ。高速利用なら4時間くらいかなあ。

 5時半にアラームをセットして、少し暑いのでシュラフを半分掛けて眠った。5時少し過ぎに目が覚めると、外はすっかり明るくて良い天気。でも、やや寝足りない、眠いのでぐずぐずしていて結局5時半に起きた。パンを食べて、支度をして5時53分に無線中継所駐車地点を出発する。

 車を停めた上高地乗鞍スーパー林道は、かつては有料林道として通行できていたが、現在は路面が荒れ、崩壊箇所も多く不通になっている。今から30年以前、全国各地でこの手のスーパー林道建設が、開発か、保護かで大議論された。その後、反対運動により計画が立ち消えになったものもあり、決行されたものの整備が行き届かず、ここのように不通路線になっている所は多い。自然環境が厳しい奥山で強引な道路建設を行い、その後は不十分な治山工事によって道路を崩壊させ、結果的に山を荒れさせただけで終わっている。こういった計画は、当時の時代背景もあろうが、今となっては首をかしげるようなコンセプトを強行した時の権力のエゴの象徴ともいえる。無理をした分、維持が困難なのは自明で、こうして次々に放棄されていくのだろうか。やはり、『スーパー』という冠がどうも胡散臭かった。山の傷跡修復は長い時間を要するのでしょうね。

 駐車地点から2回ほどカーブを曲がり、峠のような所を少し下った落葉松林に、草が覆ってはいるが、うっすらと踏み跡がある。少し草道を入って『←至白骨0.9k』という標識が埋もれているのを見つけ、ここで間違いないと確認した。十石山の元々の登山口は白骨温泉の旅館の裏にあったのだが、今はここが実質的に登山口になっているらしい。しかし、この雰囲気、人が歩いている気配は余り無い。先に進むと直ぐに三叉路になって、そのまま真っ直ぐが白骨温泉を指している。十石山という名前がここにあった標識に初めて現れた。そのくらいこの山は登る人も少ないということらしい。道は概ねササが刈られているが、大分前に刈られたのか、伸びたものがまた覆いはじめている。

 三叉路から落葉松の植林を大きくジグザグに上ると、シラカバやカエデが茂る森になり、直ぐ真下に白骨温泉の旅館と駐車場が見下ろせた。1時間近く登って、まだ直ぐ下に旅館が見えるの?地図で見ると、傾斜のきつい斜面を大きく迂回してここまで上ってきたことが分かる。実際には旅館から300mくらい高いところに居るようだった。

 約1時間で一段登り上げ、標高1800m程のシラビソとコメツガの平坦地に出る。一休みに丁度良い、ちょっとした広場になっている。周囲は巨木が多くなり、ここから先は他でも余り見ないような見事なシラビソとコメツガの巨木の原生林が続いていた。ここで、早くも一息とする。こんなに登り始めて直ぐ休むのは、暑くて既に汗びっしょりになっているからだ。この標高にして、朝から少しも涼しくないなんて矢張り少し異常な感じだ。

 ホウロウ製の懐かしい『さくらフィルム』とある矢印標識が木に打ち付けられ、十石山と書いてある。『さくらフィルム』は、小西六写真工業の写真フィルムの事。商標をコニカに変えてからでも随分経つ。まあ、コニカもその後ミノルタと合併し、とうとう写真業界からは消滅してしまった。後で調べたところ、さくらは1987年にコニカに商標変更したと分かったので、この標識は少なくとも24年以前のものであるらしい。それにしては綺麗な気がするが…。もう一つ突っ込むと、サクラフィルムがコニカフィルムになったのが24年前で、ひらがなの『さくらフィルム』という商標はもっとずっと前だと言う事。どうでも良いが、これは30年以上前のものだろうと思う(余談でした)。しかし、『さくらフィルム』の時代には、この十石山はかなりメジャーな山だったという証拠?かもしれない。多分、宣伝効果も無い所に企業がわざわざこんな標識を提供しないでしょうから。同じプレートをこの先でも全部で3枚ほど見た。

 ホトトギス、ツツドリ、ウグイス、ホオジロ等、早朝から野鳥の声が林間に響くが、それを圧するがごとくエゾハルゼミが賑やかに鳴き始めている。このセミも、もう間もなく姿を消すので、最後の力を振り絞っているのだろうか?

 ササが刈られていたのは、さくらフィルムの標識があった広場辺りまでで、その先は少なくとも今年は刈られていない。朝露をたっぷり付けたササが完全に道を覆っているので、それを掻き分けるとシャツもズボンもびっしょりになる。でも、暑いから却って冷たくて気持ちいい(負け惜しみ)。また傾斜がきつくなって、2段目の上りに掛かる。樹間から霞沢岳が見えている。小さなギンリョウソウが目に留まる。この辺りからゴゼンタチバナも点々と足元に見られた。巨木は相変わらずで、本当に見事な原生林だ。この辺りは伐採から免れた所なのだろうか?ダケカンバの重厚な巨木もあった。途中から二つに分かれた大きなコメツガに、夫婦コメツガと書かれたテープがついている。

 8時半にシラビソの高木密度が疎らになる辺りに出た。高度計によれば2200m程で、間もなく樹林帯を抜けようという感じだが、とにかく暑くて汗を拭い拭いで、ペースはがくんと落ちてきた。その上、木々が疎らになると、雲ひとつ見えない青空からは、朝とも思えない強い陽が照り付けてますます暑い。漕ぐササも相変わらずで、身を没するほど深い所もある。ちょっと登っては休み、またちょっと登っては休みという感じ。自慢じゃないが、ホントに暑さには弱いのだ。しかし、暑くても長袖と手袋は外せない。いつの間にか、うるさいハエや小虫がわんわんと顔の周りに集まってくるようになった(今日は被る網を持って来なかった、というか予想していなかった…)。

 疎らなシラビソの高木が現れても、そこから樹林帯を抜けるまでは長かった。樹林帯を抜ける辺りで、上から単独のハイカーが降りてきた。霞沢岳の左に穂高が少し見えるようなった。穂高の雪も随分少なくなったようだ。

 9時30分にようやく樹林帯を抜け、風衝草原の斜面になる。東の眺めが一気に広がる。直ぐそこに近いのは鉢盛山と小鉢盛山の二つの丸い山。今回の2日間、この山が一番長く良く見えていた(登る山のストックには入れてあるが…)。やがて、穂高は隠れ、霞沢岳から東に小嵩沢山などの地味な山並み。鉢盛山の向こうには八ヶ岳が遠く、その右に南アルプスと中央アルプスも見えている。

 しかし、暑さに加え、今日はやや荷が重いのにも疲れて、登りは一向にはかどらない。ウラジロナナカマドやミヤマシシウド、コイワカガミ、ショウジョウバカマ、コバイケイソウ、などが見られるようになる。小屋まで雪渓が3つ残っていた。2つ目の雪渓で、下まで降りて冷たい雪解け水を汲んだ。今日は3リットルの水しか持ってこなかった。小屋には天水もあるらしい、しかし、ここで空いてしまった1リットル分を補給できて結果的には良かった。冷たい水を飲むと生き返る。ふーっ。

 3つ目の雪渓をトラバースして北側に少し巻き込むと、直ぐ上に青空を背景にして重厚な避難小屋が見えた。十石峠避難小屋は長野県側の稜線斜面にへばりつく様に建っていた。小屋の直ぐ下はお花畑になっているが、チングルマとコイワカガミがほとんどで、コバイケイソウ、ミヤマキンバイ等も少し見られた。10時丁度に避難小屋に着いた。休憩が多く、4時間掛かった。

 小屋を開けると、中は結構広い。手前が土間で3畳程、奥に板の間10畳程と、ちょっと高くなった板の間3畳程、2階部分が北と南に3畳分くらい、入口の脇に4畳半くらいの広さの個室がある(今回はこの個室を確保したので正解だった…)。マットレスやシュラフや毛布も沢山あり、鍋釜皿などみんなご自由にお使いくださいと書いてあった。食料も一斗缶に入って幾つも置いてあるが、これも自由にどうぞ?ということです。この小屋は有志の方が維持されているのだと聞くが…。前にも書いたが、この避難小屋は冬季にスキー登山で使用するのが主目的のようだ。なので、越冬小屋といった感じもするが、頑丈に気密も良く出来ているということだった。

 取りあえず、個室に荷物を置き、昼食用の食料と水・カメラをサブザックに入れて、小屋を後にする。小屋裏へ上り上げると、岐阜側は砂礫の広場になっている。ここにほんの少しコマクサがある。北はハイマツの小山が一段あるが、山頂は南の小山ということ。北には穂高、南には乗鞍が見えるが、両方とも十石山の山体に隠されて、中腹から上しか見えない。鯨の背の様な稜線を歩き、ハイマツに覆われた小山が十石山の山頂で、ハイマツ藪の中にぽつんと三角点があった(何等かは読めないので不明)。

 初めの目論見どおり、乗鞍までは無理としても、行けるところまで行こうと踏跡を先に進むが、いきなりハイマツの海を漕ぐようになった。ハッキリとした道型はあって道を外すことは無いが、かつて道だった頃に切られたハイマツの古い切り口は見るものの、現在は若い枝がその上を縦横に伸びて全く廃道の状態だ。次々に掻き分ける枝が顔にびしっとくる、痛え…。脛を足元の枝が打つ、痛え…と、こんな状態。これは、とても乗鞍までなんかは無理だ。しかし、一つ先の金山岩までは何とかして行こうと、予定を急遽縮小した。

 目の前に大岩が並ぶ。十石山と金山岩の間には岩場の鞍部と小さなピークが1つある。長野側はなだらかなハイマツ斜面で岐阜側は崩壊した岩ガレになっている。丁度鞍部の中間辺りは、その崩壊が激しく、極端に痩せて1m程しかない幅の岩場を通過する。完全に崩れて行けない所があって、崩れた岐阜側をハイマツの根に掴まり、だましだましで、どうにかへつった。岩場のあちこちにミヤマダイコンソウやイワツメクサが咲いている。

 振り返ると、十石山頂では下半分が隠れていた穂高連峰が上高地まで見えるようになっている。丁度真南から見る格好で、岳沢の雪渓が白く光って突き上げる上に、奥穂と前穂が両翼を広げているように見える。穂高の西には笠ヶ岳等の岐阜側の連嶺も良く見えた。それらの手前には、赤茶けた焼岳が低く見えている。ひと筋噴煙が上がっているのも見える。岐阜方面は直ぐ下の安房平や平湯温泉の町並みが見えていた。

 岩ガレを過ぎると、小さなハイマツのピークを長野側に少し巻いて、また金山岩へはハイマツの藪漕ぎが厳しい。暑い、痛い、疲れた、虫がうるさい。目に飛び込んでくる。ちくっと刺される。くそっ。(とうとう、この日はブユやヌカカにやられ、今でもあちこち痒くてしょうがありません…)12時丁度に、ようやく岩塊が積み重なった小高い金山岩の山頂に着いた。十石山の山頂からほんの1㌔程度の距離しかないのに1時間40分も掛かった。

 金山岩の山頂には小さな杭が一本立っているだけだ。ごろごろと玄武岩?の岩塊がなだらかなハイマツに覆われた山頂部に帯状にばらまかれた様になって。何も遮るものもない360度の大展望だ。乗鞍岳の諸峰が手に取るようで、カメラでズーミングすると、剣が峰を登る人の列もそれと分かる。コロナ観測所の白い丸い建物も良く見えた。結構大変な思いをしてここまで来た甲斐があった。陽射しは強く、長袖を脱いで半袖シャツになると膚がじりじりする。穂高連峰・笠ヶ岳もすっきりと下まで見えて。最高の展望台。その上、ここに人がやってくる事も考えられない。ぼくだけで独り占めできる爽快感。

 金山岩は岐阜県側下の平湯温泉スキー場から尾根が続き、冬はスキーツアーで登る山として有名らしい。でも、雪が無いときは誰もやってこない。夏場に限っては人も来ない静かなる山。大展望をカメラに収め、おむすびを食べるが、口の中の水分が枯れて御飯が喉を通らない。雪解けの冷たい水で無理に流し込んだ。汗も収まり、空腹を少し満たすと、岩の上に横になった。飛び交うハエやその他の虫がうるさいのが唯一の難点。ジェット機のような羽音を立て、ハヤブサが飛んできて直ぐ近くで何かを捕らえて飛び去った。あっと、思う間もない一瞬の光景だった。何を捕まえたのだろう?

 12時45分に金山岩を後にして十石山に引き返す。岩場と崩壊ガレの通過は慎重に、特に岐阜側のワサビ谷源頭部は崩壊が著しく、うっかりすると乗っている岩と一緒に落っこちそうな危なっかしさ、うんざりするハイマツとシャクナゲ漕ぎには参った。小屋に着いたら2時になっていた。

 小屋に戻ると間もなく、某山岳会のメンバーという4人のご年配がやってきて、独り占めの宿泊は無かった。先に個室を確保していたのは正解だった。夜8時頃まで飲んで賑やかだったからだ。
疲れていたので、個室で銀マットを3段重ねにしてお昼寝をした。夕方4時半頃、早めに夕飯を食べる。ごく簡単にα米を戻してレトルトカレーをかけ、サバの水煮缶詰をおかずにした。行動食用に買い込んだパンが沢山あり、金山岩からの復路でも食べながら帰ってきたので、早い夕食ではお腹一杯だった。

 暗くなってから遠雷の音がして、稲光がピカピカしていたみたいだが、ここにはやってこなかった。シュラフを出して7時頃、早めに寝た。暑くて寝苦しく、10時頃に一度目が覚めた。薄いとはいえダウンのシュラフに潜っていたら暑い。この小屋の中は断熱が良いのか、暖かい、というより少しむっとする。同宿の4人はすっかり静かになって寝静まっている(いびきは大きいが…)。
小屋の外に出ると、月夜で大変明るくヘッデンもいらない。確かに外ではパーカーを着ていなければ寒い。雲海に埋もれて下界は見えず。月に照らされた乗鞍岳が雲の帯をまとって荘厳な眺めだった。夜のお散歩を少しして、再びシュラフに半身を入れて寝た。今度は快適だったのか、朝までぐっすり。少し寒くて目が覚めた時は、外はもう明くなっていた。

 4時半過ぎに東の空が赤くなっているので、カメラを手に外に出る。北側のやや高くなっているハイマツの丘に上って。それからしばらく、朝日が昇ってくるまでアルプスの日の出の景観を堪能した。山で宿泊すると、やはりこれが一番のご褒美だろう。いつでも山の朝の景観は心を奪われるものだ。日帰りばかりだと、このお楽しみは味わえない。しかし、朝日の景観は見事だったものの、今日のお天気は確実に下り坂らしく、高層雲が広がって高曇りの様相になった。南アルプスの連嶺の間には富士山も確認でき、八ヶ岳、中央アルプス等遠くの山は良く見えているが、直ぐ近くの穂高は雲の帽子をすっぽりと被っていた。台風が近づいてきているので、今日は曇りで明日の天気は雨の予報になっている。

 日の出の景色を満喫して小屋に戻り、カップラーメンの朝食を済ませると、5時35分に小屋を後に山を下る。直ぐ下のお花畑でちょっと花見をし、3つの雪渓をトラバースする辺りでライチョウの親子に会う。母ライチョウは小さなヒナを2羽しか連れていない。この程度のヒナを連れている場合、ヒナの数は4,5羽が普通なので、既に何かに捕食されてしまったのだろう。この時点で2羽では、ヒナが無事成鳥になれるかどうかは厳しいだろうな…。自然は厳しく、母鳥も大変だ。

 風衝草原からハイマツになり、樹林帯に入ると覆い被さるササは朝露でびっしょり。直ぐにズボンは濡れ、直に染み透って脚までびっしょり。靴はゴアだから良いが、カッパのズボンを履いておけばと思った時は時既に遅し…。樹林帯に入って間もなく、2人連れのご夫婦と思われるハイカーが登ってきた。この時間にもうここまで登っているということは、随分早立ちをしたようだ。

 ササ深い下りを坦々と下っていく。見事なシラビソ・コメツガの巨木をまた見上げ、急ぐでもなくゆっくりと膝や脚に負担を掛けないように下った。さくらフィルムの標識がある平坦地の広場でまた少し休んで、パンを食べる。我ながら良く食うと感心(呆れる)する。
下るにつれて、また少しずつ暑さが増してきた。相変わらずエゾハルゼミが曇った空の下でも最後の鳴き声を山峡にこだまさせていた。ツツドリやウグイス、ホオジロも盛んに鳴いている。ハエも多く、目に飛び込んでくる小虫も多かった。

 8時17分に林道登山口に降り。林道を引き返して、8時35分に駐車した中電白骨無線中継所に戻ってきた。

 早速着替えると、車で林道を下り、白骨温泉公営野天風呂に入浴する。ここは道路から入浴する人が丸見えという、昔から有名な露天風呂だ。というより、観光スポットと言って良いだろう。まだ9時にもなっていないのに、既に駐車場は一杯で、入浴しようという人が次々にやってくる。長い階段を、川べりにある露天風呂まで下っていくのだ。幸い、入浴した時は他に人が3人しか居なかったので、充分のんびりと入浴できた。砂岩の岩窟みたいな所にへばりつくように露天風呂がある。半径3m程の円形の湯が一つあるだけなので、人が多ければなかなかゆったりとは入浴できないだろう。渓流を見ながらこの湯に浸かっていると、幸福な気分。日焼けした腕が湯にぴりぴりと滲みた。入浴後は、再びスーパー林道で乗鞍高原に出て、行きと同じ道を急がずに帰路に着いた。

 白骨温泉から上りあげた峠から乗鞍岳が良く見えるが、その右に離れて小さな雪渓を3つ頂上部に残している丸い山が仰がれた。ちっとも目立たないが、これが十石山で、頂上の辺りを注意してよく見ると、小さく避難小屋がそれと分かるのだった。松本に出る途中、梓川を渡るダム橋の上からも、その3つの雪渓を目印の丸い山が高く正面に仰がれる。自分が登ったのでなければ決して目を留めるような山ではない。十石山はそんな山なのだろう。


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2 コメント

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立派なシラビソですね (ノラ)
2011-07-22 21:38:12
あさぎまだらさん こんばんは。十石山の記録読みました。金山岩からの展望はいいですね。行きたいところですが,途中が怖いですね。サクラフィルムの道標が括られているシラビソも見る価値はありそうです。ヌカカとブユも障害ですね。それにしても結構人は行くようですね。北アルプスは私も後立山連峰のみ行っているのでその他は全く不案内です。
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珠玉の山 (あさぎまだら)
2011-07-22 23:25:30
ノラさんこんばんは。
シラビソじゃなくてコメツガです。ヌカカとブユはこの時期油断がならないですね。新潟や会津の山では予防策としていつも頭に入っていますが…今回、北アルプスでヌカカ・アブは頭から抜けていました。残雪がある山は要注意で同じです。
途中の岩場とガレですが、正直ちょっと躊躇しました。崩壊がひどくて以前登った中央アルプスの麦草岳と木曽前岳中間の牙岩辺りより危険でした。
乗り越えている大岩が、あるいはそのまま崩壊して谷底に落ちるんじゃないかとヒヤヒヤでした。

ところで、有名な山は人を惹き付ける魅力を持っています。だから有名になって、結果的に訪れる人も多くなり、シーズンには雑踏で魅力が半減しているところも多いですね。
十石山はその対極にあるような山です。比較的なだらかな山容から、積雪期には山スキーのスポットになっているようですが、雪が無い時には忘れられた山になっています。
それが幸いして、人の多い山域に挟まれながら、手付かずの自然と静けさが保たれています。決して派手な山じゃないですが、正に珠玉のような魅力を持っていると思います。それにしても、金山岩からの展望は特筆モノです。
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